![]() 原田君の教育実習事情 -7- 「ほら、入れよ」 「……おせっかいなのって生徒から嫌われますよ」 じろりと沖田が睨み上げてみるが、原田は相変わらず涼しい顔色でしび視線を受け流す。 それが気に食わなかったのか、沖田が僅かに口を尖らせたが、何か言葉を投げるのを諦めてそのまま目の前の保健室の扉に手をかけた。 ガラガラと響く少し重たい扉を開いてみれば、ちょうど入り口から真っ直ぐに入ったところにある机の前に立っていた白衣の後姿が視界に入る。 扉の開いた音に首だけ振り返った彼女は、入り口に立つ沖田を見て僅かに身体を強張らせた。 「……、」 「おき、た君」 振り返った雪菜の手には何枚かの書類が抱え込まれていて、何やら細かい文字が並んでいる。 そんな事普段なら気にもしないのに目についてしまうこの重たい空気に沖田は視線を宙に彷徨わせてから息を吐いた。 背後でカタンと音を立てて扉を閉じた原田をちらりとだけ振り返って、沖田は立ちすくむ雪菜の元へ足を進め、やがて目の前に立った彼女の前で足を止めた。 「……ごめん」 目の前に立つ沖田は雪菜より背が高い。 伏せられた睫毛にその瞳を今は見上げる事はできないが、それでも雪菜はじっとその顔を見上げた。 「……何が?」 「嘘、ついて」 ぽつりと歯切れ悪く紡がれた言葉に、沖田が居心地悪くもぞりと身体を動かして肩を落とした。 カサ、と不意に音がして振り返ってみれば、いつの間にか自分の背後にある机の上に軽く腰をかけていた原田に気付いて雪菜はちらりと視線を投げかける。 何か言葉を発する訳でもないが、その琥珀の視線を暫く見つめてから、雪菜は沖田を振り戻った。 「もう、……病気の事で嘘つかないでくれる?」 「……多分」 「絶対、約束よ?」 つい、と目の前に出した小指を沖田はちらりと視線を落として、ふいと顔を背けた。 それでも”わかった”とぼそりと漏らした沖田に雪菜もまた差し出した空の小指を見つめてから頬を少しだけ緩んだのに気がついた。 少し前までは苛立ちで震えてさえいたというのに、拍子抜けしてしまったかのように消えてしまったのは目の前の少年が素直に謝ってきたせいだろうか。 「、しょうがないから、許して上げる」 くすり、と漏れた笑いに雪菜が未だ頭を下げている沖田の髪へと手を伸ばす。 さら、さら、と手を伸ばして頭を撫でてみれば、ようやく沖田が視線をそっとあげて翡翠の瞳を視線がぶつかり、複雑そうに揺れるその色に雪菜が少し視線を細めると、沖田は気まずそうではあったが視線は逸らす事なく口を開いた。 「怒ってないの?」 「うーん、そりゃ、怒ってはいたけど……でも、沖田君が危ない手術受ける必要ないなら、逆に安心しちゃったかな」 「……ごめん、」 「いつも病院ばっかりで疲れちゃったんだよね」 さらりと指先をくすぐった毛先に指を絡ませてようやく手を離すと、雪菜を見つめていた沖田の瞳が少しだけ細められた。 いつもの悪戯に細める彼とはまた違う、泣きそうな顔にも見えるその表情に精一杯穏やかに答えると、ちらり、と視線が逸らされる。 心無しかほんの少しだけ染まっている頬の色に、ふ、ともう一度だけ雪菜は笑みを漏らした。 いつも自分をからかって遊んでいた彼だけれども、目の前で”反省”の色を表す彼には怒り続ける理由なんてない。 なんとなく、その感情に”歳かな”なんて苦笑の色を浮かべていれば、沖田がコホと堰を一つ漏らした。 「……あと、」 「え?まだあるの?」 先程より幾分か緩んだが、まだどこは……今度は不満そうにも見えるその表情を見上げて雪菜は首を傾けた。 カタン、と背後で原田が動く音が聞こえてもう一度ちらりと振り返った矢先、沖田の溜息交じりの声が耳に届いた。 「……原田先生とのこと。別に言ったりなんかしないから」 え、と雪菜が忙しなく動く頭を沖田へと戻せば、沖田はそれこそ興味のない表情で大きく伸びを一つ。 言わない、と前回も沖田が言ってはいたが、それでもそういう問題じゃない、と彼の言葉に雪菜は困惑した色を更に濃くした。 