06
もうすぐ橙の色が世界が包み始める頃、人類最強の男と、女性の中だけと限定するならば、人類最強だと思われる女は向かい合ってコーヒーを飲んでいた。

今日の夕暮れは何だかいつもと違う。いつもはこんなに紫がかっていない。それは暗に、もうすぐ季節が移りゆくということを示唆していた。

空を見て、それからコーヒーに目を落としても、それが色を変えることは決してない。黒はどこまでいっても、どの色を映しても結局は黒にしかならないのだから。

「…で?何故わざわざ俺のとこに来て茶会をやってんだ」

ルイスと話していた時にやって来たレイラ。何か緊急の報告か何かだろうかと思っていたらただ単にコーヒーを飲まないかと誘われただけだった。

ルイスも大層残りたそうにしていたが溜まった仕事があるからとレイラに追い出され、今この部屋にはリヴァイと彼女の二人だけが残されていた。結局なんだかんだとしている内にいつの間にかこうして、静かな二人だけのお茶会が開かれてしまっている。

「エルヴィンに疲れてるだろうから休めって言われちゃって。せっかくだからリヴァイと一緒に休んじゃおうかなって思ったんだ」

「リヴァイだって疲れてるものね」なんて言ってレイラはカップを両手で持ちながら柔和な笑みを浮かべた。

全く持って呆れてしまう。自分が休めと言われたのに、言われて彼女はすぐに他人の心配もしたというのか。一体どこまでレイラは自分という存在を投げ出せば気が済む。だから彼女は兵士に向いていないのだ。
ただ、彼女は昔からそうだった。それがブレないのは単純にすごいとは思う。

こんな世界にいれば誰だって荒んでしまうのはおかしくないことだ。それでもこうして強く在ろうとしているレイラ。

何が彼女をそこまで動かすのだろう。仲間、というのは少し違う気がする。そんなものはただの後付け要素だ。彼女が兵士となる上でついてきて、それが結果としてレイラという人格をより強く形作る為の要因となったにすぎない。問題なのは原点だ。彼女が腐りきった世の中で兵士を志した訳。彼女が子供だった頃はまだ巨人に壁を破壊される以前だ。わざわざ外に出て巨人とご対面しようなどと普通は思わない。

そういえば聞いたことがなかったとリヴァイは思う。この際だから聞いてみてもいいかもしれない。どうせこのお茶会はもう暫く続くだろうから。とは言っても、大体の予想はもうついているのだけれど。

「お前は、何で兵士になろうとした」

自分でも唐突な質問だったと思う。目の前のレイラも目を丸くしてカップを口元に持っていこうとした手をとめていた。それでも彼女は驚いたのは一瞬で、顔にはいつもの笑みが浮かんでいる。

「私はね、エルヴィンみたいになりたかったの。だから兵士になったんだ」

予想は当たっていた。レイラがエルヴィンに憧れているのは知っている。自分だってそれは同じだった。エルヴィンに憧れる、というのとは少し違うが彼に付き従っていこうという意思は彼女のそれと正しく同義。

「ふふ、ちょっとだけ昔話聞いてくれる?」

何も言わずにただカップに口をつける。それを無言の肯定と受け取ってレイラはゆっくりと口を開く。その顔は昔を懐かしむだけの感情が含まれているだけではなく何か他のもっと大きな感情も含まれているように感じられた。

「本当言うとさ、私いつから兵士を目指したとか覚えてないんだよね」

いくら記憶を手繰り寄せても肝心の最初の理由にはたどり着くことができない。りっぱな理由があったのならば覚えていられたのかもしれないけれど、そうではないということはきっかけはきっと些細なことだったのだろう。

「ちょっと恥ずかしい話なんだけど、あの頃の私って調査兵団の人達が英雄みたいに見えてたんだよね。あれだけ毎回沈んだ空気で街に戻ってきてたのに」

「そりゃおめでたい頭だな」

もちろん今となってはそんなことは微塵も思っていない。
ただ、幼き頃の自分には限りなく彼らは英雄に見えていた。安全だと信じられていた壁の外側に出て命を危険を冒してまで人類の自由の為に動いてくれているのだと。

だが、壁外から帰ってきても、彼らの顔はいつだって沈んでいた。出て行った半分の数になったり、死んだ兵士の肉親が泣きながら当時の団長に罵声を浴びせていた光景だって珍しいものではなく。
だけれどその中で、彼の雰囲気は一際異質だった。その後のレイラの運命をねじ曲げてしまうくらいに。

「だからこそ、みんながみんな悲壮感を露わにしてたからこそ…余計に彼が輝いて見えたんだ」

彼のことが知りたくて。近づきたくて、部下になりたくて。そして彼のようになりたくて。ただがむしゃらに追いかけ続けた。気づけばもう自分は部下なんかじゃくて、彼の隣に立てる者の一人になっていた。

