04
ウォール・マリア奪還作戦を明日に控えた今日。レイラは一人刃をとり、来たるべき時に備え、シュミレーション戦闘を行っていた。


「はッ…!!」

気持ちのいい音を立てて空を切る刃。断続的に響くその音は誰もいない空間には大きく聞こえる。

目の前に巨人がいることを想像した。向かってくる所を前に踏み込んで切り込む。立体起動装置を使用していることももちろん想像。足の腱を削いだ後は素早く後ろに回り込む。巨人が起き上がるより早く倒れた背中に飛び乗ってうなじを切り落とす。

「ふぅ…」

呼吸を落ち着かせるために目を閉じた。先ほどのシュミレーションを思い出す。
詰めが甘かっただろうかとか、もっと時間短縮に重きを置いた方がよかっただろうかとか。それとももっと痛めつけてやった方がよかっただろうか。人を食うのだ。大事な仲間すらもその醜悪な体に収めるような相手だ。憎しみを込めて切り刻んで、壊した方が。

きっとそっちのやり方のがスカッとする。満たされる。そして何より楽しいと思う。奴らは敵なのだ。

敵は壊す。

壊すんだ。

壊せ。




「おい、レイラ」

暗い闇から引きずり出されるような感覚。レイラは我に返り、閉じていた目を開く。

まただ。またあの感覚に呑み込まれそうになっていた。エレンに巨人のことについて聞かれた時に感じた恍惚によく似たそれ。何かとても恐ろしい感覚。

「あ…リ…ヴァイ」
呆然としたまま後ろを振り返る。後ろから近寄ってくるその姿にひどく何故かとても安心した。

「何て面だそりゃ」
レイラの瞳にはまだありありと不安の色が見て取れる。その様子にリヴァイは何事かと眉間に皺を寄せる。
暫し訪れた静寂。それを破ったのはレイラの方だった。

「………ねぇ、私…今何考えてたのかな……?」

「んなもん…俺がわかるわけねぇだろ」

「だよね、ごめん」と言って苦笑するレイラ。
最近何かがおかしくなってきている気がする。明日に迫った作戦で緊張が高まっているせいかもしれないが、自分の心が真っ黒なものに侵されていくような、そんな漠然とした感覚が。そしてそれが恐ろしくもあったが何故だか同時に心地よくもあった。

力無く垂れ下がった手に握る刃を見つめる。この刃が巨人の血で濡れたらどれだけ綺麗なんだろう。飛び散る血が己に降りかかって、その時に感じる己は巨人よりも優れているんだという優越感。爽快感。早く、早くそれを感じたい。

「…ッ、また…!」

思わず刃を地面へと放り投げる。小刻みに震える手のひらを見つめると一瞬その手が血潮に濡れていたように見えた。

「…ッ!!」

恐怖に目を見開き、完全に怯えに浸食されかかった時に突然肩に重みが加わる。

「レイラ!!!」

グッと力を込められた肩に痛みが走る。気づけば目の前には先ほどと何一つ変わらない恐怖心など微塵も感じられない風景が広がっていた。そしてその視界の大部分を怪訝そうな表情を浮かべたリヴァイが占めている。

一体これは何だと言うのだ。巨人と戦うと思うとこんなにも胸が高なって、そして同時にとんでもない恐怖に襲われるなんて。怖い。ただ単純にそう思った。レイラは目の前の腕を震える手で弱々しく掴む。

「リヴァイ…私…最近怖いんだ…」

とてもか細い声。それは普段の明るい彼女からは信じられないものだった。

「何だかね…自分が自分じゃなくなっちゃってるみたいで…はは…おかしいよね…」

怖くてリヴァイから目を逸らすことができない。またあの恐怖が襲ってくるかもしれないから。
そしてレイラは堰が切れたように話し出す。聞き手の反応を待つほどの余裕なんか今の彼女にはなかった。

「…私…戦いのことを思うと急に気分が高揚して…もっともっと巨人を殺したいって…感じるようになるんだ…それがすごく怖い…こんな時に考えていいことでもないんだけど…」

その時不意に自分の手をリヴァイに握り返される。

「お前の今するべきこと…やりてぇことは何だ」

「私の…やりたいこと…?」

彼の言葉を意味を必死に理解しようとする。自分のやりたいことなど一つしかなかった。

「自分の自己満足の為に巨人を殺してぇのか?」

「違う…!!そんなわけないじゃない!!私はみんなを守りたい…!!ただそれだけ!」

その言葉を聞いてリヴァイは静かに口を開いた。

「ならそれがお前の答えだ」

「答え…」

皆を守りたい。嘘じゃない。それを嘘だと否定することは自分自身を否定することと同じこと。だがそうだとしたらこの感情は一体なんだと言うのだ。得体の知れない恍惚。本当は守りたいなどただの理由付けで、自分はただ巨人の殺戮行為を楽しんでいるだけではないのか。そしてそれはいつか巨人だけではなくもしかしたら。
「……でもさ…巨人を殺すこと想像して楽しいと感じるんだよ…?普通じゃない…狂ってる…」

「…それは今も感じてんのか?」

リヴァイの言うそれが得体の知れない恍惚のことだと言うのはすぐにわかった。
そんなもの今も感じているわけがない。

「ううん…今はただ怖い…一瞬でもそう思った自分がいたことが信じられないよ…リヴァイが来てくれなかったら私…」

きっと彼がここに来なければレイラはもっと深く堕ちていただろう。前もそうだった。エレンからの質問におちかけた意識を引き戻してくれたのはルイス。今もこの前も自分ではない誰かがあの感覚から救ってくれた。

