薄桜鬼-現代- | ナノ
 





原田君の恋愛事情 -5-





コツコツコツと足音が響けば、暫くしてすぐ後ろから控えめに、コツ、コツ、と音が響く。
かれこれどれぐらい続いたであろうか、後ろから追って来るその足音に。
原田は溜め息をついて、ぴたりと足を止めその後ろ姿を振り返った。

「なぁ、雪菜センセ。空気読むって言葉、知ってるか?」
「え、あ、う……ごめんな、さい」

振り返った原田の姿に、びくりと体を竦ませて雪菜は恐る恐る原田の顔を見上げた。
今にも泣き出しそうなその顔が、距離はあったもののしっかりと原田の目に飛び込んでき、その視線が自分のその手元に落ちた事に気がついて、原田はもう一度息をついてみせた。

「舐めといたら治るって、言っただろ?」
「でも、そんなに血が……でてるから……あの、手当て、ちゃんとしないと……」

どうしてこうも、強情なのか。
この状況においても頑なに原田の後ろをついてくるそれは、先ほど土方が述べたようにただの子供にしか見えなくも無い。
今この場を無理やり振り切る事はできるが、彼女は恐らく自分の後ろをついてくるだろう、もしくは、また泣いてしまうかもしれない、と原田は実質選択肢の無いこの状況に肩を落とした。

「わかったよ」

しょうがなしに紡がれた原田の言葉に、雪菜はほっとした表情を宿し。
おずおずと気まずそうに、丁度自分と原田の間にあった保健室の扉を指で示した雪菜に従い原田は先に保健室へと足を踏み入れた。
たった1週間、この部屋に訪れていなかっただけなのに、室内の香りにどこか懐かしさを感じてしまいながらも、原田はいつもの丸椅子に腰をかけ。
次いで小走りに入ってきた雪菜は、早速棚からガーゼやら包帯やらを取り出した。
思っていた以上に大きく切れてしまっていた原田の手を痛々しそうに見つめながら、雪菜は脱脂綿に消毒液を浸して傷口にそれを優しくあてがい始め。
その間も、何度か雪菜から、痛いか、と問われたが原田はそれに答える事なく、ただ無言でその手元をじっと見つめていた。

「、原田君が来ない1週間って、はじめてかもね」

ぽつり、と包帯を手に取った雪菜は傷口にガーゼをあて、それを器用に彼の手に巻き始めながら言葉を紡ぎ。
視線は手元に落としたままだったが、確かに原田が自分に視線を寄こしたのを感じて、雪菜は一瞬だけ手を止めた。

「なんだか、それはそれで、寂しいな、って思っちゃった」

へへ、と冗談混じりな雪菜の静かな笑い声が耳に入ったが、長い髪で隠されたその表情は読み取る事は出来ず。
やがて、丁寧に包帯を綺麗に巻き終え、雪菜の手が原田の腕から離れると、原田はさっと腕を引っ込めながら椅子を立ちあがった。
あ、と小さく雪菜が呟く声が聞こえたが、今の原田にとっては彼女に接する事は傷口に塩を塗る他の何でもない。
今は何よりも、雪菜と同じ空間に居たら報われない想いに、またも手を出してしまいそうで怖くもあった。

「俺、もうここに来ねぇから……先生に迷惑かけっぱなしで、悪かったな」

扉に手をかけたまま告げたその言葉に、雪菜の返事は何も無かった。
ツキリと胸が痛んだが、原田は包帯の巻いていない手で保健室の扉に手をかけ。
ノブを回したその時、耳元にほんの僅かに聞こえてきた小さな小さな声に、原田はぴくり、と手を止めた。

「、んで……」

恐る恐る振り返れば、そこには包帯の残りををぎゅっと握りしめながら、精一杯声を殺し震えている雪菜の姿。
その姿を視界にいれて、原田は暫くの間戸惑いながら言葉を亡くしたが、やがてノブから手を離し雪菜の元へと近寄った。

