暖かな陽光のさし込む昼休み。皆顔に笑みを浮かべながら思い思い食事の一時を楽しんでいる。
だがその中で、窓際の席の一番後ろで、黒子テツヤは、普段の感情の起伏乏しい表情をほんの少しだけ歪めながら、パンを片手に紙パックの野菜ジュースを飲んでいた。
その原因は彼自身わかっているようでわかっていない。恐らく、今現在自分の目の前で、バスケ部の友人兼相棒である火神大我が、その彼の隣の席であるミョウジナマエと大層仲睦まじく会話をしていることにあるのだろう。ただ何故それが己の機嫌を悪くするのか、それがわからないのだ。二人は友人として話している、それだけことなのに。
それでも二人の会話は黒子の心情などお構いなしに進められていく。
「うはー、今日もよく食べるねー火神君」
「お前が少なすぎんだって。そんだけだと骨だけになっちまうぞ。ただでさえお前ひょろっちいんだからよ」
「あはは、絶対にそれはない!標準だからこれが」
彼女の笑顔が、今の黒子にはひどく淀んで見えた。それ以上に、笑いこそしないが、楽しそうにしている火神を見ているのが辛かった。
いつの間にか野菜ジュースが空になっていることに気づく。味はもう覚えていない。クラスの喧騒も、どこか遠くの世界の音のように聞こえた。
いつも優しい声音で「黒子君」と言葉を紡いでくれるナマエの口から今は自分のことが出ていない。たったそれだけなのに、それは妙に胸をざわつかせた。
「おい黒子!聞いてんのか?」
ハッと我に返って前を向けば、火神が少しイライラしたように彼の方に体を向けている。ナマエも心配したようにこちらを見ていた。ボーッとしすぎて声をかけられていたことにすら気がつかなかったのか。
「すいません。ボーッとしてました」
すると火神は床に落ちている何かを拾い上げて黒子の前に掲げる。
「ったく、んなボーッとしてっから落としちまうんだよ」
掲げられたそれは今の今まで黒子が片手に持っていたはずのサンドイッチ。落ちて歪な形となったそれは、まるで今の自分の心情を表しているようで、受け取ってつい眺めてしまう。
もうこれは食べられそうにない。いくら他のことを考えていたとはいえ、量の少ない昼ご飯を落としてしまうとはなんたることだ。
「どうしたの?随分考え込んでたみたいだけど何か悩みでもあるの?」
「いえ、大丈夫です。ボーッとしてただけですから」
本気で心配してくれているナマエ。そんな顔をさせたいわけじゃなかった。火神には笑っていたのに、今の自分には心配の表情しか彼女から向けられることがない。その事実に、また気分が沈みそうになってしまう。
空は限りなく澄み渡っているのに、今の黒子の心は曇りどころか大雨だった。きっと暫くやむことはないだろう。彼が火神に対して、嫉妬心を抱いている内は。
ナマエが火神を好きになることも、火神がナマエを好きになることも、ないというのはわかっている。彼女が自分に向けてくれるのはいつだってくすぐったくなるほど純粋な想いばかりなのだから。
「本当に大丈夫ならいいんだけど…ね、黒子君、今日って部活休みだったよね?」
「?はい、そうですけど…」
それがどうしたんですかという意味を込めてナマエを見る。
目の前の彼女は何故かとても嬉しそうにしていて、自惚れているわけではないが、火神に向けていたあの笑顔より輝いているように見えた。
「だからさ、黒子君さえよかったら久しぶりにマジバ行かない?」
確かに暫く行っていなかった気がする。彼女と飲むバニラシェイクは最高に美味しい。どこの高級レストランのデザートを持ってこられてもあれに勝るものなどないだろう。けれど、今日もその味が味わえるかといったらわからない。それに、気がかりなことはそれだけではなかった。
「それは、火神君も一緒に行くんですか?」
黒子、火神、ナマエの三人でマジバで過ごすことは少なくない。黒子とナマエが二人でいる時に、トレーいっぱいにハンバーガーを乗せた火神と遭遇するのだ。そんな時は大抵成り行きで共に食べるのだが、今回は予め予定を立てての行動だ。今この場にはその三人がいる。ナマエの性格上、火神も誘うのだろう。今日のこの気持ちで彼と行くのは嫌だった。
けれど火神は黒子を見つめて、軽く目を丸くしてから口を開く。
「何でオレが一緒に行くんだよ」
「最近一緒に食べる機会が多かったので今日もそうなのかと」
「行かねーよ!ありゃたまたま会ったから一緒に食ってんだろ。じゃなきゃわざわざお前ら二人の中に入ってこうと思わねーっつの」
「えー、何それ!どういうこと?」
黒子もナマエも、火神の言葉の意味がわからず、首を傾げる。そんなに自分達の空気は近寄りがたいものなのだろうか。
そうやって不思議そうにしていれば、火神は呆れにも似たため息を一つこぼした。
「ミョウジも黒子も、あんだけ幸せそうな顔して話してんだ。誰が好き好んで自分から邪魔しにいくかっての」
「あはは、だって私、黒子君といる時が一番好きだもの」
瞬間、どくんと心臓が跳ねた気がした。「のろけてんじゃねぇよ」なんて言う火神の声がどこか遠いもののように感じてしまうほど。
今言ったことは、ナマエにとってみれば至極当然のことなのだろう。別に恥ずかしくもなく、思ったことをそのまま口に出して。けれどそれは、ひどく黒子の心を揺さぶった。今まで何を変なことを考えていたのだろうと思わされるほどに。それと同時に、こんなたった一言で醜い嫉妬の感情が消えていってしまう自分の単純さに苦笑してしまう。
やがて黒子は、優しく微笑みながらナマエに向き直った。
「ミョウジさん、では放課後一緒に行きましょう」
そして、その言葉に帰ってくる満面の笑み。それが彼女の答え。
火神はそれを見て“バカップル”なんて言って呆れてしまっていたけれど
そんなことなど気にならないくらいに
黒子の心は晴れ渡っていた。