例え彼が言わないとしても、自分の行動に落ち度があったからばれたのだろう、そうなれば原田との事が表沙汰になるのも時間の問題の筈。 そう思い、悩んだ結論を沖田へと告げる事はせずに、雪菜が曖昧に微笑みを浮かべた――その時。 「というわけで、これは没収です、センセ?」 「え、ちょ、あれ?」 「ったく、やーっぱりこんな事考えてやがったか」 ひらひらと頭上に上げられる白い封筒、その表書きに顔を顰めた原田はひょいと雪菜の手の届かない所へとそれを持ち上げた。 ぴょこ、と飛び跳ねて取ろうとする雪菜を軽く手で押しとどめてみれば、雪菜の眉間に珍しく皺が刻まれる。 先程から背後でカサカサと音がしていたが、隠していたそれを見つけたのだろう、原田が雪菜の額をピンと叩いた。 「い、った!」 「沖田も言わねぇってんだし、気にすんな」 「で、でも……だ、って」 もご、と口篭って手を下ろせば、原田がぽん、と雪菜の頭へと手を置く。 大きなその手に包まれた頭の温かさに見上げた彼は呆れたように方眉をあげてこちらを見下ろしており、手にしたソレをスーツのポケットへと入れた原田の手を追いかけて雪菜が手を伸ばせば、簡単にその手を掴まれてしまった。 「……返して」 「どうする気だ?」 「……気の変わらないうちに、」 「じゃあ気が変わるまで、返せねぇな」 そんな、と声を上げようと雪菜が頭を振ったが、しっかりと捉えられた捉えられた手は硬く閉められていて自分の力では解く事すらできない。 そんなやり取りを続けていると、ふと背後にいた沖田から盛大な溜息が聞こえてきた。 「言わないとは言ったけど、目の前でいちゃつくのやめてくれない?」 「っい、い、いちゃついてなんか……!」 「何だ、羨ましいのか?」 「原田君!」 咄嗟に沖田を振り返り、原田の手を振り解こうとすればしゅるりと背後から原田の手が腰に回る。 慌ててそえを解こうとしても、敵わない力の差に雪菜が声を荒げて原田の手を抓った。 「わーった、わかったから、抓るな」 緩められた原田の腕からするりと身体を抜けだしたその瞬間に、スーツの隙間に手をいれる、かさりと指先に触れたソレを抜き取って両手にしっかりと抱え込めんだ。 思い悩みながら書いたソレを今すぐに出すことは出来なかった、だけど、と封筒を見下ろせば原田が呆れた声を漏らした。 「だーかーら、お前が辞める必要ねぇだろ?」 「だ、だって、沖田君にばれてた、って事は……多分、他の人にも分かりやすい行動とってたと、思う、から」 「あぁ、だって僕の姉さん情報だもん」 「え?」 「指輪、あれ、僕の姉さんの店で買ったからね。原田先生」 さらりと告げられた沖田の言葉に、雪菜も、そしてまた原田も目を見開いた。 そんな二人の反応を見返して、沖田は面倒臭そうに、それはわざとらしく長い溜息をつく。 「その指輪、1点ものでしょ。原田さんが買ったって姉さんが……あぁ、姉さんは原田先生が在学中に教育実習できてたから知ってるんだよ」 「ま、じで」 「そ。だから、雪菜先生の指輪見た時に」 トン、と沖田が自身の首元を指差す。 いつも示された場所についている雪菜のネックレスに、少しだけ意地悪な笑みを宿して雪菜の顔を覗き込でくる。 ”すぐにわかってたんだよ”と上目に翡翠の瞳を揺らして笑いながら今度は沖田が、呆気にとられていた雪菜の手元にあった封筒を簡単に抜き取った。 「あ、ちょ、」 「これは僕が預かっておくよ、先生?」 雪菜が声をかける前に背を向けて歩き出した沖田を追いかけようとすれば、その背後からそれを引き止められた。 またか、と身体をよじってそれを脱出しようとするが、うんともすんとも言わないその腕にもう一度手を抓ろうとしたその時、入り口に手をかけて沖田がくるりと足を止めて振り返った。 