TF-short | ナノ
 


44回目からのはじまり





カラン、と氷がグラスを滑る音が室内に響いた。
静か過ぎる室内に響き渡るその音がやけに大きく感じて、雪菜は咄嗟に身体を縮ませる。
その様子に隣に座っていた男はチラリと暗く光る紅い瞳を向けて、クツ、と低く喉を鳴らして哂った。

「そんなに今の音が恐ろしいのか」

もちろん、そんな訳が無い。
問われた質問に咄嗟に首を振るが、喉から漏れ出る音は言葉にすらならない。
ぎゅ、と膝の上に重ねた両手を握り合わせて、雪菜は最後に一つ息を漏らした。

何でこうなったのか、と隣の男――メガトロンがグラスをゆっくり回すその様に視線を移した。


彼が自分を呼び止めたのは数時間前。
レノックスに資料の配達を命じられて和解したと言われているディセプティコンの駐屯地を訪れ、手前に位置する執務室の一歩手前。
書類を入れるだけのその箱の中に大きめに出来たソレを入れて踵を返したその瞬間、いつもなら声一つかけられない筈の雪菜の耳に男の声が届いた。

「おい」
「は、はい!」
「行くぞ」

振り返った先には、一人の男。
問わずもが、人間とは思えぬ威圧感を放つ男――もっとも、金属生命体なのだからそれは正しいのだが――は実質的にはNESTのトップと言っても過言ではないメガトロンだという事は、新米の雪菜にも一目で判別がついた。
何故人型を模しているのか、何故彼がこんなところに居るのか、そして何故自分に話しかけているのか。
問いたい事は山のように溢れたが、そのまま歩き始めたメガトロンを訳も分からずに後を追いかけた結果、何故か軍の外にあるバーのカウンターに辿り着いた。


「あ、の」
「何だ」
「おかわり、頼みますか?」
「……お前を給仕に呼んだつもりではない」

溜息混じりに漏らす彼の何と人間らしい事か。
カラン、ともう一度グラスの氷を滑らせてから口をつけたウィスキーは既に自分の目の前にある半分程に減っている。
それ程の時間が既に経ったにもかかわらず、自分の目の前にあるグラスには1ミリも減っていないどころか、溶け始めた氷のせいで量を増していた。
それもそうだ、訳も分からずに軍の中でも雲の上の存在であるメガトロンと二人きりで酒など、誰が進んで飲めるというのか。

「43回、今日で44回だ」

ただ解けていく氷を無言で見つめているとメガトロンが低く呟く声が聞こえてきて、思わず曲がりかけていた背筋に力を入れてビシっと伸ばして雪菜はその横顔を振り返った。
その紅い瞳は相変わらず目の前のグラスに注がれたまま、端正な横顔は雰囲気の良い照明によって恐ろしいほど綺麗に照らされている。
事情を何も知らない人が見れば、職業はモデルかと問うてきても何一つ不思議ではない程、その姿からは彼が金属生命体だと言う事は一切感じさせない。

「44回、お前は書類を届けに来た」
「は、い」
「だが一度たりとも長居をせず、一度たりとも口を開かない」
「……」
「何か理由があるのか。怖いのか」

ちらり、と視線をこちらに流したメガトロンに、雪菜はその視線を受け止める事も出来ずにただ顔を落とした。
理由など、それこそ軍に身を置く者なら口にせずとも一目瞭然で分かる筈なのに、目の前のメガトロンには皆目検討もつかないとは。
驚きが過ぎったが同時に彼が自分に必要な最低限の人間の事しか把握していない、と上官が述べていた事を思い出して、雪菜は縺れる口を何とか開いた。

「その、自分はまだ候補生、でありまして、」
「それがどうした?」
「……貴方のような地位のお方とお話しする立場ではありません、ので」

怖いのかと聞かれると確かに怖いが、そもそもそれ以前の問題だ。
まだ入隊して間もない自分は軍の中でも底辺の底辺、一つ上の階級の諸先輩ですら話しかけられない限りこちらから話しかける事はない。
それは雪菜に限っての事ではなく、軍に身を置く者としては極めて当たり前の事。
所謂三角形の一番下にいる自分は、その頂点に君臨しているメガトロンの隣に座る事すら、本来ならば天地がひっくり返ろうと考えられない事なのだ。

「人間の世界とやらは面倒なものだな」

少し不満気に続いて聞こえたメガトロンの声に、雪菜はごくりと唾を飲み込んだ。
もしもこの光景を誰かに見られてしまったら、明日から、否、その瞬間に雪菜の居場所がなくなってしまう恐れすらある。
それ以前に、この男の機嫌を損ねてしまうと苦労して手にいれた職を、そして命まで失ってしまいかねないと思うと雪菜の緊張はとっくに限界値を突破しようとしさえしているのだ。

