02
「レイラさん!!」

掴まれる腕。がしりと音がつきそうなほど握られて、レイラは驚いて振り返る。

「エ…エレン…?」

目を丸くする彼女を見て、エレンは我に返ったのか、慌てて手を離した。そうして次の言葉を探すが出てこない。自分でも何故こんなことをしたのかわからなかったのだ。追いかけて、一体自分はレイラに何を言おうとした。

「あ…その…えっと…」

言葉にならない声を発するエレンを見て、思わずレイラは小さく微笑む。

「ふふ…変なの。一体どうしたの?」

そう言って笑む彼女を見た時、考えていたことが全て吹っ飛んだ。何故か彼女の笑顔はエレンの心を軽くする。二年前初めて会った時もそうだった。彼女の人柄に惹かれて、部下になりたいと言ったあの時も彼女は笑顔だった。あの瞬間は気にしていなかったが暫く経った後思い出すと、とても綺麗な笑顔であったのが思い出される。

けれどこの笑顔の裏には重い荷があるのだ。人の為に戦う彼女。ほとんど面識なんてないし、彼女について知っていることなど、ないに等しいが街で業績を聞いたり、人の噂話を聞いたりしてその人物像はくっきりとしている。自分が壊れてしまうまで、他人の為に生きる、そんな人。

そして彼女はたった今も「信じてみない?」と言ってまた自分達の荷を背負おうとしてくれた。そうやってついていったのがルイスなのだろう。彼女に全てを託せるのも頷ける。ほとんど彼女と時間を共有しなかったエレンでさえこんなにもレイラの人柄に惹かれているから。

「ねぇ…エレン、来年…あなたは調査兵になる意志は変わっていない?」

ずっと黙っていたらレイラから質問をされる。一瞬の間の後彼女の質問の意味を咀嚼し、エレンは強い瞳で頷いた。
変わっているはずがない。巨人を駆逐するまで自分は立ち止まれないのだから。

「そっか、頼もしい後輩がまた増えるね」

ほんの少しだけ複雑そうな表情を浮かべて、それでも嬉しそうにレイラははにかんだ。

「ちょっと変な人が多い所だけど、いい人もたくさんいるから。ルイスもきっとエレンが来るの待ってると思うよ」

そういう人達も全員、彼女は守ってきたのだろうか。そしてその対象に来年自分も加わる。

「あの、レイラさん…レイラさんにとって…そういう人達はどういう存在ですか?」

自分でも変なことを聞いたと思う。今まで黙っていていきなり彼女が困るようなことを聞く自分に呆れすら覚えた。

「大事な仲間だし、守らなきゃいけない人達、かな」

けれどレイラは至極当然のことのように問の答えを口にする。半ばわかってはいたが。彼女の生きていくための糧。生きる道。それと同時に“仲間”とは、彼女を縛る鎖。自分はレイラにとってのそんな足枷になりたいわけじゃない。

「…すいません…レイラさんにとってそれが“仲間”なら俺、あなたの仲間にはなりたくないです」

気づいたらそんな言葉が口から飛び出していた。目の前のレイラは目を丸くしている。レイラが何か言おうとするのを遮るような形で彼は言葉を続けた。

「守られるんじゃない。俺は…」

レイラの部下は彼女の守りたい者。ルイスはレイラの右腕で兵長や他の分隊長達は彼女の戦友。誰も彼女を守ろうという者はいない。ルイスがそれに近いがどちらかというと彼は彼女の傍で戦う戦友に近いだろう。

だが違う。自分はそうありたいのではない。自分はただ彼女を

「俺がレイラさんを守りたいんです」

何とも不思議な感情だった。何故こう思ったのかもわからなかった。理屈では説明できない漠然とした何か。後でアルミンに聞いてみたらわかるだろうか。

「ふ…あははは!」

「レイラ…さん…?」

唐突に笑い出すレイラ。笑われるようなことを言ってしまっただろうかと考えるよりも今の自分には彼女から拒絶の言葉を投げかけられることの方が怖くて、思わず身構えてしまう。