「あ、そうだ」 「沖田君、だめ、それ返しなさ、」 「明日は僕、玉子焼きがいいな」 ”よろしくね”と笑ってひらりと手の中の封筒を振って出て行ってしまった沖田は雪菜が声をかける前に、ぴしゃりとドアを閉めて出て行ってしまい、空しくも残された雪菜から、あ、と小さく声が漏れた。 「原田君、離して、あれ取り返さないと……」 「あいつはアレを出したりなんかしねぇって」 「でも、」 「生徒を信じてやれよ?」 おろ、と視線を揺らしながら原田を見上げると自分の視線とは反して原田の琥珀の瞳は落ち着いた色を浮かべている。 どうして、と問いかけながら原田のほうへ身体を振り返れば、離れない腕はそのまま雪菜の腰を抱き寄せて額にこつんと頭が当てられた。 「安心しろ、悪いようにはならねぇから」 「、でも……」 「落ち着けよ、センセ?」 くす、と笑う原田の声色に思わず口を噤んで至近距離にある原田の姿を見上げた。 数日しか離れていないのに、近いその視線に久しぶりだなんて感じながら、やがてスリ、と鼻をすりあわせる原田に雪菜が少しだけ顔を引く。 「……原田君、だけど私やっぱり、」 「辞めさせねーぞ。沖田もああ言ってるだろ、今辞めたら当てつけになっちまうぞ?」 「……なんか、ヤケに沖田君の肩持ってるけど、どうしたの?」 訝しげにその表情を見上げて雪菜は小首を傾げた。 少し前までは自分が沖田の名前を出すだけで嫌な顔に加えて文句が降ってきていた筈なのに、今目の前で自分を抱きしめてる原田からは小言一つでてこない。 そんな雪菜の視線に気付いたのか、原田が苦笑のような笑みを喉から一つ漏らした。 「俺も大人になったって事」 ちゅ、と軽く触れた唇のせいか、それとも告げた言葉のせいか雪菜はぱちりと目を瞬かせ、暫く原田を見つめた後に、雪菜は困ったように顔を顰めてみせた。 「大人はこんなトコでキスしないわ」 「硬い大人にはなるなよ?」 引いた顔にぐっと近づけられる唇。 避けようと思っても避けられない事ぐらい百も承知。 触れる熱に駄目だと分かっていてもトクリと跳ねた鼓動を抑えながら、繰り返し降り続けてくる彼の熱に自然と落ちてしまう睫毛に雪菜は胸中で溜息を漏らした。 今誰か入ってくると思えば今すぐ離れないといけないのに、離れられない自分が何とも情けない。 「高校のときも、上手くやったろ?」 「……そ、うだけど」 名残惜しみながら離れた唇にゆっくりと瞳を開くと、まるで雪菜の胸の内を読んだように原田が頬にかかった髪を払いのけながら囁く。 考えてみればもうずっと隠してきたかと思うと諦めの感すら芽生えてくるが、雪菜はそれを口にはしないまま原田の言葉ににこりと微笑んだ。 「あぁ、でも。明日、俺にも弁当作ってきて欲しい」 「でも、生徒とご飯は?」 「沖田も大切な生徒だろ?」 にぃと笑う原田に雪菜は呆けたように原田を見つめた後に、ようやく胸に溜めていた息を吐き出す。 彼の中で何か変化でもあったのだろうか、雪菜がじっと原田の瞳を見上げると、その視線を受けた原田が珍しく少し視線を逸らしてぽつりと呟いた。 「俺も、さ」 「ん?」 「一応、これでも教師目指してっから。……その、いろいろ線引き出来てなくて、悪かった」 紡がれる言葉に雪菜がぽかんと思わず開いてしまった口元に、原田はバツが悪そうに、雪菜の腰にあてがった手とは反対側の手で髪を雑にかきあげた。 そのままガシガシと頭を掻いて――それでも気恥ずかしさは消えないのだろうか、雪菜の瞳から避けるように両腕でしっかりと抱きしめる。 原田の顔を見上げようとしても、しっかりと頭を抑えられてしまって頭を上げる事すらままならないでいると、安心したような笑みがふ、と雪菜の口に漏れた。 「笑うな」 「笑ってなんかないよ、うん。原田君も立派な先生にならないとね」 「……おぅ」 込み上げる安堵の笑みを堪えながら、雪菜も原田の身体に少しだけ手を回した。 **** あっさりさっぱり終了です。 誰の心情もかけてないwwwごめんな、さ…^qq^ あとは、その後が1編になります。よければお付き合い下さいです(へこり) >>back |