![]() 原田君の教育実習事情 -4- 玄関の扉が開く音が聞こえてきて、雪菜は手にしていたお玉を片手にひょこりと顔を出してみれば。 慣れた姿でこちらに入ってくる人物におかえりと声をかけてみれば、彼もまた雪菜を視界にいれてただいま、と返事を返した。 「いつからお前らの家になったんだ」 「今更だろ?」 「しかも当たり前の様に入ってきやがって」 「じゃあ土方さんがドアを毎回開けてくれるってのか?俺は雪菜のがありがてーんだが」 減らず口を叩きながら玄関で靴を脱ぎ捨ててリビングにやってきた原田にベランダでタバコを吸っていた土方が溜息混じりに部屋に戻ってきた。 ガラガラと少し乱暴に閉じられた窓に千鶴が苦笑を漏らしながらカーテンを閉じるのを手伝い。 そのまま雪菜の手元を覗き込んで”今日は肉じゃがか”、と嬉しそうに笑う原田に雪菜も頬を緩めた。 「遅かったね」 「あぁ、どこぞの古典の教師が大量にレポートなんてやらせるからな。しかも先に帰りやがって」 「何だ、できたのか」 「そりゃ一応」 ふん、と鼻を鳴らしながらソファの隣に鞄を置いた原田に千鶴はいらっしゃい、とにこりと笑った。 千鶴の卒業と同時に彼女が土方と同棲を始めたのも重なり、ここに4人が集まるのは彼らが卒業してからぐんと回数が増えた。 最初こそは、文句を言っていた土方ではあったが、大方一人暮らしになった姉を心配する千鶴に根負けしたのだろう、今となってはここでの夕飯が当たり前にすらなってきている。 「ん?携帯鳴ってるぞ」 「え、ほんと?悪いけど取ってくれる?」 ぐつぐつと煮込みながら同時にサラダを作っていた雪菜は原田にちらりと視線を向け。 じゅぅ、と音が鳴った鍋に慌てて近寄りながら忙しなく夕食の準備を進めながら原田へと声をかけた。 了解、とダイニングチェアにかけられた彼女の鞄からチカチカと主張をする携帯電話へと手を伸ばし、いつもの様にそれを手渡そうとして。 「…………沖田?」 「え?」 低く呟かれた言葉にお玉に口をつけて味見をしていた雪菜が振り返った。 見れば、そこには原田がディスプレイに表示される画面をじっと見つめていて、二人の間に鳴り響く着信音に雪菜が原田の手から携帯を抜き取る。 一目瞭然で不満気な色を移した原田にはあえて何も触れず、片手で携帯を開いて雪菜は通話ボタンを押して肩と耳にそれを挟んだ。 「もしもし?」 「……んで番号知ってんだよ」 ぽつりと呟いた原田の低い唸り声は電話中の雪菜には届かない。 あはは、なんて笑顔を浮かべながら料理の手を飲める事の無い雪菜に、原田はその後ろ姿を両腕の中に納め込んだ。 途端、ぴくりと雪菜の体がそれに反応をしたが、後ろ首から覗き込んだ原田に困った様に首を傾げてみせ。 しー、等と人差し指を口にあてた彼女の瞳を見つめて原田は息を吐いた。 「あぁ、それは別に明後日でよかったのに」 「…………」 「うん?今から?え、今どこにいるの?」 「…………」 「私?私は歳さんとこ、ほら、土方せんせ……ひぁっ!?」 不意に肩口に振ってきたチリ、とした痛みに思わず落としそうになった携帯電話を慌てて手で持ち直して雪菜は眉を潜めた。 咄嗟に漏れてしまった声に慌てて取り繕ってはみたが、肩口にかかる熱い息は離れようとはしない。 しょうがなく鍋の火を止めてから片手間で原田を振り返ろうとしてみても、案の定背後からしっかりと掴まれた体はぴくりとも動かない。 「あ、ごめんね、ちょっと晩ご飯作ってる最中で……その、鍋が吹いてっ、ん、」 「……声、だすとばれるぞ?」 くすり、と先ほど垣間見えた不満気な表情とは一転して、原田の意地悪い声が携帯を当てている反対側から響いてくる。 肩口に這わされる舌に、雪菜が何とか頭を掴んで話そうとすればする程にきつくしまる腕。 耳元からは沖田の不思議そうな声が届いてくるが、同時にしゅるりと胸元へと手が入ってきた原田にもう一度声が上がろうとしたその時。 「いっ……!」 先ほどまで落とされていた熱い痛みとは別の強い衝撃が雪菜の肩にかかり、原田が声を押し殺す音が耳のすぐ近くで響いた。 何事かとようやく解かれた腕に振り返ってみれば、涼しい顔をした土方がひらひらと原田を殴ったであろう手を宙に泳がせている。 不覚にも熱くなっている頬は今更土方にも隠すものではないが、それでも慌てて緩んだ腕から抜け出して雪菜はベランダへと駆け寄った。 締めた窓から視線だけを室内に戻してみれば、何やら原田が必死で土方に抗議をしているのが伺える。 「ごめん、大丈夫…………歳さんがちょっと、うん。平気」 我ながらもう少し上手い演技ができてもいいのに、と冷や汗をかきながら電話越しに聞こえる沖田の声に耳を傾けた。 内容は特に何でもない、今日の昼間に手渡したお弁当箱の事。 いつもならその日のうちに回収しているけれども、今日は生憎ばたばたしていた為に食べ終わったそれを受け取り損ねてしまった。 別に明日でも構わないと告げてみれば、明日は病院だから、とひょうひょうと言う沖田にははなから自分で洗うという事は考えてないのだろう。 そう思うと憎たらしい生徒にも思えるが、今から返しに行きたい等と言い出した沖田に雪菜は空を見上げた。 「そうね、わかった。