Somebody's me 「ここはテストに出るからよーく聞いておけよ」 目の前で教鞭を振るう原田の声を聞きながら、雪菜は教科書に隠れて小さく欠伸を漏らした。 昼食も食べ終え、窓から差し込む日差しに瞼が重たくなってくる。 眠気を何とか覚まそうと軽く頭を振ってからふと隣の席を見ると、千姫がじっとまっすぐ、珍しく真面目な面持ちで原田の声に耳を傾けていた。 ちらり、とその視線に誘われて今度は教壇に目をやると、白いワイシャツを腕までめくり上げながら、原田が教科書のページをめくっている。 雪菜のクラスの担任兼歴史担当の原田は、雪菜が転校してきた1ヶ月前から、何かと接する機会の多い職員の一人だ。 そして、隣の席に位置する千、こと千姫は、転校初日より何かと雪菜の世話をしてくれている友人でもある。 「ほら、七津角」 「ぇ、は、はい?」 「ぼけっとしてねぇで、次のテストは新選組を中心に出すからな、ちゃんとノートとっとけよ?」 「………はぁい」 不意に黒板から目をそらしていたのがばれたのか、原田に声をかけられてびくりと肩をこわばらす。 一斉にクラスメイトから注がれる視線に、雪菜は萎縮したように小さく頷きしぶしぶとシャープペンシルを握った。 薄桜学園に雪菜が転校したのは1ヶ月前。 幼少期より両親の仕事の都合でイギリスで過ごし、この春より日本の大学受験をする為に日本の高校へと編入する事になった。 同時に妹の千鶴も雪菜についてくる事となり、姉妹揃って日本へ帰国し、この薄桜学園へとやってきたのだ。 「……、つまらない?」 「……、眠たい」 「ふふ、あとちょっとの辛抱よ」 くすっと笑いながらもノートに手を走らせる千姫を横目に、雪菜はふぅと小さくため息をついて窓の外を見やった。 まだ冬の景色が少し残るその光景に心を馳せてどれぐらいたっただろうか、程なくして授業の終わりを告げるチャイムが教室内に鳴り響く。 それを合図に待ってました!と言わんばかりに、帰宅の準備をする者、喋りだす者でクラスが一瞬にして騒がしくなり、その光景に原田は苦笑しながら授業をする手をとめ、クラスでの挨拶をさっさと終えた。 「お前ら、明日提出のプリント忘れんなよ」 「左之さーん、俺プリントなくしちまったんだけど」 「またお前か、平助。ったく、懲りねぇなぁ……おら、土方先生から貰ってこい。余分はあの人が持ってるから」 「ええー!左之さん、それだけは勘弁……!」 雪菜の前に座っている藤堂平助がその言葉に至極残念そうにがっくりと肩を落としている。 そんな藤堂とも早々に会話を終えた原田はその後何人かの生徒とやり取りをかわし、そしておつかれさん、とクラス全体へと声をかけた。 「終わったーあーん、長かったー!」 「雪菜ったら、ずっと欠伸してたんだもん」 ぐっと雪菜が身体を大きく伸ばせば、面白そうに千姫が笑う声が聞こえてくる。 それに雪菜も笑みを浮かべながら、ふと終わりを告げた教壇に集まる数人の女子と、教科書を片手に談笑をしてた原田へと視線をやった。 今となっては見慣れた光景をぼんやりと何気なく目で追って欠伸をもらせば、不意に千姫がツンツンと雪菜の肩を突付いた。 「原田先生って、人気なのね」 「そうね、人当たりもいいし、あの容姿だから、思春期真っただ中の女子はほっとかないわ」 「へぇ」 「何かね、独り身だけど、遊びの恋愛はしないんだって。そういう一途な所がまたいいのよねぇ」 そう言われて未だに会話を繰り広げる原田を今一度見やって雪菜は目を緩く細めた。 確かにその甘いルックスに気さくな物腰は、悪い印象など一つも与える事はない、となると女子生徒の人気は高いだろう。 現に雪菜も初めて担任として顔を合わせた時には少なからず"ラッキー"だなんて思ったのだから。 「ふぅん」 「興味ないの?」 「だって、先生でしょ?」 そう、いくら顔が良かろうが何だろうが、相手は教師であり自分は生徒。 相手にされるわけない、と笑いながら雪菜は携帯を取り出した。 チカチカと受信メールを伝えていたそれを開けると、妹の千鶴より"今日は先に帰る"との連絡が入っている。 「えー、でも雪菜、一度も彼氏居ないんでしょう?どうして?」 「うーん、なんでって言われると……困っちゃうんだけどね」 苦笑しながら携帯を閉じると、千姫は鞄に教科書を片付けながらにっこりと微笑みを漏らす。 そして彼女もまた携帯をポケットから取り出すと――露骨に顔を顰めた。 「やだ、お迎え来ちゃってるみたい。もぅ、お菊ったら心配性なんだから」 「ふふ、早くいかないと、教室まで乗り込んできちゃうわよ」 「ごめんね、雪菜。またゆっくりお茶して帰ろうね」 「うん、また明日ねー」 ばいばい、と手を振ると千姫は足早に教室を後にした。 校門の前に停車する高級そうな車が、おそらく彼女の迎えだろう。 目立つから、嫌だという彼女の願いはどうやら一向に聞き入れらてはいないようだ。 