「いやぁ最近の街工房の技術は素晴らしいですな。見ててワクワクすると言いますか…」
「もう…いつまでいるのロキ…夜になっちゃったんだけど…はぁ…」
素直に工房訪問に付き合った自分が馬鹿なのか、彼に常識がないのか。多分その両方。
街の街灯の怪しい光と民家の暖かい光が対照的で何とも言えない調和を醸し出し始める頃、げんなりするレイラと嬉々とするロキというこちらも対照的な二人は光でほんのり照らされた街道を歩いていた。
結局あの後半ば強引に工房に連れて行かれたレイラは夜になるまで彼に付き合わされ、今日父親に会うことは諦めたのだ。品物を見るロキは本当に楽しそうではあったが、そこにはいつもの道化のような笑顔が消えることはなかった。
「…で、あの訓練兵とはどういった関係なんですか、実際」
急に投げかけられた言葉にレイラは思わず立ち止まる。何故彼がエレンのことを知っているのか不思議に思ったが、すぐに納得する。
「……なんだ、見てたんだね」
先ほどの施設でのエレンとの様子を見られていたのだろう。それをわかっていてあの時何をしていたのかを聞いてきたのか。そして今さらまた聞くとは本当に彼は意地が悪い。文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、そんなことをしても無駄に終わることはわかっていたので軽くため息をついてこらえた。
「エレンはただの後輩だよ。まぁこれから後輩になるって言った方が合ってるけど」
「ほぅ、本当にそれだけです?つまらないなぁ、淡い恋情とかないのですかね!?」
「なっ…!そんなのあるわけないでしょ!!」
「んー…レイラさんはそうでも彼の方はどうかなぁ…?」
そう軽い口調で言い合った直後ロキは顔を朱に染めた彼女にずいと顔を近づけて、少し身を屈めてレイラの瞳を覗き込む。輝く黄金の瞳は彼女を捕らえて離さない。口元には微笑が浮かべられ、いつもより怪しく弧を描く。それはレイラのよく知る彼ではなく、今の今まで見ていたふわふわとしたロキは既に消え失せていた。彼はこんな表情もできるのか。いや、これが彼の本当なのかもしれない。あるいはこれすらも
「…あなたって本当に残酷なお人だ」
“残酷”という言葉が妖艶な響きを含んで耳へと入り込んでくる。一瞬どきりとして目を逸らそうとするも、ロキの強い眼差しがそれを許してはくれなかった。
「あなたは他人を大事に想っているけれど、あなたがこちら側の想いに目を向けてくれることはない」
言われていることの意味がわからなかった。わからなかったけれど、どうしようもなく心が揺れた。言葉の真意を理解したいような、したくような曖昧な気持ちもうまれる。
「いつかレイラさんに恋をして、あなたに“戦ってほしくない”と切望する者が必ず現れる。誰もがルイスやリヴァイ兵士長のように共闘してくれるとは限らない」
ゆっくりと、彼女の心に染み渡らせるようにロキは言葉を紡いでいく。いつもの飄々とした口調からは考えられない、責め立るようにして。
レイラだってわかっていた。人を好きになったことなどないので、どうなるかはわからないが、恋人が巨人と戦うことを望む者などいない。けれど、自分から“調査兵”という肩書きを抜いてしまったら何が残る。普通の街娘になるのか。いや、きっとただの抜け殻に成り下がるだろう。
「でもあなたって戦うことが生きる為の核みたいなお人。抜かれたらきっと素敵な廃人の出来上がり」
すっと目を細めて女のように細長い指が柔らかい頬に触れる。その手は嫌にひんやりとしていて、まるで彼の心を表しているかのように感じた。
「“他人”で“自分”を形作って、それに“レイラ”という名前をつけた。前から思ってたんですがそれって刷り込み人形みたいだ」
否定できなかった。思わず身を強ばらせる。そして耳を塞ぎたくなった。長年考えないようにしていたことをいきなり突きつけられた気がしたから。
それに目の前のこの男は本当にロキなのか。意地が悪くてもこんな風に他人を傷つける物言いはしない奴だったはずなのに。余りにも突然なことばかりで頭が混乱しかける。
やがて眼前の彼は一層面白そうに口端をつりあげた。
