「レイラ、いるかい?」
返事はない。
奪還作戦を一週間後に控えた日。ハンジはレイラの部屋を訪ねていた。
しかし、部屋に彼女の姿はなく、ルイス達もいない。代わりに机の上にはぐしゃぐしゃに丸められた紙切れがポツンと、窓から差し込む日の光に寂しげに照らされていた。
「これは…」
ぐしゃぐしゃのそれを丁寧に広げていく。正体はハンジも今朝渡された作戦企画紙。それを見ているだけでレイラの憤りが伝わってくるようだった。
「……レイラはいなかったのか」
「あぁ、ミケ。ということはそっちも不発だったのかな?」
無言で頷くミケにハンジは軽くため息をつき肩を竦める。
予想はしていたのだ。配られた企画紙に記されていたレイラの配置は彼女を驚愕させるには充分すぎるものだった。
レイラほどの者が隊の後衛につき、あまつさえ一般人の兵隊達とは離れた場所に配されている。
政府のせんとしていることがわからないわけではない。口減らしの為の作戦だ。レイラにあまり邪魔をされては困るのだろう。だが、あまりにも露骨すぎる。
しかもルイス、ジャック、アイリスの三人はレイラの側から離されていた。これもまた、彼らの邪魔をさせない為なのだろうか。
最後にみたレイラの悲痛な表情。今までであんなに辛そうな彼女の顔を見た者などいるはずもない。それでも何一つ異を唱えることなくレイラは静かに自室へと戻っていった。
レイラが作戦を放棄することなどありえないとは思う。優しい優しいとはいっても芯の部分は今の現状を受け止められるぐらい強い人だと。だが、あの儚げな後ろ姿にハンジ達は何か嫌な予感を感じて彼女を探しに来たのだ。
ハンジは彼女の自室を。ミケはロキのいる実験室。リヴァイは行き先を告げずにどこかに行き、ルイス達は制止も聞かずに街へと走っていってしまった。だが、その内二カ所は不発。
「…皮肉なもんだね。力があって強い優しい人が厄介者扱いなんてさ」
窓の辺りに置かれた綺麗な箱をそっと開ける。時を刻む事を放棄した懐中時計、割れたメガネ、元の色などわからないほど血を吸ったヘアゴム。
がらくたばかりの宝箱。
兵士達の生きていた証。レイラの、生きていく為の糧。
一週間後、この箱の中身は一体どれだけ増えるのだろうか。
その未来を想像してハンジは目を静かに伏せた。
夢を見た。明晰夢。とてもとても懐かしい記憶を呼び覚ます幼き時代の夢。
あの頃はただがむしゃらは夢だけを追いかけていた。
幼い頃から調査兵団になることだけを目標にして。街に帰ってくる調査兵団の団長の後ろにいる名も知らぬ兵士をずっと憧れていた。あの人のように凛として立派な兵士になりたいと。エルヴィン・スミスという名を知ってからは彼の部下になりたいとも思った。
周りには随分止められた。だけど父だけは賛成してくれた。日溜まりのような笑顔で「お前なら分隊長にだってなれるかもなぁ」と言ってくれた。やがて周りも根負けしたのか何も言葉には出さないけれど、応援してくれるようになった。
その頃からだっただろうか。そんな優しい人達をずっとこの手で守っていきたいと思ったのは。この手の届く範囲内では巨人には好き勝手などさせないと。そう思ったはずなのに。
でも今はどうだ。守るべき者達を救う為に同じく守るべき者達を捨てようとしている。こんなに笑える話はない。それでも、どんなに理不尽な状態に陥ろうと彼女のやることは一つしかなかった。
「…やるしかない、か」
夢から覚めてはっきりとしてくる視界。屋根の上。今ハンジ達がいる自室の丁度真上に位置する場所。以前ロキから教わった灯台下暗し作戦で昼寝する時にはよく利用している場所。そして落ちかけた日。夕日が当たるといつも見ている壁も一層壮大な雰囲気が出ているようだ。
「何をだ」
「できる限り被害を抑えること」
後ろから気配もなく現れた人類最強の男に、レイラは特に驚きもせずにそう言った。
「リヴァイ、私さ、自分が死んでも…みんなを守って死ねるならそれでいい。それぐらいの気構えで今回の作戦挑もうと思うの」
橙の空に手を翳す。指の隙間から見える空は何とも美しい。
そして綺麗な物を見ているといつも思う。自分にできることなんて本当に些細なことばかりで。大事な物を掴もうと手を伸ばしても、掴んだ途端に消えていく。
「忙しい奴だな、お前は」
「んー…落ち込んでる暇なんてないってわかっちゃったからなのかな。どうせもう決定しちゃったことなんだし」
「やるしかないんだよね」と言って笑うレイラ。本当に久々に彼女が普段通りに笑っているのを見た気がする。柄にもなく綺麗だと思った。
彼女を殺すのは惜しい。巨人に食い殺されるなど以ての外だ。
「勝手にすればいいが死に急ぐなよ」
「そんなドジは踏みません」
「どうだか」
「リヴァイこそ死に急がないでよ?」
「俺とお前を一緒にするな」
「フフ…どうだか」
いつの間にか場の空気が解れていく。
気付けばリヴァイは彼女の横に腰掛けていた。
「リヴァイと一緒にいると落ち着くよ。やっぱり。他のみんなといると忙しないから」
「エルヴィンにミケはうるさくねぇだろうが」
彼女はうーんと唸る。確かにそれはそうなのだが。
「ミケは無口すぎるから、疲れる。エルヴィンは緊張しちゃって長時間二人は苦だね」
「言っとくがな、エルヴィンはお前を女としてなんて見てねぇぞ」
「だ…だから…何でそうなるの!!彼はそういうんじゃないって!!」
レイラは熱くなった顔を手で扇ぎながら笑みを浮かべた。
「…リヴァイ、ありがとね。今更だけど私を探しにここに来てくれたんでしょ?」
きっとハンジ達やルイス達もずっと自分を探してくれていたに違いない。心配させておいてちょっとだけ嬉しいと思ったのは秘密だ。
「さてと。やっと踏ん切りついたし、部屋に戻って作戦練り直さなきゃ!流石にルイス達と離されるとは思ってなかったから考え直しだよ」
「…レイラ」
「ん?何?」
「生きて…帰るぞ」
「はは、了解」
これから先もずっと守るべき人達は変わらない。
そして私は生きて帰ってくる。
必ず…必ず