幾分かして校庭を走る彼女を上から呼びかけ、もう一度手を振ると彼女もまた笑顔で手を振り返した。 「雪菜、またなっ!」 「あ、え、うん。藤堂君も、また明日」 そんな彼女を窓から見送っていればひょっこり視界に入ってきたのは藤堂の姿。 雪菜の返事を待たずににかっと人懐っこい笑みを浮かべて教室を走って後にする彼の後姿に何とか声をかけてから、雪菜も椅子をしまい席を立った。 + 「あれ、総司も来てたの」 「あ、雪菜ちゃんおかえりー」 やっとの思いで帰路について雪菜が玄関の扉を開けると、そこには見慣れた靴が二足。 ひょっこりと顔を出した沖田は、雪菜の買い物の荷物を引き取りにくる。 それに甘えて買い物袋を手渡しながら、雪菜はリビングへと足を進めた。 彼は、父方の友人の一人息子、沖田総司。 雪菜達と同じく、家族でイギリスにて過ごしていたのだが、1年早く先に1人で日本へ帰ってきていたのだ。 「ちーづるっ。どうしたの?」 いつもなら真っ先に玄関に向かってくる妹の彼女が、今日に限ってはリビングでぎゅっとマグカップを握って座っている。 雪菜が声をかけた事にようやく反応し、そしておそるおそる、雪菜を見上げた。 「お、姉ちゃん……」 「どうしたの?何かあった?総司に何かされた?」 「やだなぁ、どうしてそこで僕が出てくるのさ」 キッチンで今しがた手渡した買い物袋の中を冷蔵庫にしまっている沖田を横目に、雪菜はカバンをソファに置く。 どうもいつにも増して遅い反応の妹の前にしゃがみ込み、顔を覗き込んでやると、千鶴は少し泣いたような瞳で雪菜を見つめた。 「千鶴?」 「……、っ……、お、……姉ちゃん……」 ほろり、と涙を一筋零したや否や抱きつて来た千鶴に、雪菜は眉間に皺を寄せる。 何があったのか、と沖田に疑問の瞳を投げかけると、沖田は対面キッチン越しに、肩をすくませた。 「帰りにね、ちょっと迷子になっちゃって」 「迷子?」 「そ。僕がちゃんと保護しておきました」 だから、これちょうだいね、と今しがた買ってきたばかりの三食団子の一串を雪菜の返事を待たずに沖田が口に入れる。 何てことない、と言わんばかりの沖田に目を瞬かせてから、雪菜に未だしっかりと抱きついたままの千鶴にくすり、と笑みが漏れた。 「そうね、あまりこの辺り詳しくないもんね。大丈夫、ほら、泣かないの」 ぽんぽん、と雪菜が千鶴の背中を優しく撫でてやると、千鶴はようやく体を離し、そして雪菜の瞳をじっと見つめる。 その瞳に雪菜が優しく微笑み返すと、千鶴はどこか物足りなさ気に小さく頷いてみせた。 「お姉ちゃ、ん。私……」 「ほら、千鶴ちゃん」 その言葉を遮るように、沖田が千鶴の前に三食団子の残りを差し出せば、千鶴が弾かれたように沖田を見やる。 そして沖田から差し出したされた串と、雪菜をどこか不思議そうに交互に見ながらも、結局千鶴は素直に串に口をつけた。 「僕、千鶴ちゃんを案内してくるよ。気晴らしに散歩。ね、行こう?」 「……うん」 「なら、いいけど……。あまり遅くまで出歩いちゃだめだからね」 「はーい」 雪菜の言葉に素直に頷き、沖田は千鶴の頭をぽんっと撫でると、床に置いてあったコートへと手をかける。 未だにもぐもぐと口に団子を含んでいた千鶴も、そんな沖田の姿に慌てて手近にあったマフラーを手にとり、その場に立ち上がった。 「あ、晩ご飯は?」 「んーじゃあ食べてく。今日はカレーがいいなぁ」 「わたひ、も、」 「はいはい、お団子喉に詰まらせないでね」 ちゃっかりとリクエストまでする沖田と、慌ただしくお茶を流し込む千鶴に、雪菜が苦笑しながらひらひらと手を振る。 すぐに玄関から、”早く行くよ"なんていう沖田の暢気な声にだいぶ急かされたのだろう、何とか食べ終わった串をおいた千鶴がリビングから出ようとして、ふと、帰ってきたばかりの雪菜を振り返った。 「ねぇ、お姉ちゃん」 「千鶴、本当に大丈夫?メールもだし…何か言いたい事あったの?」 「お姉ちゃんは……、新撰組、……覚えてる?」 「新撰組?」 きょとん、と目をしばたかせ、同時にふと、今日の午後の授業で原田がテストに出る、と言っていた言葉を思い出す。 けれども、それと千鶴の質問は合致しない、と雪菜はぱちぱちと目を瞬かせてみせた。 「それが、どうかしたの?」 「ううん。なんでもない。いってきます」 にこり、と笑った千鶴が首を振ってから、沖田の後を追うように玄関へと向かう。 そんな妹の後ろ姿を見ながら、雪菜はこくり、と首を傾げながら最後の一串になってしまった団子へと手を伸ばした。 **** 完全ノリで始めました。 本編中に説明しきれてないと思うので補足説明。 沖田家と七津角家は、拠点はもともとイギリス。 雪菜達とは現地の学校で知り合い、育ってきた幼なじみ。 総司は1年前に日本の薄桜学園へ編入(高校1年より)してるわけです。 つまり、現在の年齢設定は、総司、千鶴=高2、雪菜さんは高3になります。 ちなみに、総司も一人暮らし設定ですので、あしからず。 >>back |