04
何でもない空を見上げてみる。そこには当たり前のように青が広がっていて、他には申し訳程度に白が散りばめられているだけ。

他の何者の侵入を許すことのなかったその青いキャンバスに巨大な顔が不躾に写りこんだのが昨日のことのように思い出せる。

(今も平和なんかじゃないんだよね…)

こうして考えてみると、結局人間は実質巨人に支配されているのだと今更ながらに思えてくる。
せめて奴らと会話ができたらと、そう思わずにはいられない。

小さくため息をついてレイラは腕の中の紙束をギュッと握りしめた。
巨人がウォール・マリアを破ってからは報告書を提出する量が格段に増えたものだ。

明るい空から目を離して、薄暗い廊下へと視線を戻す。不思議と目の前がぼやけて見えた。少し疲れているのかもしれない。

「おい、レイラ」

「あ…ネス」

調査兵団班長の一人、ネス。新兵の指導等も行っている者だ。

「どうした?しかめっ面して。何かあったのか?」

言われて慌ててレイラは表情を崩した。きっと眉間に皺でもよっていたに違いない。心配させてしまっただろうか。

「ううん、大丈夫。何でもないよ」

「そうか?ならいいんだが…あぁ、そうだ、お前ルイスのやつ見てないか?」

ネスから出てきた意外な者の名にレイラは少し驚いた。彼とルイスは特別仲がいいわけではない。ルイスの方が他人と一枚壁を作っている状態なので、無理もないが。

「今日は見てないな。ザジと一緒にどこか行くとは言っていたけど」

「そうか。なら見つけたら一応声かけといてやってくれ。“リヴァイ兵士長が探してたぞ”ってな」

「え、リヴァイが?ルイスを!?」

ますます理解不能になってきた。リヴァイがルイスに用があるなど稀だし、第一呼んだ所でルイスが素直にリヴァイに会いに行くわけがない。それはリヴァイ自身わかっているはずだ。

「変な話だろ?俺も笑っちまいそうになったよ」

笑う所の話ではない。雪でも明日降るのではあるまいか。
何にせよ、早々にルイスを見つけてリヴァイの前に連れて行かなければ。他の誰かが伝えたとしても彼が行くわけないのだから。

「ならこれエルヴィンに渡したら私、探してくるよ」

「おいおい、別にレイラがそこまでする必要はねぇだろ。お前疲れてんのに…」

疲れているのは皆同じだ。このご時世に休息などありはしない。それに動いていないと落ち着かないというのもまた事実。

「いいのいいの、あの子は私の部下だからね」

まだ気まずそうにしているネスに優しく微笑みかけてレイラは「じゃあ」と言って彼の横を通り抜けようとする。

その時、薄暗い廊下が少し明るく感じるほどのにぎやかな声が耳に入り込んできた。目には前方から四人の隊士が映り込む。一人の女にあとは全員男。大体隊の兵士の顔は覚えているが彼らは自身の記憶の中には存在しなかった。

「あれ…見慣れない子達だなぁ。ネス、彼らは新入り?」

「ん?あぁ、そうだ。まだ壁外に出たことはないがなかなか見所のある奴らだとは思うぞ」

頼りになる仲間が増えるのは喜ばしい。彼らは巨人の恐怖を乗り越えて入隊してくれた。ならば、そんな彼らを自分が守らない理由はない。

「…また“守らなきゃ”とか思ってねぇか?そんなんどんどん荷が重たくなってくぜ」

大切な存在が増えれば増えるほど、残酷にも彼女は強くなる。失った時のリスクは計り知れないが。それはもはや一人が抱える重さの許容量などとうに越えていた。

「ふふ、その重さがね、私には嬉しいんだよ」

皮肉なものだと思った。今自分に向けられている笑顔が紛れもなく本心からきているものだとわかってしまったから。

そうして彼ら新人兵士が目の前までやってくる。彼らは自分達を見つめるレイラを不思議に思ったのか、綺麗に敬礼をして立ち止まった。

兵団の中でレイラを知らない者などほとんどいない。エルヴィンやリヴァイに並んで有名だ。お互い自己紹介をせずとも向こうには目上の人物だと知られていたから彼らは敬礼したのだろう。

ただ、レイラはこの敬礼があまり好きではなかった。“心臓を捧げる”などはっきり言って馬鹿げている。命を投げてしまっては人類の勝利だとか巨人の破滅だとかの前に人類が絶滅してしまう。生きて帰ってこそなのだから。レイラ自身は命を投げてまで他人を守ろうとしているが。

「初めまして、でよかったかな。新入隊士勧誘の時はいられなかったから…。私は調査兵団分隊長のレイラ・デルタです。これからお互い頑張りましょう」

にこやかな彼女の笑顔に彼らも感じられていた緊張感をいくらか弱めて、それでも力強く順番に自己紹介を始める。

「ペトラ・ラルです!」

「オルオ・ボザドです!」

「エルド・ジンです!」

「グンタ・シュルツです!」

皆が皆いい目をしている。ネスの言うとおり、これからいい兵士に育ってくれそうだ。
少なくとも立派になるまでは自分が彼らを死なせはしない。
次回の壁外調査は一ヶ月後、新兵を連れては初めての遠征だ。できる限り彼らについて守らなければ。

