TF-short | ナノ
 




偽善者のまねごと





はぁ、と白い吐息を漏らす事数分、ようやく見えてきた自分の家に雪菜は胸を撫で下ろして頬にくっついた髪を払いのける。
まるでシャワーを浴びているかと思うぐらいに容赦なく降りつける雨には早々に走る事もやめてしまった。
ちょっとそこまで散歩もかねて、なんて暢気に家を出た1時間前の自分に胸中で悪態突いていると、ふと角を曲がって現れた人影に雪菜は目を留めた。

「あれ、バリケード?」

パチパチと傘の表面を叩き付ける雨に目を凝らしてみると、同時に睫毛を伝って雨が瞳に飛び込んでくる。
慌てて目をこすっていると、目の前の男、バリケードは深い溜め息を漏らしながらぐい、と雪菜の肩を引っ張り込んだ。

「お前は馬鹿か」
「あはは、傘忘れちゃって」

全身ずぶ濡れのまさに濡れ鼠状態の自分と違い、人間らしく傘をさしているバリケード。
これじゃあどちらが"人間"かなんて分からない、と苦笑を漏らしながら顎を伝った雨雫を指で拭いながら雪菜はポケットから家の鍵を取り出した。
バリケードにここで何をしてるの、なんて聞くまでもない。
彼が基地をわざわざ出る理由は、自惚れかもしれないが一つしか無いのだから。

「明日は朝早いの?」
「……テメエがんな事心配してんじゃねぇ。さっさと服を乾かせ」

ふん、と雪菜の手から鍵を奪い取ってご丁寧に鍵穴にそれを差し込み慣れた手付きでドアを開けたバリケードに、雪菜は気付かれないように笑みを浮かべた。
ここに初めて彼が来た時はドアを蹴り破って入ってきたのは今でも良い思い出だ。
その頃に比べると、自分の"彼氏"となった今は随分と人間臭くなってきた、と雪菜はバリケードが傘の水滴を落とさずに床に放り投げたそれを拾い上げて傘立てへと戻した。

「何か飲むー?」
「勝手にする。お前はさっさと、」
「はいはい、着替えてくるってば。まったく過保護なんだから」

くすりと笑いを漏らして脱衣所に向かいながら告げてみると、ギュイとひどく不快を表す音がバリケードから響いてくる。
以前なら逐一おどおどしていたそれも、すっかりと慣れてしまい、むしろ"彼らしい"とさえ思えてくるのだから不思議なものだ。
下着までぐっしょりの濡れてしまった服を全て洗濯機に投げ込んで、手近にあったルームウェアに手を伸ばしながら雪菜は目の前に書けられているハンガーを見上げた。
自分のものではないそれは今頃ソファで寛いでいるバリケードのもの、何故か警官の制服を身に纏う彼に近所の目も気になった雪菜からの"家に来るなら私服できて!"との訴えに何とか了承を取り付けたのは少し前の話。
不満そうなバリケード曰く、パトカーに乗るのは警官だろう等と至極当たり前の解答ではあったが、いかんせん休日のデートまでも警察の格好をされたら堪ったもんじゃない。

「まったく、抜けてるんだから」

苦笑を漏らしてアイロンのあててある制服を見上げ、きっと次に基地に戻るときはこの服で帰るのだろうと思うと、限られた時間に雪菜はバスタオルを頭に乗せたままそそくさと脱衣所を後にした。
薄暗い部屋のままだった部屋の電気をつけると、いつの間に出してきたのかビール瓶を片手にソファに足を投げ出す彼の姿。
出てきた雪菜の姿を一瞥しただけでテレビもつけずにソファに寝転んだままの彼の丁度お腹の辺りに腰を下ろすと、深く沈むソファにバリケードが少しだけ身体を捩った。

「……おい」
「うん?あ、ビール私も一口欲しい」

ビール瓶を指で弄んでいたバリケードに手を伸ばしてそれを抜き取ると、今度は溜め息とともにバリケードが身体を起こし始める。
少し不機嫌そうな彼の顔を見ながらも起き上がってしまっては場所が狭い、と雪菜がビール瓶を片手に立ち上がろうとしたその時。

「、うわ、な、何?」
「五月蝿い、黙れ」

ぐっと急に頭にふってきた良く分からない握力に、思わず身体を強ばらせながら離れようとすると、それすら簡単に押さえ込まれてしまう。
何事だ、と落としそうになったビール瓶を片手に雪菜が何とか顔を上げると、すぐ目の前に暗紅い瞳が飛び込んでくる。
いつの間になんて問わずもがなだけれども、その瞳は雪菜の瞳をちらりと見下ろしてすぐにまた頭上へと持ち上げられてしまった。

「……拭いてくれてるの?」
「水が落ちてきて冷てーんだよ」

ガシガシと頭に置いたままだったバスタオルを乱暴に擦り付けるバリケードに、雪菜はぽかんと彼を見つめたまま瞬きを数回。
やがてすぐにタオルで隠れてしまった視界と、力強いその手に沸々と沸き上がってきた笑みを隠しながら俯かせた視界に入るバリケードのジーンズを見つめた。

たまに彼は、ものすごく人間らしい事をする。
以前はいきなり"拾ってきた"と言ってどうみても市販の花を片手に現れた事もあるし、どこぞの高級レストランのディナー券まで持ってきた事もある。
どれもこれも、仲間から入れ知恵されたものらしいが、今日は"頭を拭いてくれる"……普段している行いを除けば何ともスイートな彼氏ではないか、とこの"似非警官"の足に雪菜は笑みを漏らしてそっと手を置いた。