「そんなくだらない事のせいで酒一つ、愉しんで飲む事も出来んのか」
「申し訳、ありません」

喋れば喋る程、メガトロンの不満そうな声色が深くなっていくのは雪菜も気付いてはいた。
だが、雪菜にはこの場をしのげるほどの勇気も、地位も何も持ち合わせていない。
ただひたすら身体を小さく丸めて、謝る事しかできない自分の何と情けない事か。

「何なら今この瞬間からお前の階級をあげてやろうか」
「え、」
「お前にとっては良い話ではないのか?」
「いえ、いえ……そのような事は、あの、まだ実力も経験も、ありませんので……、」

結構です、と震える声で伝えてみれば、これまた不満そうにメガトロンは軽く鼻を鳴らした。
野心のある者なら喜んで飛びつくだろうこの提案にも、到底快諾なんて出来る筈も無い。
コネクションが昇進を決める事もある組織ではあるが、そんな事を入隊してたった半年の自分がしても誰しもから冷ややかな目で見られるに決まっている。
今は昇進のかかった会話よりもこの場をいかに穏便に、そして早急に逃げ出す事が出来るのかを先決とし、なけなしの頭で考えながら雪菜は目の前のグラスを凝視した。

「ならば、俺がその"候補生”とやらになってやる」
「、は?」
「何だ、俺が"候補生"だと不満とでもいうのか?」
「い、いえ、そのような事は、ありませ、いや、ありますが……、」

不満そうに歪んだ口元に、雪菜が慌てて首を横にも縦にも何度も振ると、メガトロンは唸る様な声が漏れるだけ。
もう随分長い間この押し問答を続けている気がする、このまま拒否を続けたとしても恐らくはメガトロンの機嫌をますます損ねてしまうだけだろう。
そもそもどうして自分がこの場に居るのか見当もつかない、何か大事な話でもあるのかと身構えてみたが、彼はそのような素振りは一切見せない、どちらかというと――

「そうすれば酒を愉しむ余裕ぐらいできると思ったんだがな」

まったく面倒だ、といつの間にか空になっていたウィスキーグラスを指で遊んでいるメガトロンの言葉を耳に入れて数秒。
メガトロンの言葉と自分のちっぽけな脳内で過った考えがぴたりと一致した事に、雪菜は目を数回瞬かせてからメガトロンをこそりと盗み見た。

一体自分にどうしろというのだ。
酒の相手であれば自分じゃなくとも他に何人も居る筈なのに、どうして自分なのか。

考えても行き着かない答えに加え再び二人の間に流れ始めた沈黙に、もうなるようになれ、とついに意を決して雪菜は目の前のグラスに手を伸ばして、大きく深呼吸を一つ。
そして最早ただの水とウィスキーになって分離して歪んでいるそれを見下ろしてから、一気に喉の奥に全て流し込んだ。

「、ほぅ」

ダイレクトに心臓にアルコールがかかっていくような感覚に、手を止めそうになったのを何とか堪えながらグラスの中を全部飲み干していく。
ごくり、と喉を鳴らしながら胸の内を覆い尽くしていた規則や規律等を強制的に薄らげていく、この1杯はブレインウォッシュといったところか――そうでもしないとこの先に進める訳が無い。
やがて、トン、と空になったグラスをコースターに少し大きい音と共に戻し、雪菜は一度瞳を閉じてから隣の紅い瞳を振り返った。

「実は……私、甘いカクテルの方が好きなんです」

恐れがまだあるのだろう、それでも顔を顰めながら告げた雪菜の言葉に"そうか"とメガトロンは低く笑いながら口元を上げ、そしてウェイターに手を上げた。





****
ウグイス様より100000hit企画リクエストに頂きました。
メガ様とお酒を飲むお話という事でした、勝手に擬人化にしてしまいました(アセアセ
個人的なイメージですがメガ様はウィスキー派な気がします。
ロボット時でも、長い爪先でカランカラン揺らしながらグラス持ってたりしてもかっこいいなぁとか思ったり、もにょ。
結局このメガ様は何がしたかったんだ、もちろん雪菜嬢をデーツに誘いたかったのでありますが、いかんせん軍の組織だとそんな簡単にはいかないかな、と。
しかも口下手というか、人間下手そうなメガ様だし(拙宅設定)

ウグイス様、リクエストありがとうございました!


>>back