「驚いた。もう立派な兵士だね、エレン」

不意に柔らかな風が吹いて二人の髪を靡かせる。それはまるで今の彼女の心を具現化でもしているようでとても穏やかで心地よかった。

「俺は本気です」

「うん、わかってる。目を見れば、わかる」

瞳をのぞき込まれる。逆にレイラの方に吸い込まれてしまいそうなほど、そして自分の全てを見透かされてしまいそうなほど彼女の瞳は力強かった。そのままレイラの顔をジッと見つめる。恐ろしいほどに整った顔立ちにやはり意識を持っていかれそうになった。

やがてレイラは嬉しそうに微笑んだ。本当に嬉しそうに。

「初めてだよ、“守りたい”なんて言われたの」

調査兵はいつだって死と隣り合わせ。自分が生きて帰って上出来。他人の心配まではなかなか気が回らない。その中でレイラだけが異質。他人の為に刃を振るう。仲間達はそんな自分に協力はしても、自分を守るためだけに行動はしてくれない。

彼女自身それでいいと思っていた。自分を守るために誰かが行動して、その人が怪我を負おうものならば、罪悪感でどうにかなってしまいそうだったから。共に戦ってくれるだけで十分。そう思っていた。けれど今エレンから言われた一言は、予想以上にレイラの心を震わせた。

「嬉しいものなんだね、そう言われると…」

ルイス達もこんな気持ちだったのかもしれない。他人に多少なりとも思われることがこんなに嬉しいことだとは知らなかった。
一瞬だけ目を閉じて、また開く。目の前のもうほとんど立派な兵士をレイラはしっかりと見据えた。

「いつの間にか背も私よりずっと大きくなってさ、男らしくなっちゃって」

「それは…訓練しましたから」

まだまだ子供だと思っていたらあっという間に成長する。守られてもいいと思えるくらいに。

「頼もしいね。ねぇエレン、約束しようか」

「約束?」

「そう、約束。エレンがさっきの言葉を守ってくれるように」

レイラは小さな小指を静かに突き出す。彼が嘘などつくわけがないことはわかっていた。だが何となく、そうしたかったのだ。

恐る恐る差し出され、自分に絡められたエレンの指をキュッと握ってレイラは満足げに頷く。この約束がまるで永久の契りのようで、周りの訓練生達の喧騒など全く聞こえなかった。不思議と心が満たされていく。

やがてレイラは指を解いてゆっくりと彼に背を向けた。

「来年また会いましょう、必ず。今度はお互い調査兵として」

「はい!」

エレンの声を背に受けながら、レイラは今度こそ施設から出て行く。その間一度も振り返ることはなかった。このわけもわからずこみ上げてくる涙を悟られたくはなかったから。

どうして自分の周りにはこんなにも優しい者が多いのだろう。どうしてあんなに皆真っ直ぐなのだろう。

そんなことを考えながら、やっと振り向いて訓練所の壁を見つめる。あの頃とは何も変わっていない施設。けれどそこには確かにたくさんの人の想いが蓄積されているのを思い知った。そして時の流れを感じると共に、昔の自分とは多少なりともいい方向に成長することができていたことに嬉しさがこみ上げてくる。“守りたい”と思われる存在になれたほどに。

「“守りたいんです”…か」

改めてエレンの言葉を反芻する。まだ心が暖かい。ここ最近は人の言葉に助けられてばかりだ。

視線を上へと動かし、ぼーっと空を見る。自分を照りつける太陽に「眩しい」だとか「暖かい」だとか、そんな月並みな感想しか浮かばない自分に軽く苦笑した。そんなレイラの意識を呼び戻したのは、聞き慣れた明るい声。

「おやぁ、レイラさん。どうしたのです、訓練生の覗きですかい?」

「あ、ロキ…!」

ルイスの同期で成績上位者の中で唯一技巧に進んだ男、ロキ・ルーエン。こんな所で会うとは珍しい。時々訪ねた際に留守にしているのはもしかしたらこんな風に外出していたからなのかもしれない。