「To care and protect?」
「はっ、馬鹿言え。そんな吐き気のする台詞は一生御免だ」

頭上に振ってくるそれは酷く乱暴ではあるが、やがて一通りの水気がとんだ髪にばさりとバスタオルが肩に落とされる。
まだ完全には乾いては居無いけれども、それでもだいぶ軽くなった頭に雪菜は再度お礼を告げてビールに口をつけようとすれば、何故かあっさりとバリケードに手の中から取り上げられてしまった。

「やだ、私まだ飲んでないのに」
「もう一本持ってこい」
「でもそんなに飲めないもの」

む、と軽く抗議を表してみるが代わりに彼はにやりと口元をあげて見せつけるようにそれに口を付ける。
その仕草と瞳にとくりと高鳴った鼓動を押さえて、しょうがない、と雪菜がソファを立ち上がろうとすれば――またしても突然身体が押さえられてしまった。

「……何?」
「やるよ」
「え、ん……!?」

何を、と口を開こうとすればすぐに視界いっぱいに飛び込んできた紅い瞳によって立ち上がろうとしていたからだが押し戻されてしまう。
次いで開き始めていた口に感じる、酷く冷たい液体。
いきなり注ぎ込まれたそれ――ビールが思わず口の端から伝うものなら、バリケードはくいと雪菜の顎を慣れた手付きで持ち上げる――いったい何処でこんな事を覚えてきたのか。
ごくり、と空気かビールか分からないそれを何とか喉に流し込んで瞳を慌てて開くと、未だそこにある紅い瞳は楽しそうに歪められておりその表情にぞくりと雪菜の胸の内に熱いものが駆け巡った。

「ちょ、」
「欲しいんだろ?コレ」
「ひっ、」

コツンと音を立てて雪菜の鎖骨に当てられたビール瓶は思っていた以上に冷たくて、ぞくりと震えた身体は果たしてビール瓶のせいだけか。
くつくつと愉しそうに笑ったバリケードに言い返したくても言葉が紡げない、結局は全ては彼の手の上で踊らされてしまうのは自分なのだから。
ぐ、と押し付けられたビール瓶から伝う雫が鎖骨から胸元へと落ちていき、やがてルームウェアに薄暗い染みをつけるのを目で追いかけながら、バリケードはまだ濡れていると感知した雪菜の髪に手を差し込んだ。

「一本飲めるか試してみるか?」

ぎしり、とそのまま雪菜をソファに押し付けながら愉快そうに笑う彼の瞳はいつだって本音を物語る。
嫌だ、と首を横に振ってみてもそんな選択肢ははなから用意されていたいのは雪菜だって重々に承知済みで、現にもう一度ビールに口を付けた彼の唇がすぐに振ってきた。
ごくり、ごくりと何口かに分けて飲んだそれはすぐにシュワ、と音を立てて自分の胸に取り込まれていく。
もともとそれ程酒に強くないのは――目の前にいるバリケードが一番よく知っている筈なのに、だ。

「も、いらな、」
「酒の力で抵抗がなくなったテメエを相手にってのも、面白いかもな」
「何言って、」

フワっと完全にソファに押し倒された身体に雪菜はやばい、と思わず瞳を閉じた。
科学的根拠があるにしろ、ないにしろ、お酒を口にしてすぐに横になるとどうも脳にまでお酒が染み込む感覚にすぐに雪菜の四肢から力を奪ってしまう。
そんな雪菜を知ってか知らずか、自分の上に馬乗りになるバリケードは端正な顔を歪めながら見せつけるようにビールを口に含み――キスとともに雪菜の中にそれを流しこんだ。

「安心しろ、ちゃんと介護してやるよ。To care and protect、ってな?」
「さっき一生御免って言ったじゃない……!」
「ああ、ならTo punish and enslaveのがいいか?テメエに選ばせてやるよ」

カチャ、と何処からとも無く響いてきた音と目の前に掲げられた金属のパーツに雪菜は眉間に思いっきり皺を刻み込んだ。
本来ならば彼氏と過ごすスイートな時間には一切目にする事の無いそれらはギュインと音を立ててこれ見よがしに雪菜の眼前スレスレの場所で高速回転。
いくら彼が本気で雪菜を殺す事等しないと分かっていようが、その音に対して冷や汗が背中を伝ってしまうのは人間の本能に違いない。

「どっちも、嫌に決まって、」
「遅ぇよ」

クッ、と喉で短く笑ったバリケードの瞳が雪菜を射止め、そして落とされた顔に振ってくる唇も、喉に流し込まれる液体も冷たい。
嫌な音を立てていたそれはいつの間にか納められ、かわりにしゅるりと足下を押さえつける金属の感覚に雪菜が何とか逃れようとしても、もはや手遅れ。
――そもそも、機械生命体の彼に恋をした時点で既に手遅れなのだけれど。

「タイムアウトだ。残念だったな」

至極愉しそうに悪趣味に笑うバリケードを思いつく限り睨み上げてたけれど、それすらこの男には一興にしかならないのだろう。
ぎゅっと締め付けられ身動きの取れない足首から太股にビール瓶で冷えた手をスルリと這わせながら、バリケードは最後の一口だろう、瓶を逆さにしてビールを飲み込んでから雪菜へと流し込む。
もはや注がれるままに受け入れるしか出来ないでいると、やがてガタンと乱暴にテーブルに置かれた瓶が床に落ちる音をぼんやりとしてきた頭で何とか捉えたが、喉元に贈られた冷たい唇に"どうでもいい"と瞳を閉じた。





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バリ兄さんに頭を拭かれたかっただけです、はい。
To care and protectが本来のアメリカのポリスカーに書かれてる言葉、バリ兄さんのはTo punish and enslaveですよね。

title from STAR DUST

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