薄桜鬼-現代- | ナノ
 



Somebody's me -4-





編入してからの初めてのテストに、雪菜は大きくため息をついた。
一応、日本で習う科目はイギリスで勉強はしていたものの、やはり実際の授業についていくのは少し難しい。
特に古典や歴史といった覚える量の多い科目には、早々に雪菜の脳が悲鳴を上げ続けてかれこれ1周間になる。

「あーもうっ、何このややこしい歴史!」

バサっと机の上に手にしていた教科書を投げてから、雪菜はがっくり肩を落とした。
表面的な内容だけだというのに、とにかく自分の知らない事が多すぎる。
本当にこれが全部覚えられる程人間の脳は優秀なのか、と雪菜は教科書を恨めしげに睨みつけた。

「お姉ちゃーん、総司君がケーキ買ってきてくれたよー」
「はいはーい」

丁度そんな雪菜を知ってか知らずか、タイミングよく階下から聞こえてきた千鶴の声に、雪菜は机の上に今しがた投げ置いた教科書や資料やらから一部だけ手に取りあげて席を立つ。
スリッパをはき直してトントンと階段を下りて行くと、リビングでは千鶴がお茶を入れるべくお湯を沸かしていた。

「ケーキ、どうしたの?」
「部活の帰りに駅前で売ってて、美味しそうだったから、買ってきちゃった。イチゴのは僕のね」
「へぇ、わざわざありがと。剣道部だっけ、総司」
「お姉ちゃん、紅茶いれたよ」
「ありがと、千鶴」

ひょこり、と雪菜がリビングに足を踏み込めば、当たり前のようにここにソファに座ってテレビに電源を入れる沖田が視界に飛び込んでくる。
本来であれば彼がここに当たり前のように居る事を突っ込むべきだけれど、今となってはむしろ居ないほうが不自然な程。
そんな雪菜の胸中を知ってか知らずか、彼女が手にしたばかりのマグカップを我が物顔で受け取って口をつけた沖田に、雪菜は苦笑を浮かべた。

「そ。土方さんったらほんと、鬼のように厳しくて。だから午後の練習、抜けてきちゃった」
「顧問は土方先生?」
「うん、雪菜ちゃんのクラスの平助と、一君も一緒だよ」
「一君?」

平助、とはあの毎日気さくに声をかけてくるクラスメイトだ、とすぐに雪菜の中で合点がいったが、”ハジメ”という聞きなれない名前に、雪菜が少しだけ怪訝に首を傾げてみせる。
そんな雪菜に、沖田は”雪菜ちゃんらしいよ”なんてどこか呆れたように笑いながら、千鶴が運んできたケーキの中からひょい、っと自分の分だと主張していたイチゴのケーキにフォークを突き刺した。

「斉藤一君。雪菜ちゃんと同じクラスでしょ?」
「えーっと…、うん、多分。藤堂君なら知ってる」

1ヶ月もあればクラスメイトの名前なんて全員覚えられるだろう、なんて思っていたけれど。
現実にはそれ意外の日常生活に馴染むのが精一杯。
結局、クラスできちんと名前と顔が一致しているのは10人にも満たないだろうーーなんて、もちろん言えるわけがない、と雪菜は必死に脳裏によぎった”ヘイスケ”の苗字を口にした。

「来週テストなんだって?平助がぼやいてたよ」
「そうなの……。日本に来た事を既に後悔しっぱなしよ」
「あはは、最初の科目は?」
「日本史と古典」

こき、っと固まった首をならしながら、雪菜は千鶴が分けてくれたモンブランにフォークを突き刺す。
口に入れると口内に広がる甘い味に、雪菜はふるふると、ようやく緩んだ頬で笑みを漏らした。

「疲れた脳に甘いもの、最高っ。総司、でかしたっ」
「なら、僕がここで部活をサボってること秘密にしててね」
「部活"帰り"に買ってきたんじゃないのね……まぁいいよ、またケーキ買ってきてくれたらね」
「現金だなぁ。……ねぇ、日本史のテスト範囲って新撰組なんでしょ?」
「ん?よく知ってるね」

ふ、ときりだした沖田の言葉に、雪菜はあっという間に姿を消してしまったモンブランの最後の一切れを口に入れながら首を縦に一度落とす。
その隣で千鶴が食べるチーズケーキを視界に捉えながら、雪菜は新しく千鶴が持ってきたマグカップに口をつけた。

「まぁね、さっき左之さんがテスト作るって言ってたから」
「左之さん?」
「原田センセ。顧問じゃないけど、あの人もたまに部活見に来るんだ」
「へぇ」

剣道部員は仲が良い、という事を編入当初に沖田から聞いた事がある。
その時は誰が居るのか等詳しい事は聞かなかったが、サボりながらも毎回きちんと顔をだす沖田を見ていると、噂通り居心地がいい場所なのだろう。
現に、同じクラスの藤堂も担任である原田の事を”左之さん”と呼んでいるのをよく耳にしてると、まるで家族のようにさえ思えてくる程。(そう千姫と笑ったのは、確か3日前だ)

「もうちょっと授業真面目に聞いてればよかったなぁ。新選組、なんて名前しか知らないのに……」
「興味がない事には本当にアンテナ伸ばさないよね、雪菜ちゃんって」
「何よ、だって……あ、でも確か……ほら、面白そうな本は見つけたんだ」

沖田の言葉に雪菜が少しだけむ、っとしながらも、ふと思い出した”あの本”の存在に、雪菜はリビングに置きっぱなしにしてあったそれに手を伸ばす。
何を出してくるのか、と不思議そうに様子を伺っていた沖田に、雪菜が得意げに本を差し出すと、何故か珍しく驚いた様に沖田が目を瞬かせた。