彼は掴みどころがなく、ルイスやリヴァイでさえも手を焼く人物。悪い人ではないのだが、どこか浮き世離れしている印象を最初は受けたものだ。

「私は父さんの所に行こうとしてたらたまたまここにたどり着いちゃって…」

「?レイラさんのご実家こんなとこにありましたっけ」

「あはは、考え事してたらいつの間にかここに…。ロキの方は?」

レイラの答えに暫く笑っていたロキだったが、やがて彼は口を開く。

「オレは街の工房に野暮用がありまして。仕事のサボリがてらフラッと行こうかと!」

冗談めかしてそう言う彼。これが冗談ではなく本心から言っている辺りまたたちが悪いとルイスが嘆いていたのを思い出す。恐らく本当にサボリたくて抜け出してきたのだろう。

すると唐突にロキは微苦笑を浮かべるレイラの手を取って、歩き出した。

「ロ…ロキ!?」

「せっかくなんでレイラさんも一緒に行きましょうよー。すぐ終わりますから、多分」

「多分って…もう…」

彼が一度言い出した事は巨人が壁を突き破るくらいの緊急事態が起こらないと覆ることはない。

レイラはやがて諦めて彼に手を引かれるまま工房へと向かったのだった。












































レイラのいなくなった何もない空間を見つめ、エレンはただ立ち尽くしていた。手を伸ばしてみても、レイラには触れられない。名残惜しさだけが今彼の心を占めていた。

自分はおかしくなってしまったのだろうか。二年前に初めて会った時にうっすらと感じていた感情が再会した今日爆発してしまったような不思議な感覚。

「エレン、もう訓練終わったよ、戻ろう。誰かと話してたみたいだけど…」

かけられた声に我に返り、振り向くとそこにはアルミンとミカサが怪訝そうな顔で自分を見ていた。

「レイラ分隊長と何を話していたの?」

ミカサの言葉にアルミンは驚いてエレンを見る。ここにいたのはレイラだったのか。彼女と気づいていたとは、さすがミカサだ。

「別に、特別なことは何も…“久しぶり”って言い合っただけだ」

「でもエレン…何か嬉しそう」

「うん、僕もそう思うな」

言われて初めて気づく。嬉しそうなのか、今の自分は。今の今まで名残惜しさが心を占めていたというのに。レイラに会えて嬉しかったのはもちろん本当だ。久しぶりに見たその姿に言葉にし難い特別な感情を抱いたことも。

「特別な…感情…?」

思っていたことが思わず口から滑り落ちる。特別な感情、特別な感情とは何だ。自分はレイラに何を感じた。懐かしさ、違う。そうではない。そんな簡単なものでは決してない。

「どうしたのエレン?嬉しそうにしてると思ったら今度は大事な人を奪われたみたいな顔してさ」

大事な人。それはつまり家族だとか恋人だとか。恋人とは好きな人。好きな、人。好き。
頭の中でこの単語がぐるぐると回った。そしてそれはやがてぽっかりと空いた穴を埋めるようにストンと落ちる。

「あぁ…そうか…そういうことか」

何故、今まで気がつかなかったのだろう。幼い頃初めて街でその姿を見つけて、女の人なのに分隊長だなんて何て強くてかっこいいのだろうと子供ながらに憧れた。街で評判を聞く度にその憧れはどんどん強くなって。会ってみたいとさえ思うようになった。実際会ったレイラは予想以上に気さくで優しく、そして何より美しかった。それは笑顔も彼女の心も。

ほんの少し話をしただけなのに、時折思い出すとまた会いたいと感じるほどに自分はレイラに惹かれてしまっていたのだ。再会して想いが溢れるほど強く。


“本当に…何で今まで気づかなかったんだ…


そうだ


オレは…あの人のことが…


レイラさんのことが好きなんだ”


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