内に熱い決意を秘めて、レイラがギュッと強く拳を握りしめた時、背中に衝撃が走る。

「分隊長ーッ!!いやぁ奇遇ッスね!勤務中に会えるとは最高だ」

「いや…“こっちにレイラ分隊長がいる気がする。いや、絶対いる”って走り出したの誰ですか、ルイス先輩」

「ルイスにザジ!!…ってちょっと重いよールイス」

「おいおい、何やってんだお前ら、新兵の前で…」

ネスの一言でレイラは慌ててペトラ達に視線を戻す。彼女達は少し呆気に取られたようで、目を丸くしていた。確かに、一兵士が分隊長相手に飛びつくなどありえる光景ではない。別に自分はいいがこれで分隊長の威厳が失われてはハンジやミケに申し訳が立たない。

すると、今気づきましたとばかりに目の前に立つ彼らを見て、ルイスは首だけをネスの方へと向けた。

「ん?ネス班長、誰ッスか?こいつら」

「新兵だよ。右からペトラ、オルオ、エルド、グンタだ」

名前を聞いた途端にルイスは顔から興味の色を完全に消して無表情のまま四人を見つめる。

彼がレイラ以外に己の興味を向けることはほとんどない。ただ、彼らがこの先新しいレイラの負担になる。それだけは理解できた。詰まるところ彼らが邪魔になるということが。彼らが役に立たなければ巨人より先に自分が殺してやってもいい、そんなことすら思っていた。

そんなルイスの心境を知らないまま、レイラは苦笑しながらとりあえず二人を紹介しようと口を開く。

「ごめんねみんな。何か変なところ見せちゃって…こっちがザジでこっちはルイス、私の右腕。普段はこうだけど実戦だとすごく頼りになる私の部下なの」

右腕。その言葉に思わず四人は同時にルイスへと視線を移動させた。レイラにこう言わすということはかなりの実力者なのだろう。

そう言われたことが嬉しかったのか、さっきほどの嫌悪感は露わにせずにルイスは右の目でキツく四人を睨む。

「お前ら次の遠征で分隊長の足手まといになったら俺が殺すからな」

「「は…はいッ…!!」」

「ちょっ…先輩!!脅してどうするんですか!!新しい仲間なんだから仲良く…」

「うるせぇぞザジ。お前もだからな!」

「えぇ!?自分もですか!?」

「お前らな…レイラの班にこいつらが振り分けられるかもわかんねぇってのに」

「団長なら多分そうするッスよ。くっそ、団長だから文句も言えやしない」

「団長じゃなかったら文句言うんですね先輩…」

そんなルイス達のやり取りに、ペトラ達の顔には自然と笑みが浮かんでいた。それを見て、レイラは嬉しそうに四人に微笑みかける。

「ふふ、案外面白いでしょ、私達って。これが調査兵団。では改めて、ようこそ」

そう言う彼女の姿は現実離れしているように見えて、四人はとても美しいと思った。

こんなたった数分のふれあいの中で、わかったことがある。レイラという人物の人柄。命を預けてもいいと思えるほどの何か。強く、そして先に立って皆を導いていってくれる何かが彼女にはあるのだということを。

「あ…!!そうだ、私エルヴィンにこれ届ける途中だったんだった!ごめんみんな、私はもう行くね。それと、ルイスはリヴァイに呼ばれてたらしいから今から行くこと!じゃあ…」

「あ…分隊長!!」

そう言ってあげかけた手をルイスはゆっくりと下げる。

「…いや、何でもないッス」

「そう?うん、じゃあまた後でね」

何か言いたそうではあったがレイラは静かに彼らに背を向けて去っていった。

少し名残惜しそうに彼女の背を見つめるルイスに、ペトラはおずおずと声をかける。

「いいんですか?何か話があったんじゃ…」

「そんなんじゃねぇ。ただ、俺が言っても意味がねぇってだけの話だ」

「……?」



















































コンコンと行儀よくノックをして、レイラは部屋へと入る。その空間にはエルヴィン以外には誰もいなかった。

「遅れてごめんね。はいこれ、報告書」

「あぁ、すまない。ありがとう」

「これくらい何てことはない」と、笑みを浮かべて首を横に振り、レイラは静かに部屋を出ていこうときびすを返した。

「レイラ」

突然呼びかけられて、レイラは慌てて足を止める。そして不思議そうに振り返った。

「今日はもう休め」

彼の一言に、レイラは一瞬驚いたが、次には柔和な笑顔を作る。

「何言ってるの。私なら大丈夫!それに休んでる暇なんてないんだし」

「顔色が良くない。疲れがたまっているのだろう」

確かに彼の言うとおりではある。疲れはたまってはいるが、そんな素振りは一切見せないようにしていたのに。

「君が不調だと全体の戦力や士気に関わる。何より、私が心配なんだ」

どくんと、心臓が跳ねたのがわかった。顔にも熱が集まってくる。

「ふふ…上手く隠してたつもりだったんだけどなぁ。エルヴィンにはかなわないね」

自分を心配してくれたことも、自分のことをよく見ていたくれていたという事実も、その全てに、嬉しさで涙がこみ上げてくる。いつの間にか脆い涙腺になってしまったものだ。

「ありがとう。今日はもう休ませてもらうね」


そう言って

レイラは赤く染まった顔を隠すように

足早に部屋を出て行った。


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