薄桜鬼-現代- | ナノ
 



原田君の恋愛事情 -その後-





「雪菜セーンセ」

放課後のチャイムがなってから、どれぐらいの時間がたっただろうか。
午後になって急に舞い込んできた仕事に、雪菜はパソコンの画面から視線を動かす事なく返事を返した。

「原田君?」
「まだ仕事中か?」
「うん、ちょっとね。これインプットしないといけないの、ちょっと……待ってね」

扉の閉まる音が聞こえたが手の中にある書類に視線を落としたまま、雪菜はげんなりと言葉を吐いた。
すると、すぐにその頭をぽんぽんと撫でてくる大きな手に、はっと顔を見上げてみれば扉付近にまだ居ると思われた原田の顔がすぐそこにあり。
当たり前の様に、ちゅ、と額に唇を落とそうとした原田の口元をさっと手で押さえ込んだ。

「何だよ」
「何だよ、じゃないでしょ……だめ」
「大丈夫、もうみんな帰ったって」

いつも繰り返す同じやり取りに、くくっと楽しそうに喉で笑いながら、原田はその手を簡単に引き剥がしてしまい。
同時に額に贈られるはずだった唇は、そこから下におりた雪菜の唇へと贈られた。

「ん、っ」
「しょうがないから、センセの仕事が終わるまで、この続きはお預けにしといてやるよ」

ゆるりと唇を割りそうで割らない彼の舌に声を上げそうになれば、原田はさっさと顔を引っ込てしまい。
ぽんぽん、と代わりに自分の頭を撫でる彼に瞳を開けてみれば、そこには意地悪に笑う彼の姿。
ぞくりと走ってしまった感覚に、気まずそうに視線を逸らしながら、雪菜は原田の手を払いのけた。
先生と生徒、つまるは大人と子供だ、と何度も原田に訴えていたのは他でもない自分の筈なのに。
こうして付き合い始めてみれば、まるで自分が子供であると思わされる事は少なくない。

「ほら、あとそんだけだろ?」
「う、ん」

パソコンで開いてるグラフを目にしたのか、残り少ない空欄に原田が机の上のマグカップを手に取り。
もうすっかり冷えてしまっているであろうれに口をつけて、仕事を促す様に顎を突き出した。
何だかんだいいつつも、いつも仕事の邪魔を一切しないそんな彼に感謝をしつつ、雪菜は遠慮なく椅子を回転させて、頭を切り替えて投げ出していた書類に再び視線を落とし始めた。
午後をまるまる費やしてしまう事となったが、どうやら家に持ち帰ってやることは避けらそうだ、と。
最後の一行を入力し、書類と数字を比較してから雪菜は手にしていた書類を机へと戻した。

「よし、できた!」

カチリと右手でマウスをクリックすれば、隣にあるプリンターが音を立てて紙を数枚吐き出し始める。
片手でそれを手に取ってから上から下までつーっと視線を落としてから、雪菜は立ち上がってそれを棚のファイルへとしまい込んだ。

「お疲れさん。ほら」
「わ、ありがとう」

差し出された湯気の上がるマグカップを受け取れば、香ばしいコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
こうもタイミング良く差し出された煎れたてのそれに、自分をずっと見ていたのかとどきりと心臓が高鳴るが。
ふる、っと頭を振ってからマグカップに口を付け、口内に広がる甘ったるいコーヒーの味に雪菜はゆるゆると息を吐きながら、ぐーっと身体をそらして大きく伸びをした。

「やっと終わったぁ……で、どしたの、原田君」
「何だよ、会いにくるのに理由がいんのか?」

わかってるだろ、とワザとらしく拗ねた風な彼に、雪菜も、ごめんね、と笑い返しながらもう一口コーヒーを喉に流し込む。
授業の合間や昼休みに原田が保健室へ顔をだす回数は相変わらず減ってはいない。
普段の休み時間には相変わらずガードは高いものの、こうして放課後大分立ってからくる原田へは、雪菜の警戒心もだいぶ薄れているのをいい事に、時間を見計らってこうして生徒が下校した後に顔をだす様になったのだ。
これが付き合い始めの2人の秘密の時間にもなっていた。

「なぁ、雪菜」
「うん?」

片手でパソコンのデータを保存してから、低い機械音を立てていたそれをシャットダウンすれば途端に、シンと静まり返る保健室。
いつもなら窓から聞こえてくる野球部やサッカー部の練習の声も響いてこない事に、ちらりと時計を見上げてみればすでに6時を回っており。
もうこんな時間か、と呟いた雪菜の言葉に被せながら、原田が再度口を開いた。

「俺のこと、いつから俺のこと気になってたんだ?」
「へ?」

しゅるりと腰に背後から回ってきた手に振り返ってみれば、椅子を自分の元へと移動させた原田の姿。
そのまま雪菜の体を反転させ、抵抗する間も与えずにさっさと自分の片膝へと半ば強制的に座り込ませてみれば、ぽかんと見つめる雪菜に悪戯に笑ってみせ。
雪菜の髪を一房手に取り、指通りのいいその髪を指に絡めて遊び始めた。
膝に乗せられただけでドキドキと心臓が高鳴っている自分とは反していつも余裕な笑みを浮かべる彼に、せめて、と雪菜も必死で平然を装ってみるが。
悲しい事に、そんな事もおそらく彼にはお見通しなのだろう。

「そういえば、聞いてなかったな、って思ってよ」
「そう、だっけ」

その言葉にとぼけて答えてみれば、ツンと自分の髪が引っ張られてしまい。
そうだ、と琥珀色の瞳を細めて視線だけで語りかけた原田に、雪菜も目を細めて対応してみるが、黙ってしまった原田に雪菜は肩を小さく落とした。
彼の前で精一杯教師という立場を振りかざしてみても、結局は自分が根負けしてしまう。
気付いたら彼のペースに飲み込まれてる事のほうが多くて、最初は悔しくも思ったが、今となっては対抗する気もすっかりと失せてしまった。

「いつから、かぁ」

考えれば付き合う前からも二人で過ごす時間が多かった分、もう随分と昔の事にも思える。
いつから、と問われれば、自然にと、と言うのが一番正しいのだが。
そのきっかけになった、昔の日がふと胸を過ぎり、雪菜はマグカップを膝へと抱えた。

「初めて、ここに来た時。永倉君と二人でね。喧嘩して来たの覚えてる?」

思った以上に昔の話を始めた雪菜の言葉に、永倉とちょっとばかしヤンチャをしたとある日の事を思い出す。
3年に上がる前、上級生に食ってかかってしまった永倉を止めようとして、2人して”少し”派手に喧嘩をした事。
今まで保健室には縁もなかったが、あの時だけは酷い永倉の怪我に、消毒液は染みると駄々をこねる彼を無理やり連れてきた。

「どうみても、原田君のほうが酷い怪我なのに。永倉君をみてやってくれって連れてきたのよね」

あれは酷い怪我だったなぁ、と呟いて、雪菜は懐かしそうにくすりと笑みを浮かべた。
保健室に身体を引きずりながら来た二人。
それに加えて、頑なに永倉を先に見てくれと言いはって聞かない原田に呆れはしたが、その時の印象は今も忘れる事はない。

「その時がきっかけかなぁ……、友達想いの素敵な人がいるんだな、って」
「なんだ、雪菜もか」

手に取った髪に唇を贈り、雪菜の言葉を静かに聴いていた原田は嬉しそうに琥珀色の瞳を細めた。
くん、と鼻につけるとコーヒーの香りに混じりながら広がる彼女のシャンプーの香りを堪能し。
込み上げる温かい感情に自然と頬が緩んでしまう。

「うん?」
「俺、あの時に雪菜の事好きになったんだよな」

きゅっと驚かさない様にきょとんとした表情を宿している雪菜の腰に巻いた腕に力を込めて。
原田は彼女のちょうど二の腕の辺りに顔を摺り寄せた。

「最初は………っと、怒んなよ?」
「うん?」
「最初雪菜を見たときは、こんなちんまいヤツが傷の手当てすんのかって連れてきた割にすげぇ不安でよ」

くくっと悪意無く喉で笑う原田の声に、雪菜の顔が自分の頭上に降ってくるのを感じたが。
原田は瞳を閉じて記憶の中の光景に思いを馳せながら、続けて口を開いた。

「いざ新八を処置始めてみれば……また頼りないし、泣きそうだし。ハラハラしっぱなしでよ」
「、まだ、慣れてなかったから……しょうがないじゃない」
「そうだな。でも、新八とか、俺の事、一生懸命手当てしてる様子見てて。目が離せなくなってーーー気付いたら惚れてた」
「、何か……複雑」

むっとした音色を含んだ彼女の言葉が頭上から降ってき、それがまた予想した通りの言葉で、原田はふっと口元を緩めた。
確かに言葉にすれば何とも軽く聞こえてしまうが、それでも、それがきっかけになったのは嘘でも何でもない。
大げさに痛い痛いと喚く永倉に、消毒液を持った雪菜の泣きそうな表情。
ようやく処置を終えた後の、ほっとした、満足そうなにっこりと笑いかけた雪菜の表情に大きく鼓動が高鳴ったあの感覚は、今でも鮮明に覚えている。

「きっかけなんて、そんなもんだろ?」
「うー、ん」
「拗ねんなって」

瞳をゆっくりと開けて、膝に軽く腰掛けている雪菜の顔を見上げてみれば、怪訝そうに眉を寄せた彼女の表情。
軽く頬をくすぐってみれば、くすぐったそうにすぐに笑顔を浮かべ始める。
ころころと笑うその笑顔に、あの時の笑顔を重ね合わせ、原田も頬を緩めた。

「ねぇ、私ってさ。こんな見た目だし、まだ新任だし……頼りないでしょう?」
「なんだ、俺の言った事気にしてんのか?」
「ううん。いいの、自分でも分かってる。だから余計に少しでも先生らしくいなきゃって大人ぶってて……いや、大人なんだけど」

原田の言葉に小さく笑いながら、雪菜はそれでも言葉を選び難そうに口を開いては閉じを繰り返し。
そんな様子を微笑ましくすら思いながら、原田は雪菜の手からマグカップを抜き取りそれに口をつけた。

「原田君の事も、先生なんだから、って何度も言い聞かせててね」
「先生だからって、頑に言ってたもんな。俺は雪菜の気持ちを聞いてるってのに」

机にマグカップを戻して、原田は甘える様に雪菜の体をぎゅっと抱きしめた。
すりっとほお擦りを腕にして、そして視線よりも少しだけ上にある雪菜の頬を指で軽く撫であげてみれば、雪菜はくすり、と苦笑に似た笑みを漏らした。

「結局、気持ち抑えきれなくて。駄目な先生でごめんね」

なでなで、と何故か自分の髪を撫でた雪菜に、何言ってんだよ、と苦笑を漏らしながら原田は手にじゃれながらそこへ唇を落とし始め。
雪菜がそれにおずおずと答えたのをいい事に、くすくすと笑い合いながら唇を追いかけ合った。
そんな事を何度か繰り返し、どれくらいたっただろうか。
すっかりと暗くなってしまった窓からの景色に、雪菜は原田の唇を頬に受け止めてから、少し体を離した。

「さて、お仕事終わったし。そろそろ帰ろうかな」
「もう行くのか?」
「6時回ってるし、千鶴はお腹が空くと機嫌が悪くなるから、早く帰って夕食の準備しないと」

よいしょ、と原田の膝の上から腰をあげ、雪菜は机においたマグカップを手に取り。
そのまま、保健室の隅にある流し台の水を出しながらそれを手早く洗ってから、腕をまくっていた白衣をおろしはじめ。
ちぇ、と自分の片足に少しだけ残る雪菜の温かみに名残惜しく感じながらも、原田もきてしまったタイムリミットにしょうがなくベッドの上に投げていた自分の鞄を手を伸ばした。

「あ、あのさ」
「ん?」

指先に触れた鞄の持ち手をひっかっけて、ほとんど中の入っていないそれをひょいと持ちあげる。
続いて降ってこない言葉に、原田は聞き間違いか、と雪菜を振り返ってみれば、原田に背をむけたまま雪菜は手に持っていた白衣を机へと置いた。

「きょ、今日の夜、お暇ですか」
「……、お暇ですけど」

やけに丁寧な問いかけに、そのまま言葉を返し、何事かとその後姿を見つめていれば、見えるのは机の上で白衣を畳み始めた雪菜の姿だけ。
どうした、と頑なに白衣に視線を縫いつけている雪菜へ歩み寄るが、彼女の視線は相変わらず原田を見上げる事はない。
一段と赤くしている頬に、何事だと、ひょいとその顔を覗き込んでみれば、ようやくちらりと合った視線はすぐにまた白衣に落とされてしまった。

「今日、ご飯食べたら千鶴を送りに歳さんところ、行くの」
「またか?あのエロ親父も相変わらずだな」

呆れた風な原田の返答に、雪菜は終わらずに、それでそれで、と二度程言葉を繰り返して白衣のボタンを留め始めた。
今留めると次に着る時に大変なんじゃないのか等と原田はそれを見つめていたが、どうやら今の彼女の頭には目の前の白衣の事など全くない様に見える。
何がいいたいのか、と首を傾げてみれば、白衣を畳み終えた雪菜はそれを見下ろしてから原田に向かってではなく、まるで白衣に向かって言うかの如く口を開いた。

「よ、かったら、その。その後、デー、ト、しませんか」

カッ、と一気に熱が上がった風な彼女から漏れた、全く予想していなかった言葉。
思わず言葉を亡くしてしまった原田に、雪菜は慌てて原田を見上げて首を振った。

「あ、いや、でも夜遅いし!無理だよね、ご、ごめんね。あの、」
「する」
「迷惑だよね…、」
「する、デートする」

同時に鞄を床に投げ出して目の前の雪菜を抱きしめれば、未だにごにょごにょと言葉を零していた雪菜のくぐもった声が胸元に伝わって来る。
1人で暴走している彼女の言葉を胸でかき消しながら、もう一度、する、と短く耳元で告げてみれば、ようやく雪菜から、わかった、と小さな返事が聞こえてきた。

「何、俺と離れるのがそんなに寂しいのか?」

あまりの嬉しさに喜びの声を上げてしまいそうな衝動を押さえこみ、代わりに雪菜の頭に頭を重ねて誤魔化す様に口元を上げて聞いてしまう。
本人は自覚ない様だが分かりやすい彼女の事だ、違う、とか、もういい、といった喚き声が聞こえてくるのだろうと予測をたてその返事に原田が耳を傾けてみれば。

「寂しい、よ?」

先程に続いて、原田は腕の中から聞こえてきた彼女の呟きに目を見開き言葉を失ってしまった。

「、え?」
「――っもう、下校の時間っ」

言葉をなくした原田への照れ隠しのせいか、腕の中から力いっぱい原田を押し返し。
素早く足元に投げられていた鞄をつきつけ、雪菜は原田の大きな体を押しながら保健室の扉を開けた。

「お、おい。雪菜?」
「後でメールするからっ、はい、原田君、さようならっ!」

ばたん、と勢い良く目の前の扉が閉まる。
呆気にとられて目を瞬かせそれを見つめ、そしてやがて再度込み上げてきた喜び。
左右に誰もいない事を確認して、原田は片手で顔を抑えた。
顔が、熱い。
恐らく真っ赤になっているのだろう、彼女に気付かれなかったのは不幸中の幸いといったところか。

「さよーなら、雪菜センセ。……また、後で」

ドキドキとらしくなく高鳴る鼓動と、だらしなく緩んでしまう自分の頬を感じながら。
よしっ、と誰も居ない廊下でガッツポーズを決め、足取り軽くその場を後にした。




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ガッツポーズする原田君が書きたかったのです。
そんな、2人のその後の恋愛模様でした。
また、機会があれば彼等のお話をぽちぽち、書きたいな。とか。
原田君が大学いって、教育実習で戻ってくればいいんだ!(きらっ


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