![]() 最果てへのカウントダウン びくり、と体が跳ねた。 声さえ出なかったもののバクバクと大きな音を立てる心臓を感じながら、はっと瞳を開く。 歪んだ世界に暫く呆然と天井を見つめてからようやくその原因が自分の涙だという事に気がついた。 視界に広がるのは薄暗い部屋、ちらりと視線を泳がせるとベッドサイドに赤く光るデジタル時計が歪んで視界に入ってくる――02:47。 重たい身体とひどい眠気がまだ十分な休息をとってないと告げているのを感じながら、雪菜は無意識に入っていた全身の力を解いて胸元に手を翳した。 直に触れる少し汗ばんだ肌にかかるブランケット。 その端を反対側の手で掴んでぎゅっと引き寄せるのと同時に目頭からもう一筋、涙が静かに溢れた。 「、っ」 何が悲しいのか、何が怖いのか分からない、何の夢を見たのかさえ覚えていない。 未だに騒がしい音を立てる心臓に、震える息を音を立てないように気を使いながら漏らして少し上にある彼の顔をそっと見上げた。 そこにはいつもの紅い瞳はない、それもそうだ、彼は―バリケードはー今スリープモードに切り替えているのだから。 咄嗟に縋ろうと、声をかけようと出かけた手と声をギリギリのところで抑えて雪菜はぐるりと身体を捻らせてブランケットを頭まで被った。 スリープモード、つまりは”節電モード”時の彼はいつも以上に短気で機嫌が悪い、そんな彼を起こしたうえに”怖い夢を見た”等と伝えるなんて……どうなるかなんて考えたくもない。 ゆらりと揺れた視界に重たい瞳を閉じて、包まったブランケットの中で震える息を漏らしたその時、ギシリとベッドの軋む音がした。 「起きたのか」 突然降ってきた声に出しかけた息が途中で止まる。 身体が強ばらなかったのがせめてもの救いではあるが、閉じた瞳から零れ落ちた涙をブランケットの中で強く拭いて雪菜は口を噤んだ。 「狸寝入りを決め込むならそれでも構わんが」 ふん、と鼻から軽く漏れる笑い声のような、嘲笑の様な、彼がよくするその音がブランケットごしに聞こえてくる。 このまま黙ってやり過ごそうかと、それでもブランケットの中で声を殺して様子を伺うと程なくして彼が上半身をベッドから起こす音に、雪菜は観念して彼のほうへと身体を反転させた。 ごしごしと目元を擦ってからそっとブランケットから顔を出すと、相変わらずその世界は薄暗いままだったが今度は確かにそこに浮かび上がる紅い二つの瞳と、揺れるライターの炎が浮かんでいた。 「……起きてたの?」 ふぅと煙を吐く音が聞こえてきたがこの明るさでは白い煙を捉える事も出来ない。 ただ、ジジ、と煙草が燃える音に耳を傾けながら雪菜はそっとバリケードへと控えめに身体をすり寄せた――どうか彼が鬱陶しく振り払わないようにと小さく願いながら。 「起こして、ごめんなさい……」 素直に告げた言葉の返事は無い。 それでも振りほどく事も距離を取る事もしない彼にほっと胸を撫で下ろして自分と同様に何も身につけていないその身体にそっと手をまわした。 指先から腕までぴたりと腹にくっついたそこから感じる温度は自分とさほど変わりがない。 じんわりと伝わってくる彼の表面温度が心無しかいつもより温かい。それををぼんやりと感じながら、ようやくトクトクと落ち着いてきた心臓に雪菜は座る彼の丁度腰の辺りに額を寄せた。 「何故泣いている」 予想外に問いかけられた言葉に閉じかけた瞳を開いた。 もう退いたと思った涙がまた溢れたのかと目を瞬かせたが水滴は落ちてこない。 それならば、とバリケードの腰にまわしていた手で目元を確認しようとすると、それよりも先に頭上から乱暴に別の指先が目元に触れた。 「いた、っ」 ぐ、と押された目元は先程擦ったせいか、チリと痛みが走る。 思わず顔を顰めて彼を見上げたがその表情は薄明かりではきちんと見る事が出来ずに雪菜は瞳を細めた――最も、暗闇でもはっきりと見えるバリケードからは自分の顔なんてとっくに見えているのだろうが。 「……怖い夢、見ちゃって」 「ふん、くだらん。テメェは寝ても忙しいのか」 「でも夢の内容覚えてないから何が怖かったのかも覚えてないや」 へへ、と苦笑を漏らして彼の姿を紅い目を頼りに苦笑を浮かべてみれば、ジュ、と煙草を灰皿へ押し付ける音がした。 あぁ、手元に灰皿を持っていたのかとぼんやりとその方向へと視線を送ると、カタンとベッドサイドへと灰皿を置く音が聞こえてくる。 そのまま再度ぎしりとなったベッドに彼の身体から少し離れようとすると突然、頭上からくつ、と笑う声が響いてきた。 「な、なに?」 「虫ケラは心底、肉体疲労を味わうと夢を見ないらしい」 何やら愉しそうな彼の声色にぽかんと軽く首を揺すって疑問を問いかけてみる。 珍しく、くつくつと何度も喉を揺らして笑うバリケードはベッドに再び寝転ぶ事はせずに、腰に絡んでいた雪菜の手首をぐいと持ち上げた。 邪魔だったのかと何気なくその手を自分の元へ引き寄せたが、彼の手が手首から離れる事は無い。 少しだけ込められている力は痛くはないが、意図が理解できずに雪菜はその手を更に引き寄せてみた。 「だから?」 「あれだけ泣いて懇願してた割に――余裕じゃねぇか」 表情さえ見えないものの、バリケードの声色から口端を上げているのだろうと伺える。 その言葉の意味する事も――今自分達が何も身に纏っていない理由から簡単に答えに行き着いてしまい同時にぎくりと背筋に冷たいものを感じた。 よくよく考えてみれば自分がいつ意識を手放したのか正直覚えていない、快楽と共に果てた最後を思いだして雪菜もまたひくりと頬を強ばらせて掴まれたままの腕を振り払おうと手をかけたが勿論、離れる事は無い。 「さっきの”ブラックアウト”は演技か?」 「ち、ちが、」 「安心しろ、今度こそ本当に味わわせてやるよ、」 「ちょ、っ、ん!」 いつの間にやら両手首を掴まれて引き上げられブランケットが剥がされるたが、ひやりと纏った冷気に一瞬身体を震わせるも覆い被さってきた自分のものではない体温がすぐに肌を伝い始める。 逃げないと、と身体を捩るが固定された両腕に押さえつけられた全身はびくとも動かない、そんな雪菜を睫毛が触れ合いそうな程の距離で見下ろした彼は、確かに口の端を上げて意地悪く笑った。 「――夢も見ないぐらい、果てまでテメェを連れていってやる」 **** >>back |