01
「新兵の通過儀礼?そっかそっか。もうそんな時期かぁ」

「はい。先日行われたそうですよ」

「懐かしいッスねぇ。今年はあのハゲ教官に何人が犠牲になることやら。おいザジ、お前あのハゲに何言われた?」

「うっ…僕は…その…“お前のような子供は家で母親に甘えておけ”と…」

「ははは!そりゃ面白ぇな」

「ふふ、確かに懐かしいね。今年はどんな子達がいるんだろう」

「あぁ、今年はどうだかわかりませんけど104期生はなかなかできる者が多いそうですよ」

「へぇ…でもそんな奴らなんてどうせ憲兵団に行っちまうんだろ?」

「さぁ…僕は何とも」

「何にせよ、一人でも調査兵団に入ってくれたらいいよ」

穏やかな昼。あの凄惨な作戦など初めからなかったのでは思うほど平和な空間。実際はただ新しく再構築されただけにすぎないものだが。

あの作戦から一体どれだけの月日が流れただろう。恐らく二年近く。いくつかの季節が過ぎ、時は新しい兵士を兵団に迎えるまでになっていた。先日に新入兵士が入ってきたばかり。レイラの隊にも何人か新しく入ってきて、アイリスとジャックの後にやってきたザジも、もうすっかりこの二年でレイラとルイスのコンビに馴染んでいた。

他に変わったことといえば、ルイスの左目はもう治る見込みがないと判断され、眼帯を使用しだしたこと。それ故に隻眼に慣れていないという理由で半年は壁外調査に同行させてもらえずルイスとリヴァイの仲が以前の二倍悪くなったということ。
あと変わったことに含まれるかはわからないがルイスと二人でいる時、リヴァイが自分達を見ていると時折彼の眉間に皺が寄ることがあるようになったことだろうか。
そしてルイス達が遭遇たあの謎の巨人がよく話題に上るようになったこともそうだ。一応は奇行種ということで片付けられてはいるが。

変化という変化は本当にこれぐらいで、後は皆それぞれの日常に戻っている。喜ばしいことなのかもしれないがレイラにはそれがどこか悲しくもあった。

それを考えていると一瞬二人の前で暗い表情を作りそうになる。全く持って弱くなってしまったものだ。二年前はこうではなかった。不安なことなどできるだけ考えないようにしていたのに。それもこれも全てリヴァイのせいだと心の中で小さく悪態をつく。だが、あのまま悲しみと絶望に押し潰されそうになっていたのを救ってくれたのは彼だ。本当は心の底から感謝している。

ぬるくなり始めたコーヒーをジッと眺めて小さく微笑んだ後、レイラはゆっくりと顔を上げて口を開いた。

「ねぇ二人共、私もうすぐ出かけるから何か伝達があったら代わりに聞いておいてくれる?」

「それは別にいいッスけど…どこ行くんスか?」

椅子から立ち上がってそそくさと出かけの準備をしながらレイラは問いに答える。

「父さんの所だよ」

作戦前に送った手紙で作戦が終わったら一度会いに行く約束をしていたのだ。あまりいい報告など何もできそうもなく、話をすると悲しくなって、父に心配されてしまいそうだったのでこの二年は会いに行けなかった。

だがもう心の整理はついている。そろそろ大丈夫だろうし、ただ単純に久しぶりに唯一の肉親に会いたくなったのだ。

「なら俺も一緒に…」

「もう…駄目だよ。一応今日ドクターに目、見てもらうんでしょ?」

小さく唸った後黙り込むルイス。ザジもそれを見て苦笑を浮かべている。

ルイスは前と比べると色んな所についてきたがるようになった。それは作戦で別行動を取ったが故に招いてしまったあの仲間二人の結末に少なからず負い目を感じているのかもしれない。もう大切な者を失いたくはないから今度こそはずっと傍にいてレイラを守ろうと。

対象は違えどレイラも同じだった。傍にいられたならば二人を守ることができたかもしれなかった。だがそれができなかった後悔から今度こそは離れまいとしているのだ。
ルイスのようにレイラ個人というわけではなく、手の届く全ての者にその感情を抱いているというだけで考え方は彼と変わらない。

準備を終えたレイラはカップを元あった場所に戻して二人に向き直る。

「それじゃ、行ってくるね」

「お気をつけて」

「行ってらっしゃいッス」

個々に言葉をもらい、レイラは静かに部屋を出て行った。









































人の減った街。良く言えば、土地と人民の数が均等になって住みやすくなった街。それを作り上げる上で積み上げられた全人口の二割分の死体。

作戦以降絶対的王政は大きく揺らいだ。誰も口に出しこそしないものの口減らしを決行した政府に疑問を持ちつつある。
調査兵団にこれといって影響はなかったが、憲兵団に向けられる市民の目は以前よりも冷たいものとなっていた。

