指でたどる距離
ゆらゆらと揺れる船。これは高性能だからそこらの船なんかよりは何倍も揺れは抑えられているみたいだけれど。

ナマエはその船の一室のソファーに仰向けに寝転がっていた。時折、横のテーブルに置いてある地球儀を人差し指で緩く回しながら。

無機質な天井をぼーっと眺めていても、新しい発見は得られない。世紀の大発明をした偉人達はそんな所からでもアイデアを生み出したというがそんなものは今の彼女にはにわかには信じられなかった。

「やぁナマエ。ここにいたのか」

そして突然上から降ってくる声。キャスパーだ。ナマエは彼の声と顔を見ても、「あー、キャスパーさんだー」なんて気だるげな返事を一つするだけだった。
やがて、彼女は重たい体を無理に動かして起き上がる。さっきまで無気力だった瞳は、今では微かに輝きを取り戻していた。

「今どの辺です?」

「そうだな…もうすぐ陸地が見えてもおかしくない距離まで近づいてるはずだから、この辺りかな」

ナマエの顔の横にスッと細い腕が伸びる。キャスパーは、小さな地球儀に、限りなく大きな海を見据えてある一点だけを指差した。

今回の行き先は日本。ジャパンだ。まだ数度しか行ったことがないが、自然の非常に美しい島国だったことを覚えている。しかも日本には四季があるらしく、一年の内で四度も風景の変わる機会があるのだそうだ。今の時期だと四季は“秋”らしい。

「楽しみだなぁ!仕事しに行くのはわかってますけど。キャスパーさん、秋はどんな景色が見られるんですか?」

ソファーから自分を見上げる彼女の瞳がすっかり明るさを取り戻していて、それに軽く笑いながらもキャスパーは楽しそうに口を開いた。

「“紅葉”という葉が綺麗な時期さ。特に“京都”って場所の紅葉は最高らしい」

言われてすぐにナマエも“紅葉”を想像する。それは一体どんなものなのだろうかとか、首都の“東京”にも咲いているのかとか。およそ彼女の表情も、四季のように移り変わりやすいようだ。

日本は本当に面白い。地球儀で見てみればこんなにもちっぽけな国なのに。それはロシアやカナダのような広大な国とはまた違った魅力ということなのだろうか。

そして同時に思う。ココ達はこの日本に降り立ったことはあるのだろうかと。彼女達は担当地域がまるで違う。くるりと指で器用に地球儀を回してヨーロッパの部分を正面に持ってくる。

「ココさん達は今どの辺でしょうか?」

さっきと同じような彼女の問いに、それでもキャスパーは笑顔を崩すことなく、やはり同じように指を差した。

「この前電話した時は移動中だったみたいだからな、もうついてるだろうから…ここだ」

「スペインですかぁ」

遠い。ヨーロッパとアジアという時点で遠いのはわかりきっていたことだが、稀にしか会えないのは寂しいことだ。ココにも日本の美しい自然を見せてやりたかった。

最後に会ったのは一体いつだったか。もう随分前だったような気がする。地球儀や地図を見れば、さほど遠くないように思えても、実際の距離は凄まじい。それは軽くもどかしさすら感じてしまうほどに。

キャスパーは少し落ち込んだ様子のナマエを見て、小さくため息をついた後、腰を屈めて彼女の横顔を覗き込んだ。

「そんなにココに会いたかったのかい?僕の隊に不満でもできたのか?」

脳に直接響くような声に、ナマエは顔をうっすらと朱に染めながら、力強く首を横に振る。

「いえいえ!不満なんてないですよ!私はいたくてキャスパーさんの傍にいるんですから」

はにかむナマエ。全く持って彼女はズルい女だと思った。こう言われてしまってはもう何も言い返せないに決まっているのだから。
やれやれと本日二度目のため息をついて、彼は指を地球儀に滑らせる。そしてアジアからヨーロッパ間を指で静かになぞった。

「ナマエ、そこまで心配しなくても会おうと思えばいつだって会えるよ。太陽と地球ほど離れているわけじゃないんだからさ」

世界はめまぐるしく発展を続けている。船から始まり列車に自家用車、果てには飛行機なんて物まで作り上げてしまった。手段など幾らでもあるのだ。ただ、こうして地球儀をなぞる時間よりかは時間がかかってしまうだけで。

こうして考えてみると、地球儀は本当に素晴らしいアイテムだと思う反面、地球を縮小しまったが故にナマエに悩みのタネを植え付けてしまったのか。何とも不思議なアイテムだ。人間の視野を広くも狭くもするのだから。

「確かに、そうかもですね」なんて困ったように笑うナマエにつられてキャスパーも困ったように笑う。そして彼は相変わらず下から自分を見上げる彼女の頬を両手で包み込んで、ソッと額にキスをした。

「キャスパーさん…?」

ほんの少し瞳を潤ませて、ナマエはジッと彼を見つめる。

本当に、愛おしいと、そう思った。この顔が小さな悩みで歪むのはもったいない。彼女に一番似合うのは笑顔なのだ。それ以外はありえない。

前髪にさらりと軽く触れて、彼はゆっくりと口を開く。

「フフーフ、かわいらしく嘆く暇があるなら、頭を使って、そして行動しなくちゃあ」

「ふふ、はい!たった今キャスパーさんのお陰でそれを実感しました」

そうして、彼は優しく彼女の頭を撫でて地球儀を目一杯回転させた後、部屋を出て行った。

部屋に残されたナマエは少し熱くなった顔を手で仰ぎながら、横目で動きを止めかけている地球儀を見る。ゆっくりゆっくりと活動するそれは、まるで本当の地球の自転のようだった。

「今この時も…地球は…私達は回ってるんですよね」

ぽつりと、誰にともなくそう呟いて

ナマエは動きを止めた地球儀を



もう一度目一杯指で弾いた。


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