01
「大丈夫ー?」

机に突っ伏して唸るルイスにレイラがそう一言。

本当に小さく、そして見たこともないくらい弱々しく彼は頷く。

そんな彼を眺めながら、ザジはただ苦笑するしかなかった。

「僕こんな弱ってる先輩初めて見ますよ…」

今ならルイスに勝てるかもしれないと、本気でそう思う。
口に出したら我が身がどうなるのかわからないので黙っておくが。

どうやら原因は二日酔いらしく、ルイスといえども、打ち勝つことはできなかったようだ。

「珍しいね。そんなになるまで飲むなんて」

「いやぁ…ロキと飲んでるとつい自分の限界を見失うというか…ペースを乱されるというか…あいつがザルだっての忘れてたんス…」

「あぁー…そうだね、ロキのお酒の強さは規格外だからね」

普通に話している二人の横で、ザジは一人あまり聞き慣れない名前が出てきたことに首を傾げた。

二人がこうして日常会話をする上でこの“ロキ”という人物の名前はよく出てくる。

調査兵団にそんな名前の男はいないはずだから、きっと憲兵か駐屯兵だろうことはわかっていたが、それ以外のことは謎だった。
ルイスとこうして対等、いや、もしかしたらそれ以上の関係を築けているということは彼もまた、相当クセのある人物なのだろうことは想像に難しくないが。

そんなことを考えながらついにロキについて問おうとザジが控えめに口を開きかけた時、ゆっくりと部屋の扉が開けられる音が静かな部屋に響いた。

「ルイスいるかい?」

そこには見慣れたハンジの姿。彼女は入るなり机に突っ伏してぐったりとしているルイスを見て苦笑した。

「はは、二日酔いかな?随分懐かしいね、この光景」

「笑い事じゃねぇッスよ…で、何スか?くだらねぇ用件なら動かねぇッスよ」

二日酔いではなくとも普段はレイラ絡みでないと行動しない彼。今日は一段とその雰囲気が出ている。

だがこちらとしても用事の方を放っておくことはできない。ハンジは特に申し訳なさそうにする風でもなく、にこやかに笑みを浮かべて口を開いた。

「巨人について新しい仮説を立ててみたんだ。そのことでルイスの頭脳を借りたくてね」

巨人の生態調査。ハンジが行っているこの調査は時に隊全体に大きな影響を及ぼす。
巨人にとって有効な攻撃は何か、うなじ以外の弱点、奴らの基本動作、奇行種と通常種の違い。彼女がしていることはそういったことを調べていく、なくてはならない大事な役割だ。

いくらルイスといえども、役割の重要性はよく理解している。レイラが安全に、且つ幸せに暮らしていける世の中を作る為に必要なことだと思えば、到底どうでもいいことだと受け流せなどできない。

「…いッスよ」

「ありがとう。じゃあ黒板とか使って説明したいから、ちょっと辛いとは思うけど移動してもらおうかな」

今の己の状態で果たしてうまく頭を動かせるかは甚だ謎だが、ルイスはゆっくりと重たい体を起こして、レイラに瞳を向けた。

「じゃ、分隊長、ちょっと行ってくるッス」

「うん。でもあんまり無理しないでね。本当に苦しかったら休むんだよ?」

まるで子供扱いされているような言葉も、彼にとってみれば何よりも温かな言葉でしかなくて。
このたった一言で、自分の世界は全て救われたような気分になる。

頭は相変わらずズキズキと痛む。だけれど、そんな痛みなど他人に気づかせないほど穏やかに笑って、ルイスはその鮮やかな黄金色の目を細めた。

そうして二人揃って部屋を出て行く。室内にはレイラとザジだけが残された。

「先輩って何だかんだで兵団に重宝されてますよね。すごいなぁ…」

高い戦闘能力、優れた頭脳、度胸。どれをとっても一級品だ。もし、彼がレイラと出会わず、普通に自分の意志で調査兵になっていたならば、彼の身分は今頃相当なものとなっていたことだろう。自分とは何もかもが正反対で、羨ましくなる。