「なんで、……先生が泣くんだ?」
「、なん、でもない……」

丸椅子に座り、ふるふると首を振って線を落としたままの雪菜を原田は困った様に見下げ。
息を吐きながらその足下にしゃがみ込んで雪菜の顔を覗き込んでみれば、同時にぽたり、と原田の頬に雪菜の涙が落ちてきた。

「、なぁ、雪菜」

ぽろぽろと流れ落ちるその雫に、原田がそっと雪菜の頬に触れると、雪菜は拒絶する風に顔を振ったが。
それでも強い拒否ではないその仕草に、原田はその手を外すことなく、頬を指の腹でそっと撫でた。

「そうやって泣かれると、困るんだけど……よ」
「ご、めん……ね」

そうは告げても、止まる様子をみせない雪菜の涙を、原田は黙って顎にまで伝った涙の雫を指でそっと受け止めた。
雪菜も原田も言葉無く、視線を合わすことも無く。
ただ時間だけが過ぎていく中、耳元で授業を終える鐘が響き、ようやく雪菜が先に口を開いた。

「もう、来ないって、……思うと、悲しく、て……。」

ごめんなさい、と彼女が言葉を付け加えたのが聞こえたが、原田はそれに頬から手を離して、顔を落とした。
じっと床を見下ろしながら、原田は目の前の愛しい人の言葉を胸中で反芻して、眉を寄せ。
掌に未だ残る雪菜の涙を開いて見つめ、彼女の涙の意味に思考を巡らせた。
そんな事は無いと掌を握り締めて否定はしてみたものの、それでも。

「あの、よ」

捨てきるの出来ない感情に、掌を再度開き。
落ちていた頭をあげ、同時に両手で雪菜の頬を支えて上を向かせてやれば、瞳を真っ赤にさせた雪菜の瞳が飛び込んできた。

「それ、どういう風に受け取ったらいいんだ?」

先ほどまでのぴりっとした空気はどこにいったのか、目の前で真剣に自分を見つめる原田をちらりと見つめて。
雪菜は膝の上においた両手にぐっと力を込めて、自分を抑えるかの様に言葉を吐き出した。

「で、も……、私は……せんせ、いで……っ」
「雪菜」
「だから、れん、あ、いは……がま、んしないといけなくて……っ」
「そういうの、全部今は忘れて、俺の事見ろ」

質問には答えずに、どこか自分に言い聞かせる風な彼女に軽く目を細め。
ひく、と嗚咽で言葉がままならない彼女を落ち着かせる風に口元に笑みを浮かべてみれば、くしゃりと雪菜の顔が更に歪んだ。

「、……迷惑かけちゃ、う、し……」
「誰に?」
「はら、だ君に……ばれた、ら……退学だよ…、そんな、の私……っ」
「雪菜。そういう事は今は考えんな」

このまま彼女の言葉を辛抱強く聞ける程、自分は大人にはなれない。
堂々巡りな雪菜に、原田は迷う事無く雪菜の額に唇を寄せ、そこに唇をつけながら、何か言いかけた雪菜の言葉を遮った。

「俺は、先生とか生徒とか。そんなの関係なくって、ただ、雪菜を一人の女として、守ってやりてぇって思うんだ」
「原田、くん……」
「俺は、雪菜の事が好きだって何度も言ったよな。無理にとは言わねぇが、答えて欲しい。……雪菜は?」

原田のその真髄な言葉に、雪菜は暫く原田の琥珀の瞳を見つめ返した。
心の中ではいろいろな事が過ぎっているのだろう、何度も口を開けては閉じ、手をぎゅっと握り締めては、視線を彷徨わせ。
そんな風な彼女を見つめてどれぐらい経っただろうか、かなり長く感じられた沈黙の後に、雪菜はついに目の前にしゃがみ込む原田の首へと手を回してその腕の中に飛び込んだ。