それも当然と言えば当然だ。あれだけのことをしておいて、老人や子供には畑仕事を何食わぬ顔で強要するのだから。レイラもそれに対しては嫌悪している。

「……あ」

考え込みながら歩いていたせいか、ふと気がつくと目の前に木の塀。ぶつかりそうになる所を寸でで止まった。
己の実家は反対方向にある。何をやっているのだ自分はと軽くため息をつきながらきびすを返そうとして、それを中断する。

「ここ…訓練兵の…」

かつて自分も三年の月日を過ごした場所。多くの仲間と出会い、そしてそれぞれの道を歩いていった、その始まりの場所だ。先ほどザジと話していた104期生のことを思い出す。できる者が多いそうだ。その該当者にはあのエレン達も入っているのだろうか。

それが気になってレイラはソッと入り口から中を覗き込む。ちょうど対人格闘術の途中のようで、皆訓練に励んでいた。エレン達の姿を探すも、なかなか見つけられない。そうやって辺りを見回していた次の瞬間、レイラは己の運の悪さを後悔することとなる。

「うわ…教官と目が合っちゃった…」

未だに彼女の畏怖の対象である“ハゲ教官”ことかつての彼女達の教官。
レイラを見た教官は少しだけ驚いたように目を見開いた後、真っ直ぐに彼女へと向かってくる。レイラとしては今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたかったが、自分を射抜くあの瞳があまりに恐ろしくて場に留まっていた。

「デルタか」

呼ばれた瞬間フラッシュバックしてくる懐かしの訓練兵時代。そこまで言うかというほど罵倒され続けたあの日々。

「お久しぶりです。教官」

若干ひきつっているような笑顔を浮かべて、思わずレイラは姿勢を正して敬礼をする。教官はその荘厳な顔つきを崩さずにただ彼女を見下ろしていた。

「分隊長として上手くやっているそうだな」

「いえ…!自分などまだまだ未熟です。周りの助けを借りてばかりで…二年前の作戦では部下を…アイリスとジャックを死なせてしまいましたし…」

話していると自然と気分が落ち込む。気弱なところを見せるとまた教官にどやされるとわかってはいるが。

「あの二人が…そうか、死んだか。シーカーはどうした」

「ルイスも重傷を負ってしまって…左目がもう開かなくなりました」

「生きているのか。昔から生命力の強い奴だったな」

きっと教官にとっても三人は印象の深い者達だったのだろう。ほんの少しだけだが彼の視線が地面へと落ちた。手のかかった子ほど心に残るとはよく言ったもので。レイラには一瞬だが教官が二人の死を惜しんでいるように見えた。

「しかし今日は何をしにきた」

至極当然の質問にレイラは我に返る。自分はここに昔を懐かしむために来たわけでも、教官と作戦の話をしに来たわけでもない。ただエレン達がいるかなと覗いたにすぎないのだ。長居は無用。レイラは慌てて居住まいを正す。

「いえ…その、考え事をして歩いていたら偶然ここにたどり着きまして…知り合いが訓練兵になったはずなので探してみただけです」

ここまで素直に話すつもりはなかったが、つい喋ってしまった。やはり教官には頭が上がらない。つくづく教官に平気で悪態をつくルイスが勇者のように感じる。

「しっかりしろ」だとか「気を引き締めろ」だとか、そういった説教じみた言葉が返ってくるかと思っていたが、実際の教官の返答はそうではなかった。

「お前はいつも考え事をしている時はそうなるな。直っていなかったのか。…もうすぐ対人格闘術が終わる。声をかけたいのなら好きにしろ」

「え…?」

思いがけない言葉に呆気にとられてしまう。あの教官が好きにしろと言ったのか。言葉の意味を咀嚼している内に教官は戻っていってしまった。

「あ…ありがとうございます!」

深々と大袈裟なほど頭を下げて、レイラはおずおずと懐かしき地へと足を踏み入れる。

本当に懐かしい。夢と志を持ちここに入ってきたことが脳裏に浮かんでくる。自分はあの頃抱いていた理想に少しでも近づけているだろうか。

その時、目に入り込んできた光景にレイラは目を丸くした。
小柄な少女が自分の倍近くはあろうかという男子を蹴り飛ばしたのだ。そのまま男子は宙を舞い、ひっくり返る。その横に佇んでいる見覚えのある姿を見つけてレイラは近づいていった。