「なら、またそんなくだらねぇこと考えそうになったら俺の所に来りゃいい」

「え…?」

「何度でも引き戻してやるよ。殴ってでも…蹴り飛ばしてでも」

一瞬レイラは驚きに目を見張る。だが、こみ上げてくる安心感にすぐにその顔は今にも泣きそうなほど歪んだ。

「あ…はは…ありがとう…リヴァイ…本当に…ありがと」

そうだ。みんなが傍にいてくれるのならきっと大丈夫。それが自分の生きる糧なのだから。こんな変な感情に押し流されることに怯える必要なんかない。

レイラは本当に嬉しそうに微笑んで頷いた。

「何だか最近はリヴァイにたくさん励まされちゃってるなぁ…」

もう一度「ありがとね」と言って、それから思い出したように彼女は顔をうっすらと赤く染める。

「あー…えっと……手…そろそろ離してくれる…?」

元はと言えば自分が彼の腕を掴んだのだがその後に握られた手に恥ずかしさが今頃こみ上げてくる。リヴァイは彼女と違って特に動揺もせずに静かにその手を離した。

「落ち着いたんならとっとと会議室来い。最終ミーティングだ」

「あ、そうだった!!もしかしてリヴァイそれ伝える為に来てくれたの?」

「あぁ、もうすぐ始まる。早く行くぞ」

「待って待って…!私片付けてから行かなきゃだから先行ってて!!なるべく早く終わらせるから!!」

「チッ…グズグズすんなよ」

そう言って彼はすたすたと行ってしまった。手伝う気はないのかと最後の舌打ちにうっすら怒りを覚えたが自分が全面的に悪いので何も言えない。
レイラはそれでも晴れやかな気分のまませかせかと後片付けを開始した。






























リヴァイが建物の中に入ろうとした時、その入り口の横の壁に背を預けている男がいた。よく見知っているその姿にリヴァイは彼の前で立ち止まる。

「ルイス…何してやがんだお前」

声をかけられたルイスは壁から背を離して苦笑しながら彼を見下ろした。

「どうもッス。いやぁ、あんまりにも兵長が遅いんで俺も分隊長を呼びに行こうと思ってたんッスけどね…途中で引き返しまして」

「何故来なかった」

「だって兵長と話してる時のレイラ分隊長、何か辛そうだったから…俺が割り込んでいい話でもないと思ってたんッスよ」

ルイスの言葉にリヴァイはますます眉間に皺を寄せる。レイラが苦しんでいるのがわかったのなら、何故あの場に行ってフォローしてやらなかったのか彼には理解できなかった。あれだけレイラのことを大事に思っているのなら彼ならそうするはずだろうに。

大体あの時もそうだった。奪還作戦のことを知った時も辛そうな彼女を一番近くで見ていながらルイスは自分やエルヴィンに威嚇はしても彼女には何もしないどころか慰めの言葉すらかけてやらなかったのだ。

「何でかわかんねぇって顔してるッスねぇ兵長。ま、兵長の低脳加減じゃわかるはずもねぇッスよ」

すかさず飛んでくる蹴り。ルイスはそれをひらりと避けて笑った。

「あの人はね、絶対俺には…俺達には弱みなんか見せないんッスよ。いつもいつも大丈夫って言って笑うんだ。年下はこういうとこ嫌ッスねぇ、本当に」

「だからあの時割って入って来なかったってのか?」

「えぇ、俺が行ったらまた分隊長無理しちまいますからね。だから不本意でしたけど兵長にあの人の不安を取り除いてもらおうかと」

それはつまり、自分は偶然とはいえルイスに利用されたということか。何故だか無性に腹が立つがそれは置いておくとしよう。

するとルイスは突然居住まいを正して真面目な顔つきになった。

「兵長、この際だから恥やプライドも全部捨ててお願いさせてもらいます。これからもできる限りでいい…分隊長を…支えてやって下さい…!!」

頭を下げるルイス。その光景にリヴァイは目を見開いた。こんなものが見られる日が来るとは夢にも思わなかったのだ。ルイスがレイラ以外の他人に心から頭を下げて願い事をするなど。

きっとこれを言うために彼はずっとここで待っていたのだろう。彼の本気が伺い知れた。


リヴァイは何も言わずにルイスの横を通り過ぎていこうとする。ルイスはゆっくりと顔を上げて落ちかけた帽子を押さえてやれやれと苦笑した。

「無言の肯定と受け取っていいッスね?」

「好きにしろ」

「…天の邪鬼」

振り返ったリヴァイがルイスをぎろりと睨む。

ルイスに言われなくてもリヴァイは元からそのつもりだった。レイラにもそんなようなことを言ったわけだったし。

「ねぇ兵長、一つ聞いてもいいッスか?」

何も答えないリヴァイに最初から返事なんか聞く気もないのか、ルイスはすぐに話し出す。

「今回もそうッスけど何だかんだで兵長は分隊長のこと結構気にかけてるッスよね。何でです?」

一瞬の間のあと、やがてリヴァイは口を開いた。

「俺はあいつが他人を守って幸せそうにして笑ってる姿しか知らねぇ。そうじゃねぇレイラを見てんのはこっちの調子が狂う。ただそれだけだ」

今度こそ本当に歩き出す。
その答えに満足したのか、ルイスは笑いながら彼の背を追いかけた。

「兵長兵長、明日の作戦、ドジ踏んで死なねぇでくださいよー?」

「うるせぇ、お前は死んでこい」

「ひっでぇ」



大きな後輩と小さな先輩。

笑いながらこの二人が歩いている光景は実に久しぶりだった。


そしてそんな二人の後ろ姿を発見した

レイラは不安など初めからなかったのではないかと思わせるほど

穏やかに微笑んでいた。


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bkm
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