「何これ、どこで手に入れたの?」
「原田先生のとこで、うっかり勝手に持ってきちゃったの。月曜日、学校で返すんだけどね」
「へぇ、豊玉句集、ねぇ。これって、誰が書いたか知ってる?」

どこかで聞いたことのあるセリフに、今度は雪菜が目を訝しげに細める。
そう、確か千姫にも同じことを言われた気がする、と面白そうに笑った沖田に、雪菜は片眉を上げながら紅茶を手にとった。

「新撰組の副長さんでしょ。何、それってそんなに有名なの?」
「千鶴ちゃんも、知ってるでしょ?」
「え、……、あ、う、うん」

そんな雪菜を横目に、沖田が千鶴へと問いかける。
突然の質問を予期していなかったのか、一瞬身体をビクりと震わせた千鶴は、やがて大げさに首を何度も縦に振ってみせた。

「え、なに。これって常識で知ってるレベルなの?」
「うーん、まぁ、知ってる人は知ってるレベル、かな。きっと」
「うそ、聞いたことないよ……イギリスでも絶対先生言ってなかったもん」

ぺらりぺらりとページを捲りながら、まるで懐かしむ様に目を細める沖田に、隣で千鶴が少し気まずそうに視線を彷徨わせている。
明らかに何か様子のおかしい千鶴に雪菜が怪訝そうに彼女を見つめたが、千鶴は千鶴で視線を逸らしたまま紅茶を無言で飲み始めてしまった。

「雪菜ちゃんはどの句が好き?」
「句って言われても……よくわかんないけど、これとか」
「どれ?あぁ……”梅の花一輪咲てもうめはうめ”?」
「そうそう、思わず笑っちゃった」

そう沖田に言いながら、雪菜がくすり、と笑いながらあの日の授業を思い浮かべる。
授業が暇だと思って暇つぶしに詠み進めていったが、結局ずっと小難しい日本語の羅列に飽き飽きしていた所だったのに。
ページをめくって予想外に飛び込んできた一句が見事に雪菜のツボに入り、笑いを殺すのにどれだけ必死だった事か。

「雪菜ちゃん、これ詠んでいっつも笑ってたもんね」
「だって何度詠んでも面白くって………、って、え?あれ?」
「え?」

それは本当に自然な一言。
何も考えずに口から漏れた一言に、雪菜自身が驚くと同時に、紅茶を飲みかけていた手がぴたりと止まった。

「う、そ……」

それと同時に見慣れたはずの沖田と千鶴の顔が、ぴたりと雪菜の中で何かに当てはまる。
言葉に形容なんてできない、そして、あまりにも唐突に。
突然全身に湧き上がった言い知れぬ衝撃に、雪菜が気づくよりも先に、心臓がドクリ、と警鐘を鳴らした。

「………、って、雪菜ちゃん?」
「お姉ちゃん…?どうしたの?」
「…………」
「雪菜ちゃん?」
「…………、………っ」
「お姉ちゃん!?」

すると突然、ふ、っと雪菜の体の力が抜け、倒れそうになった所をとっさに隣に居た沖田が受け止める。
同時に雪菜の手から滑り降りて絨毯に落ちてしまったマグカップは低い音を立て、床に染みを作ったが、今はそれどころではない。
力は抜けたがすぐに襲ってきた激しい動悸に、全身の体温が奪われていく感覚に、雪菜は瞳をぎゅっと閉じた。

「左之、さん」

何故そう呟いたのだろう。
けれど、震える唇で雪菜がそう呟いて瞳を開けば、ゆっくりと一筋の涙が右目から溢れてくる。
心の中で、そして頭の中で。
何か大きな壁が壊され、溜まっていた何かが溢れ出てくる感覚。
それを拒否しようと息を吸い込めば、逆に飲み込まれてしまったかのように、雪菜の瞳が大きく見開かれた。

「ご、め……」
「雪菜ちゃん?」
「ん……」

どれぐらいの時間が経ったのだろう。
溢れる洪水に飲まれていた筈なのに、気がつけば緩やかになっていた思考に、雪菜はもたれかかっていた沖田からゆっくりと身体を起こした。
床に染みを作っていたマグカップへと手を伸ばそうとして、真っ白に血の抜けたような手が視界に入れば、雪菜はその手を暫く見つめてから、ゆっくりと何かを確かめるように自身の手を握りしめる。
そして伏せていた顔をそっとあげてから、雪菜はこちらを見つめていた2人にゆっくりと微笑んだ。

「あぁ、もう……」
「お姉ちゃん、大丈夫?救急車呼ぶ?」
「……、千鶴、ちゃん」

ぽつり、と雪菜から呟かれた言葉に、千鶴の身体が大きく弾かれたように揺れる。
そんな千鶴の驚きの色を浮かべた瞳に微笑みかけながら、雪菜は背後に居た沖田を振り返った。

「総、司……も、居るのね、違う……居たのね」
「……、遅いよ。雪菜ちゃん。……、まだ、学校居ると思うよ」

そう言って笑った沖田の言葉の意味をすぐに汲み取ると、雪菜はまだフラつく身体に鞭を打って、その場に立ち上がった。
そして、懐かしいその緑の瞳を惜しむよりも先に、雪菜は玄関から飛び出した。




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なんて事のない、ほんの一瞬の間にすべてを思い出す事って、ありますよね。
あ、あ、あー!みたいない(何


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