「そうだね…だから私もいつかルイスは班長や分隊長になって今とは別の形で一緒に戦っていくんだと思ってた」

だが彼がそれを望むことはなかった。あくまでもレイラの隣で、部下でいることを望み、それ以外は何もいらないと、そこまでルイスは言い切ったのだ。

それはまるで敬愛という名の見えない鎖のようで。当初はその事にひどく罪悪感に似た感情を抱いていたが、それが彼の本心からきている願いだと知った時は大層嬉しかったし、同時に安堵したものだ。

思えば、初めから悩む必要はもしかしたらなかったのかもしれない。レイラも似たような感情を抱いたことがあるから。

「私も、エルヴィンに憧れてるからなぁ…ルイスの選択に文句なんか言えないんだ。何となくわかっちゃうから」

彼の隣に立ち戦いたい、部下になりたい。ただそれだけを願った幼き頃の自分。いくら主席で訓練を終え、憲兵になれば良い待遇を受けられると言われても、自分はこうして変わらずに調査兵になったことだろう。

そうして考えてみれば、厳密には違うけれど、おおよそは、ルイスも自分も同じようなものなのだ。

「先輩のは“憧れ”なんて生温いものじゃない気もしますけど…」

苦笑しながらザジがそう言った時、控えめなノックの音が響いて、再度扉はゆっくりと開かれる。

「あ、エルヴィン。どうしたの?」

隙のない雰囲気を纏ったエルヴィンが静かに部屋へと足を踏み入れる。

「レイラ、これを」

「あ、そういえば頼んでたね。ありがとう、エルヴィン」

手渡された書類に軽く目を落としてから、レイラは柔和な笑みを彼へと向けた。

やがてペラペラとページを捲る彼女を見つめながら、補足するようにエルヴィンは再度言葉を紡いでいく。

「あと、リヴァイが探していたみたいだぞ。報告書に不備があったそうだ」

彼女が報告書に不備だなんて珍しい。いつもはそんな些細なミスはしないというのに。確かにここ一年は奪還作戦後の慌ただしさほどではないが忙しかったのだけれど。

それこそハードな壁外調査が増えた。一ヶ月はザジも休養していたし、それがまた負担となってしまっていたのだろう。

「本当に!?不備かぁ…じゃあこれからちょっと行ってくるよ。ふふ、なんか今日はみんなバタバタしてるね」

ハンジがルイスを呼びに来たり、エルヴィンが自分を訪ねてリヴァイに呼び出されたり。

本当は今日は部屋でコーヒーでも飲んでゆったりするつもりだったのだが、致し方あるまい。

「みんなともっとたくさんの時間一緒にいたいんだけど…なかなかうまくいかないもんだね」

困ったように二人に笑いかけるレイラ。ザジはそんな彼女にかける言葉が見つけられないでいたが、エルヴィンの方は彼女の心情など全てわかっているとでも言うように力強い瞳でレイラを見る。

「時間は確かに有限だ。だが同時に無限でもある。焦ることはない。これから共有していけばいい」

瞬間、レイラの瞳に輝きが増す。子犬のよう、なんて形容したら失礼かもしれないがそんな印象を受けた。

嬉しそうに口元を緩ませながらエルヴィンの言葉に耳を傾ける彼女はザジの見てきたどんな彼女よりも女性らしかった。

いつか聞いたことがある。「分隊長は団長のことが好きなんですか」と。もちろんレイラは否定したし、未来永劫そうなる可能性はないとまで断言していた。

だが彼女のこんな態度を見ていると、到底そうとは思えない。憧れが恋心に変わらないなど、一体決めつけられる人間などどこにいる。実際ルイスがいい例だ。
彼は恋愛に興味はなくとも疎くはなかったからレイラに対する自身の想いをはっきり自覚できたのだ。

