08
深い爪痕を残したウォール・マリア奪還作戦。それは身体的にも、そして何より心に。

三日経っただけでは誰も立ち直れなどしない。調査兵団内部は連日陰鬱な空気に支配されて、皆必要以上に口を開こうともしなかった。仲間を失った者。恋人を失った者。家族を失った者。失った者のカテゴリーが少し違うだけで皆大切な人達を失ったというのは紛れもない事実だった。その中でもレイラの精神は特別に強くすり減らされていた。

誰一人彼女に話しかけようとはせず、皆同情するかのようにアイリスとジャックの死を惜しんでいる。そして口々に陰ながら負傷し、未だに意識が戻らないルイスも、ずっと目を覚まさないのではないかと噂していた。

最も信頼していた仲間を殺され、そして守るべき市民までも大量に殺された。この避けようもない既成事実にレイラは笑い方を忘れてしまったかのように、連日仕事以外は隊の皆と過ごした部屋で何をするでもなく、ただ椅子に座って窓の外の空を無気力な瞳で見つめていた。

「レイラ、ちょっといいかな」

控えめに開けられる扉。特に牽制するでもなくレイラは首だけを入ってきた人物、ハンジに向ける。一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべてハンジはコーヒーを二人分用意してレイラの前の椅子に腰掛けた。

「最近ちゃんと食べてるかい?体調崩したら大変だよ」

明らかに自分を心配してくれる為に言ってくれた言葉。心配させてしまったと思うが、うまく笑えない。いつもなら笑って「大丈夫」と言えるはずなのに。何かを考えようとする度に脳裏に傷ついた仲間達の姿がちらついてしかたがないのだ。

「うん、ちゃんと…食べてるから…ごめんね、心配かけて…」

とてもちゃんとできているようには見えない。いつもそこにいるはずの三人組の存在がいないことが、ハンジですら胸が痛むのだ。レイラにとってみればそれがどれだけ辛いことかは想像に難しくなかった。

「あのさ、レイラ。君に伝えなきゃいけないことがある」

返事をすることなく静かにハンジを見る。もとよりそれを期待していなかった彼女はゆっくりと続きを話し出す。

「レイラの隊の人数、減っちゃったから新しい兵士を配属しておいたんだ。もうすぐエルヴィンかリヴァイが連れてくるはずなんだけど…」

その時、コンコンとノックの音が響いて、二人の視線は自然と扉へと向けられた。開かれた扉の向こうにエルヴィンが立っており、その横には奪還作戦の時に知り合ったザジが気まずそうにレイラを見て、視線を下へと落としている。後ろにはリヴァイも佇んでいた。

「レイラ。ハンジから話は聞いたか?」

新しく配属される兵士。ザジが横にいるということはきっと彼がそうなのだろう。レイラは虚ろな瞳でザジを見る。質問の答えを口にする気力すら今の自分にはなかった。

「彼が君の隊の新しい兵士だ」

兵士の補充。まるで死んだアイリス達の代わりのような言い方に無性に腹が立つ。まるで彼らは使い捨てのモノのように聞こえて。思い出の詰まったこの部屋が、新しい記憶に塗り重ねられていくようで恐ろしくもあった。

気がつけばレイラはふらふらと椅子から立ち上がる。エルヴィンの前へと近づいていき、そして次の瞬間には考えるよりも先に手が動いていた。彼の胸ぐらを掴みあげて悲痛な声で彼女は叫ぶ。

「ふざけないで…エルヴィンにとっては…みんなにとってはそうでも、私にとってあの子達は…いくらでも代えの利く使い捨てなんかじゃなかった…!!新しい兵士なんかいらないッ!!私の部下はずっと…ずっとあの子達だけだッ…!!」

