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「誰が頭を上げていいと言った」

土下座をする後輩の頭に足を容赦なく乗せる先輩。そしてそれを苦笑しながら見守る上司。

「いや…あの…先輩、一応僕けがして…足とか腕とか折ってるんです…けど」

「頭蓋骨は折ってねぇんだな、なら問題ねぇじゃねぇか」

ぐりぐりと、ブーツの靴底でルイスはザジの頭を踏みつける。ザジの方は半ば床に這いつくばりながら痛みに耐えていた。あのリヴァイでもここまではしないだろう。ルイスの容赦のなさにレイラはやはり苦笑するしかなかった。

何故こんな状況になったかというと、時はちょうど太陽が一番高い所まで昇った時間帯まで遡る。

壁外調査後、救護班にて医務室に運ばれたザジは傷の処置を施され、その後三日間、まるで死んだように眠っていた。本人にとっては時間が経った感覚は全くと言っていいほどなかったのだが、ドクターがそう教えてくれた。そして、その三日間ほぼ毎日のように長い時間自分の隣でレイラとルイスが心配そうに起きるのを待っていたことも。

それを知った彼はドクターの制止も聞かず、すぐさま医務室を飛び出していった。飛び出したと言っても足を引きずり、だらしなく腕を垂れ下げながらだったが。

あの住み慣れた部屋の扉を開けて、ザジが最初にしたことは「すいませんでした」という謝罪と土下座だった。ちょうど話し合いをしていたのか、部屋の中にはいつもの二人組だけでなくリヴァイとエルヴィンもいた。

四人は一様に驚いたような表情を浮かべていたが、レイラは入ってきた彼を泣きそうな目で見つめ、ルイスは特に反応はなかったが、瞳には嬉しさに似た感情が塗り込められていた。

そうして、そんなザジの頭にルイスの足が乗ったことにより冒頭のような状況が出来上がる。

「戻ってくるのが遅ぇんだよ、アホ」

「…で…でも二年前は先輩一週間近く眠って…」

「けがの度合いが違いすぎんだろうがよ。骨折ったくらいで三日も寝てんな」

それきり部屋の中に沈黙が落ちる。いや、ただ誰も次の言葉を見つけられていなかっただけ。
ザジにかけてやる言葉も、そしてそんな彼がレイラに紡ぐ言葉も。

そんな重々しい雰囲気の中で、ルイスは苛立たしげに眉間に皺を寄せながら足をどける。それでもザジは頭を下げたままだった。

「……どうして何も聞かないんですか…?」

やっとのことで絞り出した言葉は、明るい空とは対照的に、掠れていて暗く沈んでいた。

何故彼らは自分に対して何も聞いてこないのか。知りたいけれど心のどこかではその答えを受け入れることを拒絶している。知ってしまったら、自分がどうなってしまうのか恐ろしくて。

もしかしたら自分のことなどどうでもいいと思っていたのだろうかと、悲観的な考えすら浮かんできた。
いや、それはきっとないのだろう。単純にそれは裏表のない純粋な優しさ。皆踏み込んではいけない一線を守って、ザジの心を抉らないようにしているだけ。

リヴァイには少し語ったは語ったが、レイラ達が何も知らないのを見るに、黙ってくれていたのだろう。

「興味ねぇんだよ、お前なんか」

冷ややかで、それでいて怒りを内包した瞳で静かにルイスはそう言う。

そんな彼の頭を「言い方が悪い」と軽く叩きながらレイラは椅子から立ち上がってゆっくりとザジの前に立った。

「ねぇザジ、私達にはあなたが何を考えてどう行動するかを知ることはできない」

優しい優しい声音。だけれどそれは確かにザジの傷を開いていく。

「あなたが自分で判断して行動したんだって言うのならそれを私達が問いただして聞き出すようなことはしない」

やめろ、やめてくれ。そんな言葉なんか聞きたくない。そんな優しさに満ちた瞳を向けられたくなんてない。そんなのどうせ偽りの中途半端な信頼なのだ。いてもいなくても変わらない存在なのだし