それが彼女にとってどれほど嬉しかったことか。多分言葉にするだけでは足りない。そう思ったからレイラはそれ以上何も言わずに、目を細めて笑いながらぬるくなり始めたコーヒーを一口飲んだ。

リヴァイはそんな彼女を無言で見つめる。柄にもなく綺麗だと思った。それと同時に、レイラのその微笑みはひどく彼の心を揺らす。

「お前は…」

言いかけて止めた。恐らく上手く伝えたいことを言葉にできないような気がしたから。

今の自分の中からは、先ほどまで感じていた茶会の穏やかな気持ちは消え失せていた。まるで白かった絵の具の中に黒を一点だけ落として薄いけれどはっきりとした灰色を作られてしまったような、そんか感覚だけが心を満たしている。

レイラの口からエルヴィンのことが出されてそれを嬉しそうに語る彼女に、心臓の一部を抉られたような、そんな感覚すら覚えていた。

「お前はエルヴィンが、好きなのか?」

やっとの事で絞り出した言葉は、聞きたいけれど何故だか不思議と聞きたくなかった事。幾度となくこの話題でからかってきたが、今だけは真剣に質問している自分に僅かながら驚いてしまう。

リヴァイの本気を感じたのか、レイラはほんの少しだけ目を丸くしてから、すぐに苦笑を浮かべた。

「それが仲間としての好きなら、答えはイエス。異性としての好きならノーってとこかな」

「は、相変わらず色気のねぇ奴だ」

「うるさいっ」

真っ赤な顔をして怒るレイラ。
口ではそう言っていたが、リヴァイの心は不思議ともとの色を取り戻していた。安心とか安堵とか、それに似た思いが灰色になっていたキャンバスを真っ白にリセットしていく。

一体自分はどうしてしまったのか。何故彼女の言葉や仕草でこんなにも心動かされる。前は何ともなかったはずなのに。次の壁外調査まであまり時間はない。変な感情に乱されている暇はないというのに。

すると、レイラは彼の心の中を読んだかのように、少しだけ真面目な顔つきになって口を開いた。

「そういえばさ、ついに一ヶ月後だね。新兵を連れて初の遠征は」

彼女の脳裏に昼間出会ったペトラ達四人の顔が思い浮かぶ。
壁外調査など一年に数多く行っているのでリヴァイやレイラのようなベテランにはもう慣れたものだが、新兵にとってはそうではない。果たして彼らは恐怖に打ち勝って刃を振るうことができるだろうか。

「生きて帰れりゃ上出来だろ」

「まぁそれはそうだけど、出来る限り私達がサポートしてあげないとね」

リヴァイは眉間に皺を寄せていかにもめんどくさそうな表情を作る。

だがそんな彼でも本当は誰よりも仲間想いなのは知っている。レイラはリヴァイのそういう所が純粋に好きだった。事実二年前の奪還作戦ではあれだけ日々喧嘩して関係が最悪だったルイスの命を救ってくれたのは彼なのだから。しかも人類最強の強さを有しているときた。

そんな彼だからこそ、憧れる者も多いのだろう。恐らくペトラ達も正義感と同時に、リヴァイのこの強さに憧れて入隊を決意したはずだ。

「ふふ、普段はこんな仏頂面で潔癖症なのにね」

「いきなり何言ってんだてめぇは」

「こっちの話」と軽く笑い飛ばして、レイラはふと、先ほどの話題を思い出してみる。自分がエルヴィンを好きなのかという問のこと。憧れが恋心に変わることはない。今も、そしてこれからも。

だから自分は今想い焦がれている人物はいないと断言できるが、果たしてリヴァイはどうなのだろう。いつもいつもからかわれる側だったので聞いたことはなかった気がする。

「ねぇ、リヴァイはさ、好きな人いないの?」

即答されるものだと思っていた。けれど返事はやってこない。リヴァイはただ、ほんの少し視線を下に下げて、何かを思案しているだけだ。

「いねぇ」

やっとの事で返ってきた言葉は、やはりレイラが想像していた答えと寸分違うことはなかった。

「あ、やっぱり?」

「だと思った」なんて言いながら笑うレイラ。リヴァイはやはりそんな彼女を見つめる。いや、見つめることしかできなかった。

彼女の質問は妙に己の心をくすぐったからだ。今まで悩んできたことが、レイラの言ったあの一言で片づけられてしまったような気がしたから。

だがそんなはずはないのだ。彼女はただの仲間で、戦友なのだから。

リヴァイはゆっくりと目を閉じる。

そしてまたゆっくりと開いて窓の外の空を見つめた。

濃い紫の色の空は

やはり変わらずに

ただ自分達を見下ろしているだけだった。


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