もう止まらなかった。何かが切れてしまったかのように叫び続ける。

「どうして…どうしてもっと早く信煙弾を上げてくれなかったの…?もっと早ければあの子達は死なずにすんだ…ルイスだってあんな大怪我を負わずにすんだのに…!!」

エルヴィンを責めた所でどうしようもないのはわかっていた。わかっているのに止められなかった。自分自身頭が混乱していてわけがわからない。誰でもいい、誰でもいいからこの行く宛のない怒りをぶつけたかった。

そんな自分を誰もいさめようとはしない。ただ黙って、彼女の叫びを聞いている。死んだ彼らと一番長く過ごしていたのは紛れもなく彼女だ。かける言葉など存在するはずもなかった。

ひとしきり叫んで、レイラは我に返ったのか、ひどく切なそうな表情をしてエルヴィンから手を離す。

「……ごめん…本当は…誰も悪くないのにね…ごめんね…ごめん…」

自分で自分がわからない。何故こんなに謝っているのか、何故あんなに腹が立ったのか。そして何より、何故こんなにも悲しくて悲しくて胸が張り裂けそうなのかがわからなかった。別れなど、仲間の死など見慣れていたはずなのに。その度に次はもっと多くを守ると決意して、自分を奮い立たせていたはずなのに。

「ごめん…みんな…出てってくれないかな…」

これ以上嫌な自分になってしまう前に。もうもはや皆を直視することさえできなかった。
何も言わずに静かに部屋を出て行く皆の足音が耳に入り込んでくる。それはまるで自分から皆が離れていってしまう音のようで、レイラは強く唇を噛んだ。

けれど遠ざかる足音とは逆に近づいてくる音も聞こえる。その音はやがて止み、瞳には誰かの足が入り込んできた。

「…出てって…言ったの…聞こえなかった…?」

尚も動かない目の前の人物、リヴァイは出て行く気などないようで、ただ彼女を見下ろしている。

「あいつらは死んだ。もういない」

グサリと、鋭利な刃物で突き刺されるような感覚。アイリスとジャックは死んだ。もう二度と会うことはできない。いつまでもズルズルと引きずっている隙など今の自分にはないことも、そんなことはわかっている。けれど、この三日間ずっと心に引っかかっているのは部下の死だけではなかった。

レイラは俯いたまま拳を握りしめて、絞り出すように声を発す。

「みんなさ…もういつもの生活に戻ってる…表情は暗いけど…いつもと何も変わらない。まるでアイリス達が死んじゃったのがなかったことみたいに…二人のことなんて忘れちゃったみたいに」

“ウォール・マリア奪還作戦”という出来事において失った仲間達。それによってできた穴を修正して普段通りに生活する人々。
もちろん死んだ仲間を思い悲しみ、同情もする。けれどそれもいつしかなくなって、ただの記憶でしかなくなってしまう。レイラにはそれが何より悔しかった。そして同時に自分に絶望した。

今まで自分もそうしていたからだ。死んだ者達を思って悲しみ、バネにして次に臨む。結局自分も己に関係の薄かった者が死んでも単なる悲しい記憶としか残していなかった、ただの偽善者だったのだと気づいてしまったから。

それが今は近しい者を失ってこんなにも辛く、苦しい。恋人を失って自ら命を絶った者を何人も知っている。今ならその気持ちも理解できた。自分も死んでしまいたいと。

「リヴァイは…いっぱいいっぱい部下を殺されて…苦しくないの?辛く…ないの?」

「…俺達には立ち止まってる時間なんかねぇんだよ」

前を向いて走り続けなければ人類に勝利の日など来なくなる。多くの犠牲を払ってでもなし得なければならないことがあるのだ。たとえその犠牲が大切な者達であっても。だから止まるなと、リヴァイからそう言われているような気がした。

「リヴァイは強いね……私は…あなたみたいに強くなんかないッ…強くなんかないのッ…!!」

ぽたぽたとレイラの瞳からこぼれ落ちる涙。それを見て、リヴァイは驚いた。

今までに彼女の涙を見たことなどあっただろうか。いや、ない。笑顔を絶やすことなく、どんなことがあっても前向きに動いて、どんな逆境でも立ち向かっていく強い奴。それが彼の知っているレイラという女だった。