「すごいね、君」

暫くの間の後、少女は自分に言われているのだと気づいてレイラをジッと見つめる。

「あ…レイラ分隊長!?」

少女より先に声を上げたのはエレン。レイラが何故こんな所にいるのか、心底わからないといった表情で驚いている。

レイラはそんな彼に向き直って小さく微笑んだ。

「久しぶりだね、エレン」

「いや…それはそうですけど…何でこんな所に?」

尚も微笑んだまま彼女は他の二人に視線を寄越す。

「ふふ、ちょっとね。それより二人はエレンの友達かな?私は調査兵団所属、分隊長のレイラ・デルタです。よろしく」

調査兵団、しかも分隊長レベルの実力者。そんな人がエレンの知り合いだったことに驚いたが、自己紹介されたら返さなければ。男子の方は慌てて居住まいを正して敬礼する。

「俺はライナー・ブラウンです」

「……アニ・レオンハート」

一つ満足したように頷いてレイラはアニの顔を覗き込んだ。それを彼女は訝しげに見つめる。

「何か…?」

「あ、ごめんね。ちょっと私の部下と同じような目をしてたから」

意味がわからないと言いたそうにしているアニに代わってエレンが代弁するかのように口を開く。

「それってルイスさんのことですか?そういえば今日は一緒じゃないんですね」

「うん。今日ルイスは留守番。アニの目ってさ。昔のルイス…私の部下にそっくり」

全てを諦めているような。それでいて大きな何かを先に見据えているような、そんな瞳。ルイスに初めて会った時もそうだった。人間という種族の在り方に絶望し、この世の何もかもをくだらないと考えていた。それはきっとこのアニも。今度会わせてみたら気が合うかもしれない。

「ねぇ、アニ。私と一戦やってみない?」

驚く一同。ライナーが吹っ飛ばされるほどの相手だ。かなり強いだろう。だがこちらも人間離れした体術の持ち主はたくさん知っている。リヴァイだとかルイスだとか。あの怪力が特徴だったアイリスも。

「私がならず者をやるよ」

落ちていた木製の短剣を拾い上げて返事を待たずに構える。ここ最近、二年前の作戦の影響で人員が急激な減少し壁外調査の回数が減った。感覚が鈍っていなければいいが。

暫くするとアニも構える。チリチリとしたオーラに気圧されそうになるも、レイラは真っ直ぐに彼女を見据えた。

そして地を強く蹴る。伸ばした手はアニに掴まれた。ぐいと顔を近づけて、レイラは彼女に微笑みかける。

「アニの考えてること…当ててあげようか。“強ければ強い人ほど巨人から逃れられるこのシステムが理解できない”多分こうじゃない?」

少し驚きながらもアニは手を掴んだまま蹴りの姿勢を整える。
それを無言の肯定と受け取り、レイラはアニが蹴りをくり出すより早く、彼女の動く直前の右足を左足で蹴る。体勢を崩した彼女を見逃さず、すかさず今度は右足でアニのもう一方の足をはらう。
地面に倒れ込んだアニはただ無表情で自分を見つめていた。

昔ルイスに言われことがある。「相手がやろうとしていることを先にやると向こうは焦る」と。それはただの卑怯技なんじゃないかとその時は思ったがそれがこんな形で役に立つとは。二回は使えない手だが。自分もルイスの意地の悪さが少し移ってしまったのかもしれないと苦笑する。背後にいるライナーとエレンからは感嘆の声がもれてはいたが。

するとアニは小さく口を開いた。

「その通り。私はもうこれ以上この下らない世界で兵士ごっこに興じれるほどバカになれない」

特権狙いで憲兵団に行こうとしているのか。この世界に絶望するのは仕方がない。そうするのもまた一つの選択だ。それにレイラにとってみれば内地に行ってくれれば彼女の安全は守られるのでその選択は大いに賛成だった。

レイラはゆっくりとアニから離れて言葉を紡ぐ。

「そっか。私の部下もね、アニと同じような考え方してたんだよ。でも根は優しい子なんだ」

「……それは…私もそうだと…?」

未だ起きあがろうとしないアニにレイラは手を差し伸べる。

彼女は自分と違う意味で兵士に向いていない。だが、きっとそれだけだ。本当は優しい子。

「うん。初対面でこんなこと言うのも変だけど、私はそう思うよ」

微笑んでいる彼女。それはひどく綺麗に見える。アニは暫く彼女を見つめて、やがて、その手を取った。

尚もレイラはにこにこと笑いながらくるりと体を入り口の方へと向ける。

「ふふ、楽しかった。ありがとね、みんな。また会えたらその時に…」

そう言って歩きだそうとした時、投げかけられる声。

「わかってて…こんな下らない世界だとわかってて…何故あなたは調査兵に?」

何故。そんなこと考えたことなどなかった。確かに理不尽な世界だとは思う。
自分とあなたは違うんだと答えてもきっと彼女は納得しないだろう。

瞬間、ふと頭に浮かんでくる仲間達、街の人達。彼らの存在は王や金なんかよりも何倍も価値がある。

「世界なんか関係ないの。仲間を信じて…そして私を信じてくれる誰かがいるなら…それだけで私は戦っていける」

レイラは真っ直ぐに皆を見つめた。

「だからさ、みんなも私を信じてみない…?」

いたずらっぽく笑った後、彼女は後ろ手に手を振り、今度こそ歩き出す。



やがて

呆然としていたエレンは

小さくなっていくその後ろ姿を

追いかけていった。


prev next

bkm
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -