![]() 原田君の教育実習事情 -2- 昼休みの始まりを告げるチャイムが耳に届いて、雪菜は手にしていたボールペンを机に置いた。 一日がかりになるだろうと思っていた仕事は予想外に進み、もう終わりの目処が見えている。 今日は早く帰れそうだ、と雪菜は大きく伸びをして席を立った。 「沖田君、そろそろお昼だけど……大丈夫?」 「んー……」 「お昼ごはん、食べれる?」 簡易ベッドのカーテンを開けてみれば、彼もまたチャイムで目が覚めたのだろうか、沖田がぼんやりと天井を見つめているのが目に飛び込んでくる。 雪菜がカーテンを開けてすぐに笑みを浮かべてはいるが、やはりその顔色はどこか悪い。 いつもなら午前中いっぱいを休めば軽口の一つや二つ簡単に出てくるのに今日はそういう訳ではない様だ。 暫くぼんやりとしていた沖田は、やがてゆっくりと起き上がったかと思うと雪菜へといつもも笑みを向けた。 「食べれる。雪菜先生がせっかく作ってくれてるんだし」 「ならよかった、食欲はあるのね。今お茶淹れるから少し待ってね」 病人とは思わせない沖田のいつもどおりの返答に、雪菜はほっと胸を撫で下ろして保健室においてあるマグカップを手に取った。 沖田の病気が深刻なのは教師陣の中でも周知の事実。 彼のような病人が本来ならば普通に高校生として通学する事もストップがかかってしまう程だが。 それでも高校生活を送りたいという本人たっての希望には、出来る限りの事は雪菜も保健医としてサポートしてあげたい。 だからこそ、こうして食事バランスをきちんと意識をしたお弁当も雪菜が毎回作ってきていて、何だかんだ言いながらも沖田はそれを受け入れている。 「ねぇ、雪菜先生」 「なぁに?」 「今日から来た教育実習生って、知り合いなの?」 「あぁ、4年前にここの学生だった子達よ。丁度私が赴任した時と同じで……保健室の私からすれば正確には”教え子”とは言わないけどね」 そう、と聞いておきながら大した反応を返さずに、代わりに咳を一つ漏らした沖田に雪菜はお湯を急須へと流し込んだ。 学校に来ても週の大半をぼおっと保健室で過ごしている沖田が珍しく問いかけてきたその質問に、彼らがここに居た昔話でもしようかと口を開いたその瞬間。 「よぉ、雪菜センセ」 「あれ、原田君に……永倉君?」 「ちーっす、こうしてココに来るのも久しぶりだな、何か感慨深い……」 「俺はお前を呼んだつもりはねぇけどな」 その話の主人公でもある原田と永倉がけらけらと笑い合いながら相変わらずの様子で保健室へと踏み入れてきた事に、雪菜はお茶を淹れていた手を止めた。 こうして永倉が”カモフラージュ”、なんて言いながら保健室で昼ごはんを湧き合々と共にしていたのはもう4年も前。 その懐かしい光景にまたこうして巡り合えた事がどこかくすぐったくて、雪菜は入ってきた二人を笑顔で迎え入れた。 「昔みたいに、お昼ご飯食べにきたの?」 「あぁ、やっぱここが一番思い出深いからな。今日はここで食おうと思って」 「ふふ、そのうち生徒達が一緒に食べようって言い始めると思うよ」 淹れ切った急須に再度お湯を継ぎ足しながら、雪菜は来客用の湯飲みを2つ手に取り始め。 例年、実習生を”先生”として食事を共にしている生徒達の姿を思い出して、雪菜はくすりと微笑んだ。 高校生だった彼らが実習生としてここに戻ってきた時に見せる大人びた顔。 原田とは恋人関係にあるとはいえ、”彼氏”としての顔しか知らない自分にとっては”先生”としての第一歩を踏み出す原田が楽しみでもある。 やっぱりどこか浮かれてしまっている自分に気付いて苦笑を浮かべていれば、ガタガタと席についた音に続いてシャっとカーテンの開く音が聞こえてきた。 「お前は……確か今朝の」 「こんにちは」 「なんだ、まだ保健室居たのか」 「あれ、僕がここに居ると何か問題でもあるんですか?」 ケホ、と少し咳を漏らした沖田の声が聞こえて、急須を片手に振り返ってみれば。 笑みを浮かべた沖田を横目にどこか複雑な表情を宿している原田の姿。 4年も一緒に居ればそれが不満な色を映したものだと雪菜にもすぐに見当はついたが、さすがにこの場で口に出す事は出来ずに雪菜は口を噤んで、それよりも湯のみをお盆に載せながら沖田の元へと歩み寄った。 「大丈夫?」 「平気だよ、雪菜先生は本当心配性だよね、いい加減慣れたら?」 「だって」 「あはは、お弁当、今日もありがとう」 「弁当?」 丁度雪菜の対面に腰を下ろした原田が、今まで黙って居た筈がその言葉にぴくりと反応を示し。 その意図が掴めずに沖田と自分へと交互に視線を配らせた原田に小首を傾げて見せれば、原田は露骨に、とは言わないが片眉に皺を寄せてみせた。 「沖田のそれって、雪菜センセの手作り?」 「そうだけど。別にいらないって言ってるのに」 「じゃないと沖田君、ご飯食べないじゃない」 くすくすと何事もない様に笑いあう二人を目の前にして、原田はコンビに弁当の包みを剥がした。 別に保健医である彼女が生徒と食事を共にするのは今に始まった事ではないのは知っているけれど。 それでも目の前に並ぶ沖田専用らしいマグカップや、自分の彼女の手作り弁当を手に持たれてしまうとやはりいけ好かない。 「つーか、お前午前中ずっとここに居たのかよ」 「先生がわざわざ知らないといけない事なの、それ」 「は?」 「教育実習生は3年は担当じゃないでしょ。だから僕が何してようが原田先生には関係ないでしょって事」 「ちょっと、沖田君」 やれやれ、なんてため息を吐きながら面倒臭そうに答える沖田に、慌てて雪菜が口を挟んでみれば。 さすがに生徒相手だと認識しているのか、原田は暫くじろりと沖田を見つめてから買ってきた弁当に黙って箸をつけ始め。 そんな原田の様子、そして隣で気まずそうに事の成り行きを見守っていた永倉をちらりと一瞥すれば、沖田は保健室の扉に手をかけた。 「沖田君、どこで食べるの?」 「その辺だよ。土方先生をからかいにでも行こうかな」 「後でちゃんと戻ってきてね?」 「気が向いたらね」 弁当箱を片手に保健室の扉にすたすたと向かってしまった沖田が一度だけ振り返って悪戯に笑う。 そう口では言っていても、本人の鞄もジャケットも未だ保健室のベッドに置かれたまま。 恐らくどこかで昼を済ませてから戻ってくるだろうと雪菜は息をついて扉が閉まるのを見届けた。 「……、で?」 「で、って?」 「何なんだよあいつは」 椅子へと腰を下ろすや否や投げかけてきた原田の言葉に、雪菜はお箸を持ち上げながら視線をあげた。 そこには明らかに不満そうな色を瞳に宿した原田の姿、永倉においては触らぬ神にたたり無しとでも言わんかのごとくにガツガツと2個目のお弁当に手をつけ始め。 どことない気まずい空気に雪菜は口元を上げて見せた。 「沖田君、病気なの」 「雪菜は保健医であって、あいつの召使でもなんでもないだろ」 「そう、だけど。彼の食生活も学校に居る間は管理しないと……」 「もう高3にもなって、保健室の先生のお世話にならないといけないなんてな」 不満そうな原田の声から紡がれる言葉に、ついつい雪菜もムキになってしまう。 沖田の病気がどれ程深刻かなんて、個人情報もある上、教育実習生である原田に告げる必要はないとはいえ。 あまりの原田の言い草に、保健医の仕事すらも侮辱されている気がして、雪菜は手にした箸を強く握り締めた。 「原田君、沖田君の病気の具合も知らないのにそんな事言わないで」 「、俺は、ただ」 「健康な体を持ってる人には分からないよ……沖田君は、沖田君なりに頑張ってるんだから」 ぴしゃりと、これ以上この話は受け付けないとでも言わんばかりに話しを切り上げて、雪菜は玉子焼きを頬張った。 原田においては何か言いたそうに雪菜を見つめてはいたが、ふん、と鼻を鳴らして残りの弁当をいっきに口の中に流し込み始め。 ちゃんと噛んで食べないと、と気まずい沈黙を破る様に雪菜がぽつりと呟いた言葉にもろくに答えることなく、原田はお茶に口をつけた。 「……何でそんな怒ってるの」 「別に怒ってなんかねぇぞ」 「でも……」 明らかに自分の方を見ようとしない原田に、雪菜は息をついた。 こうなってしまったら原田の気が納まるまでは何を言っても無駄なのは雪菜も承知。 それでも、永倉もこの場に居る事を思えばもう少し気を使えるようにもなってもらいたい、と雪菜が再度口を開こうとしたその時。 「んじゃ、俺午後あるからいくわ」 「え、ちょっと、」 「ぅぉ、もうこんな時間じゃねぇか。いやーっぱ昼は食ってると時間忘れ……って左之、待てよ!」 入り口付近のゴミ箱にコンビにの袋を投げ込んでさっさと保健室を後にした原田の後を追って、お茶に口をつけていた永倉も慌てて席を立った。 先にぴしゃりとドアを閉めて出て行ってしまった原田に、さすがにまずいと思ったのだろうか。 後を追いかけて出て行こうとした永倉はぴたりとドアをくぐりながら体を止めて雪菜を振り返った。 「あ、のよ。俺が口挟む事じゃねぇとは思うんだけど」 「え?あ、ごめんね。何か変な空気になっちゃって」 「いやぁ、それはいいんだけどよ。左之のやつ、またこの学校に来て雪菜ちゃんとご飯食べる事すっげぇ楽しみにしてたんだよ」 「……」 「だから……なんだ、嫉妬してんだよ、あいつ。まぁ、多めにみてやってくれよな」 頼む、なんて困った様に笑う永倉に、雪菜は小さく笑みを返してみせた。 永倉とは卒業してから合う回数も極端に減ってしまったとはいえ。 しっかりと成長して今自分を振り返る彼に、何だか自分が恥ずかしくなってしまって、雪菜は静かに頷きながらお箸を机に置いた。 「……ま、左之と雪菜ちゃんなら、俺が心配するまでもないだろうけどな」 「永倉君、ずっと言おうと思ってたんだけど……雪菜先生、よ?」 「おっとやべぇ、悪い悪い。んじゃ、午後も一発かましてくるか!」 いってらっしゃい、と声をかけると永倉はにかっと豪快に笑って保健室を出て行く。 きちんと閉められた保健室の扉を見つめながら、静かになった保健室で一人、雪菜は自分のお弁当箱へと視線を落とした。 原田のお弁当だって、できれば作って来たかった。 それでも、生徒と食事をとるであろう彼の邪魔をしたくなかったし、少しでもこの教育実習が彼の経験になって貰いたいと思ったのも本音。 「……ばか」 嫉妬なんて、原田は何一つする必要なんてないのに。 自分の首にかかるチェーンネックレスと服越しになぞりながら、雪菜は大きなため息を漏らしてお茶へと手を伸ばした。 **** さっそく雲行きが怪しい。 >>back |