「ぅお、っと……雪菜?」

床に両膝をつきながら、自分に抱きつく、というよりかは身長差で縋りつく様に首に手を回した彼女を受け止め。
原田は宙を彷徨っていた思考と、両腕にはっと、腕の中で嗚咽を再び漏らし始めた雪菜の行動の意味する答えに気付き、ようやく雪菜を力いっぱいに抱きしめ返した。

「雪菜……」
「あ、の」
「うん?」

ようやく聞こえなくなった雪菜の嗚咽に、原田が背に回した手を未だにぽんぽんと撫でていれば。
ず、っと鼻をすすりながらようやく雪菜が原田の腕の中から顔をあげた。

「あの、その」
「どうした?」

瞳はまだ随分と水分を帯びてはいるが、頬には涙の筋は残ってはいるが、濡らす大きな粒は見えない。
代わりに、頬を赤く染め上げた雪菜がひょこりと現れたかと思えば、もごもごと口ごもりながら、視線を彷徨わせた。
まさか、今になって断りの言葉がくるのかという不吉な予想が原田の胸を過ぎ去るのとほぼ同時に。

「私も……好き、です」

うっかりしていると聞き逃しそうな小さな小さな声で。
ぽつりと呟いた言葉は原田の見当違いな考え等あっという間にかき消してしまい。
相当恥ずかしいのか、すぐに原田の胸元に顔を埋めた雪菜の表情は原田には見えはしない。
彼女のどんな表情も逃す事無く見たいとは思うものの、少なくとも、今だけはそれが有難い。
片手で完全に緩んでしまった表情を抑えながら、原田はもう片方の手でしっかりと雪菜を抱きしめ返した。

「、やべー……こんな、嬉しいとは」
「あ、う、でも、その。あの、ガッコでは……」
「わかってる」

ぼそぼそと胸元に向かって言葉を漏らす雪菜の頭を撫でつけながら、安心させる様に言葉を被せ。
ぎゅっと両腕でもう一度抱きしめて肩口に顔を埋めると、雪菜はもぞもぞとゆっくりと顔をあげ。
原田の顔を瞳に映し返すと、雪菜は満足そうに頬を緩めてようやく笑みを浮かべた。
続いてそっと原田が顔を寄せてみれば、ほんの一瞬だけ雪菜は顔を引きはしたが、やがて降ってくるそれを受け止める様に瞳を閉じた。

「雪菜……」

ちゅ、と湿った目元や、頬、口角、そして唇に落とされ始めた軽い口付けに、雪菜はくすぐったそうに控えめな笑い声を響かせ。
やがて降ってこなくなった唇の終わりに、閉じていた瞳をそろりと開いた。
そこには、いつもの優しい笑みを浮かべる原田の姿。
自分を見つめる彼の表情を受け止めたいが、今はやはりまだ照れくさくて、雪菜はつ、と視線を肩口へと移動させながら首に回していた腕を解いた。

「結局土方さんとはどういう関係なんだ?」
「え?」
「歳さん歳さんって、いつも呼んでるし……さっきのアレだって、手作り弁当なんだろ?」

む、と口を尖らせる原田に気付いて、慌てて首をぶんぶんと横に振りながら、雪菜は眉を下げてしまい。
何か言葉を紡ごうと考えをめぐらせてるのは容易に読み取る事が出来たが、如何せん、彼女の口から出る言葉に検討もつかない原田は、軽く方眉を上げて先を促した。

「何、もしかして俺浮気相手、って事か?」
「ち、ちが、」
「お姉ちゃんっ、このお弁当私のじゃな……い?」

二人の会話を真っ二つに中断するかの如く、不意に二人しか居ない筈の保健室に声が響き。
雪菜にとっても、原田にとっても聞きなれたその声に、原田が反応するより先に雪菜が原田の背中越しに見つけたその姿に目を見開いた。




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ちょっと長くなってしまったので分割しました。
原田君、何だかんだで、泣いてる先生を放置できない模様。
世話好きさんですから、何たって。


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