いや、それは勝手に思いこんでいただけなのかもしれない。彼女ならすぐに立ち直ってくれるはずだと。彼女は強いからきっと大丈夫だと。表面のレイラだけを見て、勝手に決めつけていた。

レイラは溢れ出る涙を拭おうともせずに言葉を紡ぐ。

「…リヴァイ……私は…どこに向かって歩けばいいの…?わからない…もうわからないよ…」

本当はとっくに限界など来ていたのだ。守るべき市民達を見殺しにしなければならないことへの苦しみ。そして共に戦ってきた仲間達の死。目覚めるかどうかもわからない仲間の心配。色んなことが重なって彼女の精神はもう既にボロボロだったのだ。

それでも必死に涙を堪えようとするレイラの頭を引き寄せてリヴァイは自身の胸へと押し当てた。

「…リヴァイ…リヴァイッ…」

ただ自分の名を呼んで、彼女は泣き続ける。小さな体は小刻みに震えていた。彼女はこんなにも小さかっただろうか。こんなにも触れたら壊れてしまいそうなほど弱々しかっただろうか。きっとそうだったのだろう、初めから。彼女自身が隠してきて、それに自分が気づかなかっただけで。

「このまま…みんな…みんないなくなっちゃう…大事な人がみんなッ…!!ルイスも目覚めないかもしれないッ…!!そんなの嫌…恐いよ…」

一人、また一人と消えていく。遂にはアイリスとジャックまで。このままではいつか、未だ目を覚まさないルイスも、そしてハンジやミケ、リヴァイやエルヴィンまでもが自分の傍からいなくなってしまうのではないか。それは何と恐ろしいことだろう。

だが、彼女の不安を吹き飛ばすほど力強い声はすぐに聞こえてきた。

「俺は死なない。ずっとお前の傍にいる。ルイスの野郎も必ず目覚める」

「誰もお前を一人にしない」と、そう言ってリヴァイは強くレイラを抱きしめた。レイラは驚いて反射的に彼の腕から逃れようとしたが、リヴァイはそれを許さず、強く彼女を閉じ込める。

自分でも何故こんなことをしたのかわからなかった。でもそうしなければならないと、いや、そうしたいと思ったから抱きしめた。

「お前は今まで通りのお前でいい。守る為に戦って、いつもみたいに笑ってろ」

「……いいのかな…本当にそれで…」

「誰にも本当に正しい答えはわからない。でもな、一度信じたモンがあるなら…それを信じ抜け」

守ることの難しさ。今回の作戦でそれを嫌というほど思い知らされた。仲間を失うということの本当の辛さも。だからといってもう兵士でいることが、他人の為に戦うことが嫌になったかといったら答えは否だ。むしろもっと頑張らなければならないと思ったほど。ただ今は大切な者達を失ってしまったということの方が衝撃的でそれを考えてはいられないだけ。

きっと今のこんな自分をアイリスとジャックは笑っていることだろう。目覚めたルイスにも、こんな所を見られたら「何やってんスか」と笑われるに決まっている。そして迷っている自分に呆れてしまうだろう。それは何と情けないことか。ならば、自分の今するべことは何か。考えるまでもない。もう一度、諦めかけた道を歩くことだ。死んだ者達の為にも。彼らに笑われてしまわない為にも。

そしてレイラは震える声でゆっくりと口を開いた。

「……そう…そうだよね。リヴァイ…私頑張るから…もう立ち止まらないから…だから…」

そろそろとリヴァイの背中へと手を回す。彼のように強く、レイラも彼の体を抱きしめ返した。


「今日だけは…ううん、今だけは…泣いてもいいよね…?」

「あぁ…泣け」


今まで押し殺していた声を上げてレイラはただ泣き続け


やがて、泣き疲れて彼女が眠ってしまうまで


二人はずっと

お互いを抱きしめ合っていた。


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