![]() Somebody's me -2- 「失礼しまーす」 がらり、と職員室の扉を開ける。 まだ全ての教員の名前を覚えた訳ではないが、それでも雪菜の視界には見慣れた顔がちらほら視界に入った。 昼食の時間という事もあり、職員も少しゆっくりとしている。 「七津角か。どうした」 ふと声をかけられ振り返ると、タバコ部屋から古典教師である土方が顔を出して声をかけてきた。 窓から見えるその後ろには、探していた原田の姿が見える。 「あ、えっと…原田先生に用があって」 「……、だとよ。センセ」 くるり、と土方が振り返り後ろの原田に声をかけると、丁度原田がタバコの火を消しながら部屋から出てきた。 そしてまた窓から顔を引っ込めてしまった土方の後ろ姿に小さくお礼を述べてから、出てきた原田へと視線をあげた。 「おぅ、どうした?」 「教提出のプリントなんですけど、両親の承諾、メールで先生に送ってもいいかって」 「あぁ、そうだったな。お前んとこはイギリスにいるんだったな。いいぞ、ちょっと待ってろ」 そう言い残して自分の席へ向かった原田に続こうとして……ふと、生徒がこれ以上入ってはまずいのでは、と何となく背後の土方を振り返る。 すると、先ほどまで自分に背を向けていた彼が新しいタバコに火をつけながら何故か、此方を見つめていた土方の姿に、雪菜の心臓がトクりと跳ねた。 「…何か、ありましたか?」 「あぁ、何でもない。そういや、お前、久々の日本だって聞いてるが、いろいろと不自由はしてないか?」 「あ、はい。今の所大丈夫です」 そうか、と頷いた土方の次の言葉を待ってみたが、それ以上彼は何も話さない。 代わりにタバコの煙のせいだろうか、紫苑の瞳を細めたその横顔に、雪菜が何か言葉を、と頭を巡らそうとしたのとほぼ同時に、原田がこちらへ一枚の紙と供に雪菜の元へと戻ってきた。 「ん、このアドレスに送って貰えるよう頼んでおいてくれるか」 「はい、わかりました。お手数おかけします」 「気にすんな。……そうだ、七津角。悪いが資料室から教材運ぶの手伝ってくれねぇか」 「えぇ、いいですよ」 助かるよ、と笑う原田に雪菜も社交辞令に笑みを返す。 原田先生のお手伝い、なんて他の女子が聞けば羨ましがるに違いない、なんて雪菜が面白く考えていれば不意に、ぶるる、とポケットの中で携帯電話が振動した。 「それ、俺のな」 「え?」 カーデガンに入れていた携帯電話を雪菜が開けば、画面には知らない番号からの着信履歴。 そして雪菜が画面から視線を上げると、原田もまた同じように携帯を取り出していた。 「ほら、お前の住所んとこ。家の電話じゃなくて携帯の番号で書類出してただろ?」 「あ、すいません。家には誰もいないので、基本的に親も携帯にかけてくるので……」 「別に構いやしねぇさ。俺が言いたいのは、お前んとこ、二人姉妹だろ?何か男手が必要だったら俺に連絡してこい」 「あ、ありがとうございます」 担任だしな、と笑いながら付け加える原田の言葉に、雪菜もにこり、と微笑みを返す。 生徒から人気があるのは、こういう些細な優しさもあるんだろう、なんて雪菜は現金にも少し弾んだ心に胸中で苦笑しながら、原田の番号を携帯に登録した。 「にしても、お前もよくもまぁ、イギリスからこっちにやってきたな」 「もともと、日本の大学目指してたんで……」 「って言ってもよ、ずっとイギリスに居たんだったら寂しいだろう?友達とか、親御さんとか…、彼氏でもいたんじゃねぇのか?」 「両親はもともと、イギリスを拠点にその周りの国に出張ばかりでしたので実質妹と二人暮らししてたようなもんなんで。友達に会えないのは……やっぱり寂しいですけど……」 確かに、寂しくないのかと聞かれればもちろんイギリスに居る友達が恋しい。 けれど、既に日本でできた友達を思えば、きっと何とかなるだろう、なんて。 ”結構順応が早いんです”なんて雪菜が笑って原田に伝えれば、彼は琥珀の瞳を柔らかく細めて笑った。 「彼氏はいねぇのか?」 「わ、やだ。ストレートに聞いてこないでくださいよ…居ませけど」 「意外だな。七津角ならいろんな男が放っておかないだろう?」 