「ねぇレイラさん…本当のあなたはどこにある…?」
瞬間、風が凪ぐ。時が止まったと言ってもいい。まるでそれは真空の如き空間。息をするのも忘れてしまいそうなほどの感覚に押しつぶされそうになってレイラは我に返った。
“本当の自分”
レイラ・デルタという人格。他人で構成されたものではなくありのままのそれ。問われて答えられるような問題ではない。
「私は…」
口を開きかけてふと、何も考えずに話そうとしていた自分に気づいて止まった。暫く視線をさまよわせて、やがて決心したように今度は真っ直ぐにロキを見つめる。
「…今ロキが見ている私が本当。これが本当の私だよ」
少し考えたらわかる事。他人で作り上げられた人格も自分だ。レイラという人格であることに変わりはない。ほんの些細なきっかけの違い。たったそれだけ。自分は今ここにいる。偽りなどではない本物。それ以上の答えなどない。それでいいではないか。
ロキはそんなレイラを見て、一瞬目を伏せて、彼女から体を離して歩き始める。
「はは、あなたにはかなわない…」
そう呟いて歩くその後ろ姿が何故だかひどく悲しげに見えた。いくら笑顔で取り繕うとごまかしきれないものはある。昔から違和感は感じていたのだ。この男の表面は言ってしまえば全身を鎧で包んだような。
彼のいつも話すことは何処か嘘くさくて、何が本当で何が冗談なのかわからない。これではまるで道化師だ。
「…ロキ」
気づけば彼の名を呼んでいた。振り向いて不思議そうにする彼。その表情はアイリスとジャックの死を告げた時と酷似していた。無表情の中に限りなく深い絶望の色を塗り込めたような瞳。
「…本当のロキはどこにあるの…?」
機械が好きでたまらない彼。国を憂いて日々研究を重ねる彼。同期想いな彼。誰にでも臆することなく飄々としている彼。先ほどの怪しさを纏った彼。
今さらになってようやく気づいた。本当のロキ・ルーエンはこの中にはいない。少なくともレイラが接してきた中に本当など存在していなかったのだ。
「…さぁ、自分でも忘れてしまいました」
街灯に照らされた彼はおよそ彼とは思えなかった。それと同時に今まで偽りのロキと接していたということが、小さく胸に傷を作る。
「オレね、レイラさんやルイス達、兵士長と過ごしてる時は本当に楽しいし、アイリス達が死んだって聞いて本当に心臓が止まる思いしたんですよ」
「なら…!」
「でも、違うんですよ。そんなのはオレじゃない。何が違うのかすらわからないけれど…そんな思いを抱えたままにしてたら、もう自分が一体何なのかもわからなくなってた」
偽りすぎて見失った。それが何を意味するのか、言葉に出しはしなかったけれど理解はできる。
何がそこまで彼を狂わせたのか、純粋に気になった。そしてそれを知ってしまったら、その先にある彼の仮面を剥いでしまったら、もっと大きな何かを知ってしまいそうで。
レイラはそれ以上何も聞かずに小走りでロキの横に並ぶ。もうその時にはいつもの彼の笑顔に戻っていて、それが虚しくもあったが同時にひどく安心した。
「申し訳ないです。お父上に会う機会潰した挙げ句変な姿お見せしちって」
「ううん、ちょっとビックリはしたけど…」
自分は言うほど彼と接してきたわけではない。知らないことなんてたくさんあるし、勘違いしている部分だってあるだろう。実際今までの彼は偽りだったことが何となくわかってしまった。唯一本当だったのは、同期の死を本当に惜しんでいたということ。確証はないがそれだけは真実だと思える。
そんなことを考えていたらいつの間にかもう見慣れた建物、調査兵団本部の前までたどり着いていた。隣に目をやればにこやかに微笑むロキと目が合う。技巧の本部はもちろんここではない。ということは送ってきてくれたのか。
「あ、ごめん…!わざわざ送ってもらっちゃっ…」
最後まで言い終えたかいないかの所でゆらりと背後に何かが忍び寄る気配。瞬間体中を走る悪寒。ヤバいと思って振り返るよりも早く、響く鈍い音。背中に伝わる嫌な汗を感じながらレイラはゆっくりと音の主を確認した。本当は確認せずともわかってはいたが。可哀想だが今し方蹴り飛ばされたロキの心配をする暇はない。
