薄桜鬼-現代- | ナノ
 



恋するクリームパン





昼のチャイムが鳴ってから5分、授業も終わりの雰囲気を見せている最中に雪菜は鞄の中からそっと財布を取り出した。
早く、早くと心の中で祈っているのはどうやら雪菜だけではないようで、クラスを見渡しても生徒達はどこか忙しない。
その空気を察したのか、目の前で教鞭を振っていた教師は苦笑まじりの溜息を漏らしてようやく授業を終えた。

「雪菜!購買行くなら俺の分も……って、」
「残念、遅かったね平助」

終わりの挨拶を告げるや否や騒ぎだした教室に響く藤堂の言葉に、返事を返したのは沖田。
ぐるっと自分より後ろの席の雪菜を振り返った筈だが、そこには彼女の姿は既になく、隣でのんびりと欠伸を一つ漏らした沖田に、藤堂は肩をすくめてみせた。

「なんつー早さだよ、あいつは。ちぇ、総司も購買行くか?」
「今日はいつもより5分も長引いたからね、あいさつと同時にダッシュしてったよ。うん、行こうか」
「そんなに購買のクリームパンって美味いか?俺はどっちかっつーと焼きそばパンのほうがいいんだけど」

ぼやきながら財布片手に近寄ってきた藤堂に、沖田は悪戯に目を細めて笑ってみせた。
”なんだよ”なんて不思議そうに眉をあげる藤堂の視線に答えることなく、”さぁね”と漏らして沖田も席を立ち上がる。
今日は間に合ったかな、なんて廊下から見える購買を見下ろし、そしてつい数分前まで自分の隣に座っていた雪菜の姿を見つけてヒュゥ、と口笛を軽く漏らした。

そんな会話が交わされているとは露知らず、雪菜は昼休みで賑わう購買の前で上がった息に身体を落ち着かせながらきょろ、と周りを見渡しながら財布に手をかけ――一際跳ねた心臓に息を吐いた。
止まった視線の先には、他の生徒より頭一つ程背の高い紅髪の生徒、原田の姿、それから隣で何やら原田と会話しているのは原田とよく行動を共にしている永倉の姿。
その二人を目印にすぐさま列に並びたい所だが、案の定今日に限っては遅れてしまいそれができない。

「左之は何頼むんだ?」
「俺はいつものと、」

耳元にかろうじて届いてくるのはいつもより聞き取りにくい原田達の会話。
普段ならばレジの列からレジまで、ほんの数分にも満たない時間だけどもばっちりと隣をキープできているのに、今日はその後ろ姿を拝む事しか出来ない。
5分も授業が長引いたせいだ、と一日に一回だけの些細な幸せが敵わなかった事に嘆きながらも、雪菜は目の前の二人ーー原田を視界に入れながら頬を緩めた。

一つ上の学年の原田に片思いをしてもう半年が過ぎ去ろうとしている。
だけど、部活も委員会も、何にも所属していない雪菜は原田との接点は何一つなく、もう一年早く生まれていれば何かきっかけはあったかもしれないが、実際にそうだとしても臆病な自分は何か出来る訳も無い。
せめて何か接点は、と探しに探した結果がーー購買でレジに並ぶこの瞬間だ。
毎日雪菜が飽きもせずクリームパンを買っているのは、毎日菓子パンを昼ご飯代わりにしている原田の事に気がついたから。
つまり、購買のこのレジだけが唯一原田の傍に近づける瞬間なのだ。
今こうしていつものように菓子パンを手にした原田達が購買を後にするの名残惜しく見つめながら、やがて回ってきた自分の順番に気落ちしながら雪菜は財布からお金を取り出した。

「おばちゃん、クリームパンとイチゴミルク、まだある?」
「あぁ、ごめんね、今日はクリームパン売り切れなんだよ」
「え、ないの?うーん……じゃあ、メロンパンで」
「明日はちゃんと取っておいてあげるから、ごめんね」

おばちゃんの忙しそうながらも、申し訳ない表情に雪菜は首を振ってお金を手渡し、手にした袋からひんやりとした紙パックのイチゴミルクを感じながら雪菜は未だ人が溢れる購買を後にした。
今日のお楽しみタイムは敵わなかったけれど、でも姿を見る事は出来たし良しとしよう、あとは人気の少ない所でゆっくりとパンをかじりながら昼食をとるだけ。
本当ならば原田と永倉の後をつけて行きたい所だが、さすがにそこまでする勇気はなく、雪菜はいつも昼食をとる少し離れた木陰へと携帯を開きながら歩き出した。
御丁寧に”今日は会えた?”なんて送ってくるのはクラスメイトの沖田。
別に隠している訳でもなかったが、一言も話した事が無いのにいつの間にバレていたんだろうとメールのリプライ画面を作成しながら、ふと足を止めた。

