常々思うことがある。それは私の大好きな人のこと。
そもそもその人を好きになった理由もわからない。顔、性格、どれもしっくりこない。人を好きになることに理由なんていらないのかもしれないけれど。
でも妹子さんや馬子さんは私達を見ていつも幸せそうですねと言う。確かに私自身は幸せ。でもこう考えてみるとどうしてこんなにも幸せなんだろうって、また変な疑問が頭に浮かんできてしまうのはきっとおかしいことではないのでしょう。
「おはようございます、太子。朝からカレーですか?」
「おぉナマエ!私は毎日カレーを食べていても飽きない。ナマエも食べるか?」
そう言う太子に微笑みかけて、私は彼の隣に腰掛けた。気持ちのいい朝日に、ついつい微睡んでしまいたくなる。
飛び立つ鳥の羽音も、揺れる木々のさざめきも、全てがこの飛鳥時代の平和さに繋がっていると思うと心が温かくなる。そしてその平和には少なからず隣にいる彼、聖徳太子様のお力が働いているはずだ。
「太子、ありがとうございます」
「ん?いきなりどうした?私の溢れる摂政オーラを前にして急に崇めたくなったのか!?」
「いいえ、摂政オーラとかではなくて…太子ほどの方が私の傍にいてくださっているっていうことが嬉しくなってきてしまいまして」
幾ら冠位十二階の最下位、小智の方にタメ口をきかれてしまっているとしても、この人は私が簡単に隣に立つべき方ではないのだ。
一度聞いたことがある。“どうしてそんなにも私を愛してくれるのですか”と。
少しこんなことを聞くのは反則かもしれないかと思ったけれど。
その問いに太子はものすごく清々しい表情で“わからん”と答えてくれた。その時は答えに満足は決してしなかったけれど、今思うともしかしたら太子も私と同じだったのかもしれない。同じ疑問を心に抱えて。太子のことだから疑問に思っても深くは考えなかっただけで。それが愛情の不思議というものなのだろうか。
「何を言っている!私の横には絶対にナマエがいなければならないのだ!いなくなることは考えられん。いや、考えたくない!」
私は単純だと思う。何を考えていようと太子の言葉でこんなにも頬が綻んでしまうのだから。
ふと、右手に何かが重ねられる感触。自分より大きくて、あぁ男の人なんだと思わされる太子の手。私はそれを見て少し驚いて、そしてすぐに笑って、指を絡ませて彼の肩に頭を凭れた。
「今日はやけに甘えてくるな。やはり私の摂政オー…」
「太子、それはもう大丈夫です」
「せめて最後まで聞くでおま!」
「ふふ、ごめんなさい。ちょっと意地悪しちゃいました」
私がこうして意地悪したくなる人も、警戒を解ける人も、この人だけ。
こんな所を妹子さんに見られたらまた呆れられてしまうのでしょうけど。
「あ、そうだ太子。馬子さんが太子のこと誉めてましたよ」
太子が何のことかわからないといった風に首を傾げる。
「太子、この前憲法十七条完成させたじゃないですか。“やればできるじゃないか”って」
臣君の進むべき道と道徳を指し示す為の憲法。本当にすごいものを完成させたと思う。
いつそんな作業をやっていたのかと周りには大層訝しげにしていたけれど私は知っている。太子は努力を人に見せることは滅多にない。それは私にも同じ。だけれど夜中微かに開いた扉から覗く太子はいつも真面目に机に向かっていて。そして朝にはいつも通りの太子に戻るのだ。
「あ、当たり前だ!私は摂政だからな!あんなもの一日、いや、半日で完成させてやったわ」
「ふふ、さすがですね」
私が頑張っていた太子を見ていたことはもちろん内緒。それはずっと私だけが知っていたいから。
いつもの調子のいい太子も、真面目な太子も、全てが愛おしい。好きで好きでたまらなくて。なのに、私は何故だかその愛情に対して十分な説明ができないでいる。
“好きなんです太子、あなたのことがどうしようもなく。
本当に、愛とは不思議なものですね。何なんでしょうか、一体”
そんなことを言おうとして、そしてやめた。多分太子もその答えを出してはいないのだろうから。そもそも、愛について考えて、それに答えが出なくとも困ることは何もない。自分の太子にこうして寄り添っていられればそれでいいのだから。
「なんか…今日はずっとこうしていたい気分です」
「幾らでもそうしていればいい!私はナマエが横にいればそれでいいんだからな」
小さく「ありがとうございます」と呟いて私は軽く目を閉じる。すると、太子の声が暗闇のなか降ってきた。
「ナマエがいると景色がいつもより光って見えるな。ナマエ、実は魔法使いなのか?」
「何言ってるんですか、私はそんなんじゃ…」
困ったように笑いながら目を開けて庭を見てみると、そこには不思議と本当にいつもより綺麗に見える風景が広がっていた。
そしてそれはひどく私の心を揺らした。
本当に魔法使いなのは太子の方なんじゃないかと思う。一人でいる時も、仕事の話を妹子さんと話している時も、こんなに心揺さぶる光景は見られない。というか、外に目をやることすらしない。
太子とゆっくりする時だけ、私はこうして外を見る。だから今まで気づかなかったのかもしれない。その太子と見る光景が私にとっての普通になりすぎて、言われてみなければそれが綺麗なものなのだと。
「あぁ…そうか。そういうことなんだ」
納得したように一つ頷いた私に、太子は不思議そうに首を傾げている。
私はそんな太子をお構いなしに、彼に笑ってみせた。
本当はとっくにわかりきっていたことだったのだ。太子と見る景色が光っているわけも、ずっと考察していた疑問の答えも。
私は緩みかけていた手をもう一度強く握り直して太子の顔を見上げる。
「好きです、太子」
「何を言うかと思えば。私もナマエが好きだぞ!」
“愛、それは日常を何よりも輝かせることのエッセンス”