「た…ただいま…リヴァイ」
普段の不機嫌そうな顔により一層深い皺を刻み込んで彼はそこに立っていた。
怒りの理由は重々承知している。こんなに遅くまで何をやっていたのかということだろう。父親に会いに行く分には彼がこんなにも怒るはずなどない。問題は山積みになりかけている執務を放り出してまでロキと街をふらふら出歩いていたということで。この上更にロキが半ば仕事をサボって工房に行っていたことも知られているのだとしたら非常に良くない事態を招く。
「随分と偉い身分になったもんだな、レイラ」
不幸中の幸いとでも言うべきか。ロキの事情までは知らないようだ。それはそれで自分一人にリヴァイの怒りの矛先が向いてしまうが。レイラは何も言えずに黙り込む。
「いてて…レイラさんにお怒りなら何でオレを蹴るんです」
「こいつを蹴るとルイスの野郎がうるせぇ」
レイラが痛そうに患部を押さえている所を見て鬼の形相で怒り狂うルイスの映像を思い浮かべてロキは軽く吹き出した。それと同時に何か思いついたようで、叱られているのもお構いなしに彼はにやりと笑む。
「なぁんだ、オレにレイラさんとられちゃったからそんなに怒ってるのですね!それならそうと言ってくれないと!!」
びしりと、空間に大きな亀裂が入る感覚。いつもならば顔を真っ赤にしてこういったことに反応するレイラも、今この時だけはそんな余裕はなかった。
「冷たいだけじゃ女の子は来てくれませんよー。もっと寛容な心で受け止めてあげないと!常識ですよこれ」
「…殺すぞ」
どんどん険悪になっていく二人の間の空気。これは非常にマズい。しかし今日のリヴァイは何だか怒りすぎているような気がしなくもない。いつもならここまで露骨に怒りを露わにすることはないのに。そんな些細な疑問を考えている場合ではないと軽く頭を振って、レイラはやっと口を開いた。
「あ…あのっ…!私がロキについていったのが悪かったからさ、本当にごめん!!今度から気をつける、絶対!!」
暫し沈黙する一同。やがてロキは盛大に笑い、リヴァイは呆れたようにそっぽを向く。そしてロキはわざと見下ろすようにリヴァイを上から覗き込んだ。
「ま、そういうことなので、オレがレイラさん振り回しちゃったわけなのですよ。お咎めならオレ一人にどうぞ、ウェルカムです」
少し恨めしそうにロキを睨み返すリヴァイ。それを無言の肯定と受け取って、ロキは加えて一言呟いた。
「あと、ご自分の気持ちには早くお気づきになることですね」
「何の事だ」
「いいえ、特に深い意味は。ただ…気づいてからでは遅すぎることもあるのですよ」
笑みを崩さずにそう言うロキはとてつもなく不気味に思えた。心の奥を全て見透かされているような。気持ちのいいものではない。
やがてリヴァイの肩に手を置き、彼はリヴァイにしか聞こえないほど小さな声で最後に囁く。
「…失ったものを取り戻すことなど…誰にもできはしないのだから…」
恭しく一礼をして去っていくロキ。その後ろ姿を眺めて、リヴァイは拳を強く握りしめる。
彼は知っているというのか。自分でもわからないこの不可思議な感情の正体を。レイラの隣に誰かがいると最近妙に胸がざわつく。それが女ならばそれは生まれない。男だと駄目なのだ。イラついて仕方がない。こんなおかしな感情の答えなど導き出せるはずもなかった。けれどロキは知っているのか。
「……戻るぞ」
考えることは止めだ。すぐにわかる問題でもあるまい。それよりやるべきことが今の自分達には山ほどある。
「う…うん。ごめんね、今日は本当に…」
「もういい」
「え…もういいの!?もう怒ってないの!?よかったぁ…!」
嬉しそうに自分を追いかけてくるレイラ。
彼女はくるくると表情が変わって本当に面白い。落ち込んだり、真面目な顔つきになったり、泣いたり。特に泣き顔は恐らく自分しか知らない彼女の特別な一面。それを考えるとほんの少し優越感を得る。
それより何より、笑った顔。昔は何も感じなかったが最近笑顔を見ると、さっきとは別の不可思議な感情を覚える。ロキはこっちの感情の正体も知っているか。
自分もレイラともっとずっと一緒にいれば
この感情の名前を知る日が来るのだろうか