天使はどちらに微笑んだ
広大な海の上の小さな船。決してその船は人間が見れば小さいと感じるわけはないのだけれど、世界中に繋がっているこの青い海の上では、ちっぽけな存在になってしまう。

ココ・ヘクマティアルは、そんな船の中で、先ほどから何やら言い争っている二人を眺めては面白そうに口角をつりあげていた。

「一体あれは何事ですか?ココ」

ずっと観察をしていたココに降ってくるバルメの声。ココは話しかけられても尚、視線を逸らさずに目の前の言い争いを眺めている。

「フフーフ、ルツとアールがナマエを取り合ってるんだよー」

「またですか…飽きませんねあの二人も」

ため息を一つこぼすバルメ。ルツとアールのナマエの取り合いは今回が初めてではない。もう幾度となく繰り返しては未だ決着がつかずにいるのだ。

大体ナマエの気持ちを尊重しろと再三言っているのだが、全く持って二人は聞く耳を持たない。正確には聞こうとすると、どちらかが妨害に入ってまたケンカが始まるのだ。ナマエもいつも苦笑いを浮かべながら真ん中で困り果てている。かわいそうなことこの上ない。

本当に彼女が好きだと言うのならば、少しは彼女の方にも気を配るべきなのではないのか。

「ねぇねぇ、バルメはさ、ナマエが好きなのはどっちだと思う?私はルツに一票!」

「そうですね、では私はアールに」

かわいそうだとは言ったが、見ていて面白い光景であることは変わらない。いつかナマエが下すであろう決断の日を楽しみにしていないのはヨナぐらいだというもの。少しくらい面白おかしく賭でもしたくなってしまうのは仕方がない。

すると、静かに扉が開いてタバコを吸い終わって戻ってきたレームが二人の話に割って入る。

「おいおい、他人の色恋を賭の対象にするのは野暮ってモンだぜ。ちなみに俺は両方とも脈ナシに一票」

「おーっ、そうきましたかレームさん!」

けたけたと楽しそうに三人は笑い合い、目の前の寸劇をもう暫く見ていることを決めたのであった。




























「だーかーら、アールは目が普通じゃねぇんだって!!ナマエに近づくなっての!」

「俺は純粋にナマエに想いを知ってほしいだけだ。目で語ってんだよ!」

「嘘つくな!アネゴに言い寄る時とまるっきり同じ目してんじゃん」

「それはっ…!というかルツだってナマエが好きとか言っといてアネゴのことチラチラ見すぎだろ!」

言い争いの応酬。今日は特に長い。
真ん中に挟まれて「あの」「その」というか細い声を発しながら、ナマエは軽くため息をついた。

どうして二人はもっと仲良くできないのか。いや、普段はかなり仲がいいのだが、自分が話題の中心になる時だけこうなってしまう。それは単純に考えれば不仲の原因は自分にあるということなのだろうが如何せん自分が悪いことをしているわけではないのでどうすることもできない。

「ナマエ!こっち来い!アールに近寄ると色々危ない」

「いや…今のルツに近寄るのも色々危ない気が…」

ナマエの悲痛な呟きはやはりルツには届かない。ぐいと体を引き寄せられる。それもいつものことなので、慣れてしまった。向こうで面白そうに見ているココ達にSOSの眼差しを送ってみる。彼女達はこの応酬を楽しんでしまっているので意味がないことはわかっているが。

「おいルツ、ナマエが嫌がってるだろ!女の子をそんな乱暴に扱うな」

「…アールも結構強引だと思うんだけど…」

ぐらりと今度はアールの方に体が傾く。まるで幼稚園児がお気に入りの本を取り合って引っ張り合いをしているような。園児ではなく本の気持ちがわかるのは何とも虚しい。
こんな時、自分が二人いたらよかったなどと、非現実的な思考にのまれるのだ。

だがいい加減勘弁してほしい。大人しくしていたらどんどんヒートアップしていくに違いない。それに今までは適当に流していたらいつの間にか言い争いは終わるという感じだったが、それがこの先も続いていくとなると精神が保たない可能性が非常に高い。

「大体アールはこの前の訓練の時…」

「それだったらルツだって一週間前の仕事…」

脱線し始めた。こうなるともう収拾がつかない。ケンカをするのは構わないがそれは自分を真ん中に置いていない時にやっていただきたいものだ。

ナマエは拳を握りしめる。いつもより怒りの度合いが高いのか、その小さな手はわなわなと震えていた。

どんな人間にもリミッターというものはある。優しい人間ならば、その限度を超えた時の爆発が凄まじいものだと言うのは万人共通。それがないのは恐らく仏くらいだろう。そして、その優しい人間の限度を超えたのは、今まさにこの時だった。

「いい加減にして!!」

“その時地球が震えた”と、後にココは言った。

一瞬にして固まる一同。ルツとアールが真ん中のナマエに目をやれば、彼女の瞳は深い怒りの炎で揺れていた。いつもは無垢なその瞳が怒りに染められた様は、二人の動きを完全に停止させてしまう。

ナマエはそんな二人に構うことなく、大きな目で二人を交互に睨みつけながら、息を吸う。

「私を真ん中に置いてケンカしないで!するなら外でやって!!」

突き刺すような言葉。少なくとも、今のルツとアールの心には、深々と傷が穿たれる。

「今の二人なんて大っ嫌い!バカ!」

この言葉が、二人の言い争いに終止符を打った。
ナマエがハッと我に返って、少し言い過ぎたと顔を上げた瞬間。目に入り込んでくる二人の絶望に沈んだような表情。

取り繕おうと彼女が口を開きかけるより早く、二人が言葉を紡いだのでそれは中断される。

「悪ィ…ついいつもの調子で…」

「ルツ、ちょっと俺ら頭冷やしてこようぜ」

申し訳なさそうに部屋を後にする二人。ナマエはそんな彼らの後ろ姿を眺めながら、やっぱり申し訳なさそうに顔を歪めていたのだった。




分岐:ルツアール


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