沖田君の家の近くのコンビニまで行くわ。ついたら連絡をいれるわね?」 自分と土方が大学の先輩後輩だと言う事は彼も承知が故に、いつもなら遊びに行きたいだなんて我が儘を言うのだが。 わかった、と直に返事を返した沖田に雪菜は首を傾げながら電話を切った。 「ごめん、千鶴。後は任しても良い?肉じゃがはもうできてるから、後はお味噌汁とサラダなんだけど――、」 「お姉ちゃんどこか行くの?」 「沖田君が、お弁当箱返すって言うから。ちょっと取りに行ってくる。すぐ戻るから先に食べててくれる?」 「んなもん明日でいーんじゃねぇのか?」 「明日は彼、病院で検査の日だから……」 鞄の中から財布と車の鍵だけを取り出してまた不満な色を浮かべる原田に、雪菜もまた眉間に皺を寄せて原田を睨みつけた。 電話越しの沖田が何も気付いていなければ良いが、と一握の不安が胸を翳めたけれども目の前の原田はどこ吹く風。 ばれたらよかったのに、ぐらい呟いた原田に雪菜は手にしていた財布をぎゅっと握りしめた。 「”先生、弁当箱取りにきてください”ってか?俺が行ってやろうか」 「駄目よ、私が行くから……原田君はここでもっと歳さんに説教されてればいいのよ」 「だいたい、お前は召使いじゃないだろ?だから、何であいつにそこまでするんだよ」 「いつもならしないわ。ただ……何となく、様子がおかしかったから、だから」 電話越しにきく彼の声はいつもと変わらなかった。 だけど彼の様子はいつもとは違った。 電話を切る最後に、沖田がぽつりと呟いたのだ、ごめんね、と。 「様子って?」 「わからない……だから行ってくるから」 じゃあね、と原田がまた何か口を開く前に雪菜はリビングを後にして、玄関へと向かった。 待てよ、と静止する原田の声が聞こえてきたけれども、今はそれよりも沖田の事が気になってしまってそれどころじゃない。 ばたばたと玄関までやってきた原田が雪菜の手を掴んで更にそれを止めようとしたその腕をーーー力任せに振りほどいた。 「いい加減にしてっ!!」 「っんだよ。沖田沖田って、ちょっとは――」 「しょうがないじゃない、沖田君は大事な生徒なんだから!」 今度こそ原田の声を待つまでもなく、雪菜は玄関から飛び出した。 どうして分かってくれないのか、教師として、教師を目指すものとして、生徒の事が心配にはならないのか。 込み上げた怒りやら悲しさやらで涙すら溢れてしまいそうになるのをぐっと堪えて、雪菜は駐車場へと駆け抜けてから震える息を吐いた。 ぐるぐると頭を巡る想いは一度考えだしたら止まらない。 雪菜は車のエンジンをかけながら軽く頭を揺すってからカーナビへと手をかけた。 今は自分の問題に頭を悩ませている場合じゃない。 「よし」 履歴の中から以前早退した彼を送って行った時の住所を探し出してから、最寄りのコンビ二を検索する。 15分もあればつくであろう距離に、雪菜はカーナビに表示された住所を携帯のメール画面へと打ち込んでからそれを沖田へと送り。 珍しく、本当に珍しく、すぐに返ってきた返事にあわててアクセルを踏んだ。 そんな雪菜の車を目を細めて上から見下ろしていた原田は、煙草の灰を指で弾いた。 自分の腕を振りほどいてまで沖田の元へと慌てて駆けつける雪菜。 いつもは何だかんだ言いながらも自分の言う事を優先してくれていた彼女なのに、あの一瞬見せた表情に思わず言葉を無くしてしまった。 「お前って、つくづく何も変わってねぇよな」 「んだよ」 「ガキ扱いすんなってあんなに言ってたのはどこのどいつだ。ほんと、何もかわってねぇな」 「うっせ」 振り返ってみれば眉間に皺を寄せながらも呆れたとでも言わんばかりの表情を浮かべた土方の姿。 煙草に火をつける彼の背後では千鶴が忙しなく姉の置いて行った夕食の準備を引き継いでいる。 「何がそんなに気にくわねぇんだ」 問われた土方の言葉に、原田は窓から下を見下ろしながら胸中で悪態をついた。 こういう時の土方には何を言っても子供扱いされるのはわかりきってはいるが、それでも苛立つ自身はなかなか落ち着こうとはしない。 何がと言われて分からない程土方が鈍感だとは思わない。 だからこそ、その答えを持っている自分の返答に恐らく彼はまた、これだからガキは、なんて言い返す事も容易に想像がつく。 いつだってそうだ、雪菜と対等に付き合いたい、彼女を守りたいという想いは誰よりもあるのに。 「………情けねぇ」 分かってはいる、彼女が沖田を優先させる理由が。 保健医としてまだ新米の部類に入る彼女にとって、病気をかかえる沖田に対して過敏になってしまう事。 休みの日に一生懸命にいつも医学書やら参考書を片手に唸っている彼女を今まで見てきていた筈なのに。 それだけ真っ正面から真剣に彼の病気をサポートしようとする真摯な姿勢を見てきていた筈なのに。 嫉妬、という感情に翻弄されてしまっている自分が酷く情けない。 「ちょっとは大人になったじゃねぇか」 おせぇよ、と鼻で笑う土方の声が背後から聞こえたが、原田はそれに返事を返す事も無く。 短くなって行く煙草を見つめ。 長くなって行く灰をもう一度指で弾いた。 **** ほらまた出てきたよ、土方さん!(・∀・) >>back |