もっとも、自分がこうして偉そうに他人の恋愛事に関して考察していいほど経験豊富なわけはないのだけれど。

「あとはよろしくね、ザジ」

「え、あ…」

ハッと我に返った頃には、もうレイラの姿は扉の向こうへと消えていた。

声をかけるタイミングを失って視線をさまよわせれば、エルヴィンと目が合う。
思えば彼と二人になるというのは今までなかった気がする。そう考えるとザジの体は自然と畏縮していった。

「最近はよく訓練するようになったそうだな」

唐突な彼の言葉に小さく体が震える。

確かに以前よりかは熱心にするようにはしている。ただ、あまり目立たないようにこっそりとやっているはずなのだが。知らない間に見られていたのだろうか。

「レイラ達の為か?」

「…はい。少しでも皆さんに…レイラ分隊長に近づきたくて」

足手まといにだけはなりたくないから。せっかく持つことのできた繋がりをなくさないために。

「そうか。レイラは君にとって、尊い存在になったようだな」

尊い存在。彼の言葉が頭の中を駆け巡る。

そんな存在なのだろうか。彼女は己の中で。
いや、多分違う。何が違うのかすらわからなかったけれど、エルヴィンの言っているそれとは違うと断言できた。

「僕にはそんな存在はいませんよ。いくら分隊長でもきっとそうなることはないです」

レイラのことは大好きだ、尊敬もしている、共に戦いたいと願ったりだって。

だが、素直に全てを受け入れその相手の存在価値を心の中で認めてしまえるほど自分は綺麗にできていないのだ。

ただ怖がっていると言ってもいい。己のそんな独りよがりな感情が相手を苦しめる原因と成り得るとことを恐れているだけ。やっと手に入れた大事な人達をまた失うことが何よりも恐ろしいから。

「団長は、レイラ分隊長のことが大切ですか?それとも、必要な犠牲としていつでも切り離せるような存在ですか?」

これ以上自分のことについて聞かれたくなかったから、今度はザジの方から質問する。

一兵士が団長相手にするような質問ではないとわかってはいたが何となく気になっていたこと。

「彼女を失っても余りあるほどの戦果を得られるというのなら、そうしよう。だが…」

真っ直ぐにザジを見る彼の瞳はとても力強かった。

「そうでないのなら、失うには惜しい存在だ」

きっとこの言葉をレイラが聞いていたならば、嬉しさの余りどうにかなってしまっていたことだろう。

簡潔な中に、たくさんの想いの集約された言葉を静かに受け取ってザジは口を開いた。

「団長は…」

やがてゆっくりと開きかけた口を閉じる。
多分聞かない方がいいような気がしたから。

「いえ…何でもないです。えっと…次の壁外調査も、頑張りますので、よろしくお願いします」

近く迫った壁外調査。何度行ったところで慣れてくれやしない。生きようと、そう決めてからは余計に巨人への恐怖が増した。

それでも戦わなければ、レイラを守らなければ。怪我など負わせれば皆から何を言われるかなどわかったものではないのだから。

やがて短く返事を返したエルヴィンは静かに部屋を出て行った。

残されたザジは、緊張感から解放されたように大きなため息をついて、窓の外の景色へと目を滑らせる。

「団長もやっぱり何だかんだでレイラ分隊長のこと大切なんだろうなぁ…」

けれど彼は初めから完全に諦めきっているのだろう。彼女が自分に対して向ける感情は憧れだけなのだと。

誰にともなく呟いた言葉はただ空気に溶けて消えていく。
それでも構わずに彼は言葉を続けた。

「けどきっと団長は気づいてないんだよね…」

レイラがエルヴィンに対する時の態度が、一番彼女が砕けている時なのだと。


やがてザジは目を細めて空を見る。
次の壁外調査まで時間はあまりない。気を引き締めなければ。

そうして書類整理を再開しようと窓に背を向けた時


晴天だった空からは

大粒の雨が何かを伝えるように

強く降り始めていた。


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