自分には他人からそんなにも想われる価値などないのだから。

「だから、ザジが話したいと思った時に教えてくれればいいよ」

つくづく彼女は綺麗な人間だと思う。恐らくこんな人にはあと何年生きていようと会うことはできないだろう。
優しさで塗り固められたような性格。誰もがその背に己の命を預けて生きていこうと思わされる。それだけ影響力のある人だと思う。だからこそルイスもリヴァイもエルヴィンも、皆レイラを信頼している。

だけれどそんな彼女は歪みきった彼には、心からの優しさを知らないザジという人間にとっては心を抉られる存在にしかならなくて。

縋りたい。その優しさに、強さに縋ってしまいたい。なのに心のどこかで、こんな自分に優しくなんてしてくれる人などいるはずがないという想いが、そんな己の卑屈さが邪魔をする。
だって、今まで自分にこんなことを言ってくれる人なんていなかったから。

「私達はみんなザジのこと信じてるからさ」

ゆっくりと伸ばされるレイラの手。優しきその手は静かに空を切ってザジの色素の薄い金髪へと近づいてくる。

「違うッ…!!」

レイラの一言は押し留めていた自分の感情を爆発させるには十分だった。

一際大きく、それでいて乾いた音を立てて弾かれるレイラの手。それはザジからの確かな拒絶。払われた手からは、彼の戸惑いの念が伝わってくるようだった。

「僕は…皆さんが思ってるような人間なんかじゃない…!」

視界が滲みだす。本当に緩い涙腺だ。一体どれだけ無意味な涙を流せば気が済むのだろう。悲しくなんかないはずなのに。

「僕はただ…ただ死のうとしただけだったんだ…」

レイラ達が考えるほど深い理由なんかそこにはありはしない。何を思い、どう行動したかの根拠など、そんなものは簡単なこと。

それはどこまでも独りよがりで、同時にレイラ達への、いや、人類への明らかな裏切り行為。

「なるほど。だからあの時お前はあんなこと言ったわけか」

自分を犠牲にしてあの謎の巨人を倒せばよかったと、ザジが言ったあの一言を思い出してルイスは不機嫌そうに目を細める。

「“何で死のうとしたのか”なんて聞くつもりはねぇ。けど…」

そこで一旦言葉を区切って彼はザジの前に屈む。

「お前は今もまだ“死にたい”と、思うか?」

どくんと、心臓が跳ねた。死のうとしたわけを問われることなんかより何倍もその言葉は己の心を揺さぶる。

“今も死にたいのか”
どうだろう。わからない。多分死にたくはないのだと思う。

巨人の手の感触は未だに忘れられない。それはきっと一生。あんなに恐ろしい思いをしたのも初めてで。だけれどそれは自分が望んでいたことだったはずだった。一方的に生を終わらせてくれる存在に焦がれていたはずなのに。

「……死にたく…ないですっ…」

呟いた言葉は静かな室内に溶けていく。みっともなく泣きじゃくりながら顔を上げればリヴァイと目が合う。

それと同時に、救護班に運ばれる直前に彼が自分に言った言葉が思い出された。

「……僕はっ…!!」

リヴァイの言葉と、巨人と対峙したあの時に気づいていたこと。もうくだらない被害妄想でそこから目を背けていることはできなかった。
“信頼”なんて、“居場所”なんて本当はとっくに手に入れていたのに。自分はちゃんと、彼らの“仲間”だったのに。

言いたいことを上手く言葉にできない。こんな気持ち自分は知らない。

「私達は万能じゃない。いくら近しい人だからって、その人が何を考えてるかなんて言ってくれないとわかりっこないの。無理に聞き出すようなこともしたくないから結局は待つしかないんだけど…これだけは教えてほしい」

