馬で移動する人々を道脇で歓迎する人々。これが素敵なカーニバルであったならばどれだけよかったことだろう。
「…まるで英雄だわ、私達」
人の歓声と馬の蹄の音に掻き消されてしまいそうな声量で呟かれた言葉は、それでも隣の彼の鼓膜を揺らすのには十分だったようで、レイラの言葉にリヴァイは不機嫌さを隠すことなく舌打ちをした。
「…うるせぇんだよ」
ただの自殺集団から一転して今度は英雄扱い。どうにも好かない。きっと彼らは調査兵団が何の成果も上げなかった時はまた前のように忌み嫌うに違いない。
どうにもわかりやすい世界だ、素晴らしすぎて笑えてくる。
そんな彼らを命を賭して守ろうとするレイラも。
いや、そんなものはただの強がりか。本当はただイラついているだけなのだ。全員が全員そうではないが、彼女が全てをかけているのにも関わらずそれを知らずに罵る連中に。
こうして考えてみると、自分は最近彼女のことばかりだ。そしてその度イラついたり心揺らされたり。はっきり言って馬鹿げている。それをこんな壁外調査に行く途中にすら考えているのだから尚更。
この前の雨の時だってそう。
「落ち着かないな、こういうのって」
深い思考の渦に捕らわれそうになったところで、現実に引き戻したのは彼女の声。
レイラは困った風に眉を下げて手を振る住人達に笑みを向けていた。
彼女自身わかっているのだろう。この調査から帰ってきた時、彼らの表情がどう変わるのか。
期待し、裏切られ、すがるもののない中でまた期待を抱く、これから先はきっとそんなことの繰り返し。どんなイレギュラーが起こるかわからないので断言することはできないが、あながち間違いでもないだろう。
そうして何かリヴァイが言葉を紡ごうとするよりも早く、レイラがひどく無感情な声音でそれを遮った。
「…何を求めてるんだろう、みんなは私達に」
答えは至極簡単なものだ。巨人の全滅、又は居住地の奪還。それ以外にはない。
失った者は二度と帰ってくることはない。だからこそ人々は恐怖と憎しみのない交ぜになった怒りを奴らに与える術を欲している。
それを素直に伝えたとて、彼女が求めていた答えになるかはわからなかったが、リヴァイはゆっくりと口を開いていった。
「あいつらを殺して、壁を奪還することだろ」
「…そう、そうなんだよね」
僅か瞳を揺らして「うん、頑張ろう」とだけ呟くと、それきり彼女が口を開くことはなかった。
そしてちらと一瞬リヴァイの後方のペトラ達の方へと一瞥をやってパカパカとほんの少し早く馬を走らせ、エルヴィンの元へと行ってしまう。
最近自分が彼女を考えてしまうのと同じように、どうにもレイラもあの新兵達のことが気になっているようだ。言葉には出さないが、多分そうなのだと思う。
いや、もう彼らは新兵ではなく、立派な兵士か。もしかしたらあの視線は巣だってしまった子を想うものなのかもしれない。どちらにしろ、負の感情をうまく隠してしまう彼女の真意を知ることは難しいのだけれど。
やがてリヴァイは近づいてきた門と遠ざかるレイラの背を静かに見つめて、小さく舌打ちをしたのだった。
リヴァイよりも不機嫌さを全面に押し出して馬を歩かせる男が一人。
ルイスは隻眼に苛立たしげな怒りの色を塗り込めながらすぐ前を歩くザジやペトラ達に声を投げた。
「うぜぇな、あいつら本当に」
本当にレイラが守る価値があるのだろうかという感情もその言葉には込められていたのだろう。少なくとも、前を歩く彼らにはそう感じられた。
だがそんなぴりぴりとしたルイスの怒りは人々の歓声に簡単に飲み込まれてしまう。それがきっと余計に彼にとってみれば不満に繋がるのだろう。
「先輩、それ多分分隊長の前で言ったら怒られますよ」
「わかってるよ。だからお前らに言ってんだろうが」
皺寄せが全てこちらに来ることはザジにはもう慣れたものだったので彼だけは薄く笑って済ませたが、ペトラ達は未だに畏縮してしまっている。
それにザジには彼がイラついている理由がこのことだけではないことを知っていたから。
レイラが最近嫌にペトラを意識していることも、彼は気になっているはず。
彼女がリヴァイに対してどんな感情を抱いているのかはわからない。尊敬の先にある恋情にたどり着いているのかは誰にも知ることはできないのだ。だからこそ、得体の知れない焦りだとか恐怖だとかいったものが生まれてきてしまう。
そしてもしそれが本当に恋情だったとしたら、それにレイラが気づいてしまったら、一体どうなるのだろう。きっと彼女は彼らを応援してしまう。己の内にある儚げな違和感など簡単に奥へと追いやって。
恐らくルイスはそれが気にくわないだけ。自分だってそうなのだから。他人のことに自分が勝手にあれこれ口出ししていい身分ではないし、壁外調査前にこんなことを考えてはいけないのはわかっているけれど。
余計な考察を中断させるために緩く首を横に降って再度ザジがルイスを見た時、彼はじっと住民達の方を見て、やがてほんの少し口角を上げていた。
「どうかしたんですか?」
声をかければ、返ってくるのは無機質な、でもどこか温かな返事。
「前に話したろ、今年エレンって奴が入ってくるって。ほら、あいつだ」
人混みの中、指差す先にいたのは三人の訓練兵達。
どちらがアルミンかミカサかはわからないが、なんとなく、エレンは中央の少年なのだと理解できた。
彼らはルイスに指を指されていることに気づいたのか、胸の前に手を当てて敬礼をしてみせている。意志だけならば自分よりもずっと上の気がして自然とザジは苦笑してしまう。ルイスに言ったら実力もだと言われて余計挫けそうなので黙っておくが。
「帰ってきたら、楽しみですね」
誤魔化すようにそう言えば、ルイスはさっきほどの苛立ちは露にせずに頷いた。
そして彼は僅か馬を走らせてペトラ達の横に並ぶ。
「お前らも、後輩がまた増えるって時にくたばんなよ?」
「ル…ルイスさんやめてくださいよ縁起でもない!」
「大丈夫ですよ、生きて帰らなきゃ意味がないってのは全員わかってるし、リヴァイ兵士長だっているんですから!」
これを盲信、というのだろうか。いや、言い方が悪いか。憧れとはいいものだが同時にひどく残酷だ。裏切られた時の反動など計り知れないのだから。
だが、彼らは己の鏡だと、ルイスは常々そう想っていた。相手が違うだけで自分と彼らに違いはない。もっとも、自分がリヴァイに憧れるなどありえないし、彼とレイラを一緒にしてほしくもないのだけれど。
自嘲するような笑みがこぼれて、すぐに消える。
そうしてルイスは鋭さを増した瞳をペトラへと向けた。
「ペトラ、お前、あんまり分隊長を悩ませんじゃねぇぞ」
「どういうことですか?悩ませたつもりはないんですけど…」
わからなくて、理解できなくて当たり前だ。もし確信犯だったなら今頃死ぬより辛い目に合わせているはず。
そんなことは言葉にできるはずもなく、ルイスはやっぱり自嘲気味に笑って帽子のない頭に手を当てた。
「ま、素直にってことかな。変に隠すな」
意味がわからないという風に首を傾げるペトラ。
だがルイスがそれ以上言葉を紡ぐことはなく、あとには歓声と蹄の音だけが残る。
やがて兵士達の前には
非日常的な無機質な扉が立ちはだかっていた。