「おぅ、遅かったな」
「……?」

携帯の画面を見つめたままいつもの木陰に足を運ぶと、不意に声がかかってくる。
一人で昼食を食べる自分は誰かを待たしている事も無く、となると今の言葉は自分にかけられた物ではない筈だ。
いつもは誰もいない筈のこの場所なのに、今日に限っては先客がいたのかと顔を上げたその瞬間にーー雪菜は目を見開いた。

「な、え、え、?」
「どうした?」
「え、え、先輩?」
「ん?」

きょとんとしてこちらを見上げているのは、つい先程まで自分の目の前に居た筈の原田の姿。
今の今まで彼の事を思いながらメールの返信を打とうとしていた分、思わず手も思考回路も停止してしまう。
もしかして場所を間違えたかと慌てて周りを見渡してみたが、ここはいつも自分が昼ご飯を食べている場所に間違いない。

「え、えっと、え?」
「何だ、そんなに慌てて。俺がここに居ちゃ、まずかったか?」
「え、いや、そんな事は……え、先輩、でも、永倉先輩は……?」
「あいつなら食堂で菓子パン片手に定食食ってるぞ」

”よくあんなに食えるよな”なんて人事のように笑っている原田との距離、およそ1m。
いつも自分がのんびりと座っている木の下に座っている原田を穴があきそうな程に見つめながら、雪菜は目を数回瞬かせた。
どうしてここに?何で?と湧き出る疑問が次々と胸を埋めていくが、それよりも”初めて交わす”言葉に全身が硬直してまるで動こうとしない。
今、本当に自分に喋りかけているのは、あの原田なのか、当たり前のような彼の行動にもしかして自分の記憶の中で何か欠落している部分でもあるのではと真剣に疑いたくなったその時、そんな雪菜に気付いたのか原田が苦笑まじりの笑みを浮かべた。

「いや、今日はお前の姿が見えなかったからな」
「……、」
「いつもクリームパン買ってるだろ?あと一個だったから買っといてやったんだけど……迷惑だったか?」
「い、いえ!迷惑だなんてそんな……!」

ちらり、と掲げられたのは自分の番には売り切れに鳴っていたクリームパン。
原田がたまに食べているのは知っているが、彼の手元には焼きそばパンがある辺り、その言葉は嘘ではないだろう、が。
気付かれていないと思っていた、一言も話した事も無いし面識すらない分、仮に気付かれていたとしても”購買でパンを買うやつ”ぐらいの認識だと思っていたのに。
目の前の原田はそんな自分が毎日クリームパンを買っている事に当たり前のように気付いているではないか。
クリームパンを買い続けてよかった、否、これなら日替わりで違うのにしておけばよかった、否、そもそも毎日隣に居たのはやり過ぎだったかと止まらない思考回路にひやりとしたものを背中に感じながら雪菜は完全に言葉を失って原田の顔とクリームパンを交互に見つめた。

「何慌ててんだよ、いいから座れよ……って、俺が言う台詞じゃねぇけどな。悪いな、いつものんびり食ってる場所に乱入しちまって」
「え、いえ、そんな、お気になさらず……」
「俺もここで食ってていいか?」
「あ、はい、もちろんで、す」

やがて促されるまま原田の目の前に腰をおろしたものの、雪菜は未だ夢のように思えるこの状況に落ち着き先を見つけれずにいた。
いつもと何ひとつ変わらなかった筈なのに、どうしてこうなっているのか。
原田の卒業までに一言ぐらい話せれたら良いな、とは思っていたが、まさかこんな形で会話をする事になるとは。
何が一体彼をそうさせたのか、思いつく限りの可能性を必死で考えながら雪菜は手元を見下ろして汗のかいたイチゴミルクにストローを刺した。

「あの、……その、ごめんなさい」
「何がだ?」
「もしかして、いつも……、隣でパン買ってて、鬱陶しかったですよね」
「何言ってんだ、そんな事気にしてねぇぞ?まぁ、いつもクリームパンとソレ、甘いもん好きなんだなって思ってはいたけど」

ソレ、と指をさされたのは今しがたストローを刺した紙パックのイチゴミルク。
口を付けた矢先に指を指されてしまいごくりと飲み込みながら原田を見上げーー思わず咽せてしまいそうになるのを堪えて、雪菜はぎこちない笑みを浮かべてみせた。
今の今まで横目でちらりとしか見る事ができなかったのに、この距離はいかんせん雪菜には近すぎる。
もっと冷静を装って上手い返しができればいいのに、いざ原田を目の前にしてみれば出てくる言葉は全て泡の様に消えてしまうだけ。
せっかくのチャンスなのにつまらない女だと思われる、と胸中で嘆きながらせめて笑みだけを浮かべていると、ふと原田が”ところで”と口を開いた。