柔和な微笑みを湛えたレイラ。彼女はルイスと同じようにザジの正面で屈み込む。
涙でよく表情は伺えなかったけれど、そこには確かな慈愛が込められていた。

「死にたくなら、ザジは今どうしたいの?」

答えなど、もう決まっている。今自分が、いや、これから自分がどうしたいのかなんて。
本当はずっと、それを願っていたのだから。

「皆さんと一緒にっ…戦いたいです!僕も!僕も一緒にっ…!!」

情けなく涙を流して。こんなの兵士でも何でもない。これではまるで子供のわがままだ。

それでもレイラは笑っていた。リヴァイやエルヴィンは表情こそ変わらなかったけれど、瞳は確かに優しさを帯びている。

そして次の瞬間には頭に軽い衝撃。痛くはない。頭に何かが乗せられたのか。

「最初から戦ってたよ、お前は」

脳に直接響くようなルイスの声。
彼の頭にはあるべきはずの帽子が乗ってはいなかった。ソッと自分の頭に手をやれば、そこにはルイスの帽子。

彼がレイラの次に大事にしているそれ。誰にも触れさせもしない帽子を何故自分に乗せたのか理解できなかった。

「俺は分隊長以外どうでもいいし、誰がどこで死んだって興味もない」

「それは…知ってます」

何度分隊長の足を引っ張ったら殺すと言われてきたことか。彼ならきっと本当に殺すだろう。

だからこそ、実質レイラの足を引っ張ったと言っても過言ではない自分が今当然のようにルイスと会話しているのか、不思議だった。

「けど、それでも、俺は仲間が死ぬ所はもう見たくねぇんだ」

「だからもう勝手に死のうとすんな」と言って、帽子の上から乱暴に頭を撫でられる。

こんなの反則だ。いや、ただ自分が気づくのが遅すぎたのか。怪我をして始めてこんな大切なことに気づかされるなんてくだらないにもほどがある。

だが、この事実は確かにザジの心を溶かしていった。それならば腕や足の骨の一本や二本安いもの。

「すいません」と、また謝罪の言葉を口にしようした時、静寂を打ち破る音が部屋に響いた。

「ザジさん!目を覚ましたって本当ですか!?」

「ちょっとオルオ邪魔!私が先に…!!」

「静かに入れよお前ら!」

「エルド、お前もな」

がやがやと部屋になだれ込んでこんでくるエルド、グンタ、ペトラ、オルオの新兵一同。

そんな四人の後ろからはハンジとミケがついてくる。

「やぁザジ、調子はどう?」

「いいわけないでしょ。みんなしてどうしたの?」

「あの四人が気になって仕方ないとうるさかったからな」

「んでハンジ分隊長とミケ分隊長も気になったから一緒に来たってとこッスか」

「は、暇な奴らだ」

「そう言うなリヴァイ。お前も少しは気にしていたんだろう?」

「別に」

「うわー…素直じゃないッスねぇ」

「ルイス、殺すぞ」

広がっていく喧騒。状況が上手くのみこめずに一人取り残されたザジは、ただ目を丸くしながら目の前の光景を眺めていることしかできない。

やがて、そんな彼に視線を投げて、レイラは嬉しそうに笑った。

「みんなザジを待ってたんだよ」

ハッと我に返る頃には、皆の視線は全てが自分の方へと向いていた。


「おかえり」


あ、ダメだ。また泣く。いつから僕はこんなに泣き虫になったんだっけ。


欲しかったものはずっとそこにあったのに、僕はそれに気づいていないふりをして、本当に馬鹿みたいだ。
初めからみんなはちゃんと僕を見ていてくれたのに。

でも僕は臆病で卑屈な人間なんだ。きっとまだみんなはそれを知らない。
だけどいつか全部話すから、自分の言葉で。


涙でもう誰が誰だかわからない。

でも僕の胸は感じたことのない感情で満たされていく。こういう気持ちを何て言うんだっけ。
そう、それは僕が今まで一度だって感じたことはなかった感情。


「はいっ…ただいま…帰りました…!!」

あぁ

僕は今“幸せ”だ。


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