01
調査兵団本部。

兵士達の話題は先日発表されたウォール・マリア奪還作戦のことで持ちきりだった。

この作戦の意図を理解していても、彼らは口には出さない。誰しもが、この飢えの中で家族を養わなければいけないのだ。黙って従えば自ずと住民は減り、負担も減る。異など唱えられるわけがなかった。

そして今日も雲一つない空とは対象的に本部内は陰鬱な空気で満たされていた。


「おい、聞いたかよ…奪還作戦の話」

「あぁ、政府もよくやるよなぁ。そんなの無謀すぎるってのに…」

「馬鹿、希望持ってるやつなんてほとんどいないだろうが」

「それはそうだけど…でもよ、レイラ分隊長はこの件どうお考えになってるんだろうな」

「さぁなぁ…ウチの隊長は優しさの塊みたいな方だからなぁ。発狂でもしなきゃいいが…」

レイラの隊の二人が窓枠に肘を立ててそうして話をしていた時、背後からその場の空気を震わすほどの轟音が彼らの鼓膜を揺らす。

驚いてすぐに横を向くと見覚えのある帽子とそれの隙間から覗く鮮やかな金髪。レイラの自称右腕がそこに立っていた。彼は鋭い眼光で二人を睨んでいる。

轟音の正体は彼が思いきり壁を殴った音だった。パラパラと壁の破片が拳からこぼれ落ちている。

二人はルイスを見て少し顔を青ざめさせた。

「てめぇら…くだらねぇこと話してねぇで訓練でもしてこい」

「は…はいぃ!!今すぐ!!」

慌てた兵士達はすぐに居住まいを正して軽くルイスに頭を下げる。

「あ…あの…!!すいませんでしたッ!!」

「何に対して謝ってんだよ…早く消えろ」

おたおたとしながら去っていく二人。ルイスはその後ろ姿を見つめ、小さくため息をついた。

我ながら情けない。こんなに素直に感情を剥き出しにし過ぎるのはらしくなかった。
これが自分のことならいつものように飄々とした態度を保っていられたのだろうが。

あの会議の日からレイラは元気がない。普通の人が見ればいつもと変わらないように映るだろうがルイスにはわかっている。

それがわかっているだけに悔しかった。彼女が他人に弱さを見せず、たった一人で悩んでいるということが。

自分では頼りにならないのだろうか。ルイスはレイラには全てを捧げられる自信がある。だが彼女にとって自分は荷を預けてもらえるほどの信頼はないというのか。

「……くそッ…!!」

そう吐き捨ててもう一度壁を殴ろうとした時、窓から吹き込んできた風が彼の帽子をふわりと浮かす。

転がる帽子。ルイスは無気力な瞳で宙を舞う帽子を見つめた。以前ハンネスに言ったレイラの次に大事なそれ。自身の命なんかより何倍も何倍も大事な帽子は廊下の奥から歩いてきた人物の足元でぱさりと落ちる。

「………どもッス」

落ちた帽子を拾ってルイスへと手渡したのはエルヴィンだった。

手渡してから彼はゆっくりと口を開く。

「あまり今日は機嫌がよくないみたいだな」

「…見てたんスか」

露骨に嫌そうな表情を作るルイス。
その言葉を最後に、二人の間には暫しの沈黙が訪れた。それを破ったのはエルヴィンの方。

「レイラはあれから…少し調子が良くないようだな」

「団長…冗談でも笑えねぇッスよ、それ。原因作ったのあんた達でしょうよ」

「そうだったな」

抑揚のないその声にルイスは無性に腹が立つ。

自分と同じようにレイラの異変に気づいていながら何故そんなに平然としていられるのか、彼には理解できなかった。

誰もが皆自分のようにレイラが一番大事じゃないのもわかってはいるが納得できない。

「団長、俺はね…あんたのこと尊敬してんスよ」

それは偽りの敬愛。レイラがエルヴィンを尊敬しているから自分もそうしているだけの簡単な忠誠心。

「分隊長があんたを認めてるから俺もそうしてる。けどそんなあんたでも今回あの人を苦しめる原因を作った。俺はそれが許せねぇんッスよ」

エルヴィンは黙って話を聞いている。
ルイスはそれを確認して彼の方に向き直った。

「団長のやり方はよく知ってるッスよ。兵士がどんだけ死のうがそれを無駄にせずに人類を守ろうとするやり方だ」

それで死んでいった者達を彼は何人も知っている。犠牲となった者達を。

「そのやり方に文句はねぇッス。けどな、もし…もしも今回の作戦であの人も…レイラ分隊長も必要な犠牲として利用しようってんなら…」

そこで一旦間を置いて彼はエルヴィンに詰め寄った。
そして普段からは想像もつかないような冷たい声で言い放つ。

「そん時は…俺があんたを殺す」

そうして彼は足早にその場から去っていった。

エルヴィンは去っていく彼の背をしばらく見つめていたがやがて、聞こえた高い声に我に返る。

「エルヴィン!!」

「レイラ」

先ほどまで話の中心だった女がそこにはいた。
息を切らせていることから察するに、走ってきたのだろう。

「い…今…!ルイスがいなかった?」

別にこんなこと隠す必要もないので彼はすぐに返答する。

「あぁ。もう行ってしまったが…」

「エルヴィン、何かルイスに嫌なこと言われなかった?最近彼周りによくあたるから心配で…」

そう言われて彼はついさっき“殺す”と言われたことを思い出す。

だが、それは口には出さずに飲み込んだ。そして静かに首を横に振る。

「いや、何も。ただ…」

「ただ?」

「随分と君のことを心配していた」

どきり、と一瞬レイラの心臓が跳ねた。

「…そっか」

それでも彼女は顔を上げたまま微苦笑を浮かべる。

「心配するなって言ってるんだけどなぁ。はは…言うこと聞かなくて困っちゃうよ」

無理に笑っているのがわかりきっている笑顔。

エルヴィンですら少し心に引っかかるのだ。きっとルイスには耐えがたいことだろう。

そうして気付いた時には
エルヴィンはその大きな手をレイラの頭をへとのせていた。
何も言わず、ただ壊れ物に触れるように優しく彼女の頭を撫でる。

レイラはされるがままの状態で何かを堪えるように強く拳を握りしめ、震える唇で言葉を紡いだ。


「…ダ…ダメだよ…!そんなことされたら…私…私は…」

涙の滲み始めた瞳。
感情のままに流されそうになった彼女の思考を呼び戻したのは誰のものとも知れない靴音と呼び声。

「エルヴィン、ここにいたか」

その靴音と声の主はリヴァイだった。エルヴィンを探していたのだろう。

ハッとして彼の手から逃れるように後ずさりするレイラ

レイラはバツの悪そうな表情を浮かべ、顔を真っ赤に染め上げていた。

リヴァイの視線に気まずそうにしながらも必死に声を絞り出す。

「あ…え…えっと…ごめんね。何か心配かけちゃったみたいで…本当の本当に大丈夫だから心配しないで…!!でもちょっと嬉しかったよ、ありがとうエルヴィン。じゃ…じゃあまた!!」

言うだけ言って全力疾走して場から離れていくレイラ。

暫し無言だったリヴァイはそんな彼女を見つめながら口を開く。

「…邪魔したか?」

「いや…だがやはり私では駄目だったようだ」

「…?」



状況を理解できていないリヴァイをよそにエルヴィンは心の中で

何かとてつもなく嫌な予感がするような
そんな不確かで確実な不安を感じていた。


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