「生徒を褒めたっていい事ありませんよ?それに、その言葉はお返しします。原田先生、女子からすっごい人気があるんですよ?先生は彼女、いるんですか?」 現に、雪菜と廊下を行き交う中で、何度も何度も女子生徒に声をかけられている。 彼女が居ても居なくても、これは大変そうだな、なんて笑顔で声をかけてきた女子生徒達に挨拶を返す原田に、雪菜は苦笑を浮かべながら一歩下がって原田の後ろ姿を追いかけた。 「俺は、待機中」 「待機中?何ですか、それ」 「そうか?ほら、入っていいぞ。」 「よく、わかんないです……、失礼しまーす」 到着した資料室の扉を開く原田に促されるまま、少しばかしタバコの臭いが染み付いたその部屋へと雪菜が足を踏み入れる。 殺風景なその部屋はまるで隠し部屋のようにも見え、机の上には灰皿が数皿置かれており、大きな本棚には歴史の史料が所狭しと並べられていた。 「そうか?」 「え?」 「待機中ってのが、一番しっくりくるんだよな」 ふ、とまるで何かを確かめるように呟かれた原田の言葉に、雪菜が本棚から原田へと視線を移す。 少し離れた所で胸ポケットからタバコを取り出した原田が、慣れた手つきで火をつけた。 「俺を探してる女が、いるんだよ」 「先生を?」 「あぁ。そいつは俺じゃなきゃダメで、俺はそいつじゃなきゃダメなんだ」 生徒がいる事にはお構いなしなのだろう、ふわりと香ったタバコの煙を逃が様に窓を開けた原田が、壁に背を預けたかと思えば、琥珀の瞳が雪菜の視線と重なる。 そのどことなく張りつめた空気と原田の瞳の色に、雪菜は堪え切れずに視線を本棚へと戻すと、目についた古い本を誤魔化す様に手に取りながら、何事もないかのようにゆっくりと言葉を紡いだ。 「なんか……よく分かんないですけど、頑張ってください……ね?」 「悪かったな、急にこんな話して。さて、んじゃあ荷物持って行くか」 がたがた、と棚の後ろに立てかけてあった大きい掛け軸を、いつの間にかタバコを消した原田が持ち出し始める。 使う教材とはこの事だろう、それと一緒にプロジェクターを段ボールから取り出して、机の上に置いた。 「ん、これを2組まで頼む。掛け軸は俺が持って行くから、その軽いやつを頼む。悪ぃが、俺はもう一本タバコすってから行くから」 「はーい。わかりました。じゃあ、お先に……失礼しました」 何となく重たいこの部屋にこれ以上居るのは勘弁、とばかりに雪菜がプロジェクターを両手に抱えながら、ぺこりとお辞儀をして足早に資料室を後にする。 生徒がバタバタと足早に行き交う中、2組の教室へと着く頃にはチャイムが鳴り響いており、教壇の上に教科書を置くと、雪菜も自身の教室へ急いで戻った。 「あ」 ふ、と席についた雪菜が当たり前のように手元に抱えていた一冊の本の存在を思い出す。 先ほど資料室で適当に引き抜いた本の事をすっかり忘れて持ってきていたのだ。 授業も始まろうとしている今、隣の教室へ戻しには行けず、雪菜はしょうがなく机の上にそれを置いた。 「何それ?」 「原田先生のとこでたまたま手に取ったまま、返しそびれちゃった……」 「豊玉句集…?やだ、どこで手に入れたのそれ」 おもしろうに笑う千姫に、雪菜の目が軽く見開かれる。 そもそもこの本が何なのか雪菜には検討すらつかなかったが(そもそもタイトルが達筆すぎて読めない)、それでもスラリと耳に入ってきた単語に、雪菜は驚いたように千姫へと視線を送った。 「何、知ってるの?」 「新選組のってのは知ってるけど……」 「え、そうだったっけ」 という事は、新選組の誰かの句集だろうか。 教師が目の前で英語の文法構造を説明している間、雪菜はこっそり授業中に先ほどの句集を取り出して目を落とし始めてみた。 「ふぅん……」 随分と古いその本は、中心に句が書かれており、それに続いて様々な解釈が記述されている。 初めて目を通すものばかりなのに、どこか懐かしい感情が心を渦巻き、シンプルなその文字列を眺めながら、雪菜はふっと笑みを零した。 **** 豊玉句集をテストに出す学校なんてあるんでしょうか。 ええ、ここにあります、びば薄桜学園(何 >>back |