「はい?」
「永倉先輩ってさっき言ったけどよ、俺の事も知ってるのか?」
「あ、……はい、あの、原田先輩、ですよね?あ、すいません、私、2年の七津角っていいます」

ぺこり、と頭を下げて今更ながらに自己紹介をしてみれば、目の前の原田の手が自分の頭にかかる。
”そうか”と紡ぐ声色はいつも永倉と話している彼と全く同じで、その楽しそうな声色が自分に向けられている事、そしてわしゃわしゃと頭をまるで子犬のように撫でてくる原田にドクンと鼓動が高鳴った。
髪が乱れるなんて気にしている場合ではない、彼が、自分に、触れている。
今日は一体何の日なんだ、家から出るときに見た星占いでは確かに1位だったけれども今まで一度たりともあの占いが当たった事なんてないのに。
そんな事を考えながらされるがまま、―もう少し綺麗に纏めておけば良かったと後悔も翳めたが―、原田の手を無言で受け入れていると原田の手が思いだしたようにぴたりと急に止まった。

「うぁ、やっべ、俺昼一で体育だから行かなきゃ」
「え、」
「悪いな、急に来た上にバタバタしちまってよ。ほら、ちゃんと昼飯食えよ?」
「あ、ありがとうございます」

ぽい、と渡されたクリームパンを受け取ると、原田が残りの焼きそばパンをごくりと喉に流し込む。
その瞬間に揺れた喉仏なんかにドキリとしてしまう自分は重症だと自覚しながらも、立ち上がった原田を見上げてみると、彼はにっと笑ってからもう一度雪菜の髪をくしゃりと撫で付けた。

「雪菜、また明日な!」

え、と声をあげるよりも先にその場を後にした原田の背中を呆然としながら、少し離れた食堂に顔を覗き込ませた原田を見つめた。
声をかけている風にも見えた彼が再び校舎へと小走りに走り出すと、同時に食堂から口を大きく膨らませた永倉が追いかけて行く。
そんな様子を見つめながら、雪菜はようやく見えなくなった二人から視線を剥がして自分の頭に手を置いた――原田が今しが撫でた感触がまだ頭に残っている。

「な、なまえ……、呼ばれちゃった」

”雪菜”、と。
彼には苗字しか告げてい無い筈なのに、確かに自分の名前を呼んだ原田に雪菜はただただ鼓動を高鳴らせる事しか出来ずにいた。
考えないと、もしかして今までに彼と共通点があったかもしれない、なんて一生懸命思考を巡らせてみるがドキドキと鼓動が邪魔をして上手く頭が回らない。
この短時間で起こった事全てが夢に思えてしまいそうになるが、夢ではないーー筈だ、と雪菜は手渡されたクリームパンを見つめながら何とか長い深呼吸を一つ吐いた。

「また、あした」

あまりの緊張のせいで、ほんの一瞬しか会話が出来なかったけれど。
彼の言葉通り、また明日があるのならば。
ぷに、とクリームパンを指で軽く突きながら、叫びたい程の喜びがようやく込み上げてきたのをぐっと我慢しながら、雪菜は木陰に寝転がった。





****
芽生様より100000hit企画リクエストに頂きました。
原田先輩に憧れるヒロインちゃんって事でしたが……いかがでしたでしょうか。
あまり先輩後輩の描写が無い上、原田先輩がやけに慌ただしくなってしまって申し訳ないです……!
実は当初は、クリームパンをかじって唇についたのをぺろっと舐める原田先輩とか考えたんですけど、そこまで初対面の雪菜嬢にしてしまうとただの女たらしな気がして……急遽(笑)
その前は更に実は、焼きそばパン半分ことかも考えたんですが、口から焼きそば半分垂れ流してるのをぺろりっていうのは……いかんせん、構図的に、乙女的にあれかなと思いまして(笑)
そんな葛藤をしつつ出来上がったお話であります、いやはや。
拙宅の原田先輩はもちろん一途です(キリッ
もちろん、学年も、クラスも、お名前も原田先輩はちゃっかり把握済みです、ついでに好きな食べ物まで。
いつもぴったり横に居た分、タイミングもとれず……今日居ない!?しかもクリームパンあと1個!?チャーンス!と頑張った次第であります。
体育の時間は永倉先輩にさぞからかわれていた事でしょう……そんな原田先輩をニヤニヤしながら書かせて頂きました。

芽生様、リクエストありがとうございました!



>>back