Somebody's me -11- すっかり日の上がった空を見上げ、雪菜はまぶしさに目を細めた。 日曜の午後という事もあり、子供づれで行き交う人々を見つめながら、テーブルの上に肘をついた。 食後のドリンクとして、原田の前にはホットコーヒー、そして自分の前に置かれたカプチーノ。 「なんつぅか。」 「うん?」 「変な感じだな、こうしてお前が目の前に座ってる、だなんて。」 オープンテラスの光を浴びながら、原田は火のついたタバコの灰を灰皿へと落としながらコーヒーへと手を伸ばし。 今まで一人か、人が居たとしても永倉が前に据わっていた事を思い返し、口元を緩めた。 「私も、変な感じ。」 へへっと溢れる笑みを隠す事なく、目の前の男を見つめながら、雪菜はマグカップに少しだけ口をつけ。 ほろ苦い液体に、すぐに顔を顰めれば急いで砂糖へと手を伸ばし。 サラサラと封を切って砂糖を流し込む様子に、ふ、と原田が微笑を漏らした。 「身に着けてるもんとか、時代は変わっちまったけど、お前は何も変わってないな。」 「そうかな?」 「甘いもの好きなとこも、な。」 雪菜の口元についていたカプチーノの泡を手のを伸ばしてそれを拭い、ぺろりと舐めて原田は肘をついた。 自分を見つめるその琥珀色の瞳に、温かい余裕のある笑顔は、今も昔も変わらない。 ダークブラウンのジャケットをさらりと着こなしながら、その長い足を組む彼の姿。 前世は然程気にはしていなかったが、今更になって彼の端正な顔立ちとスタイルに、雪菜は小さく頬を染め、ぐるぐると気を逸らす様にマグカップの中をかき混ぜた。 「ねぇ。」 「うん?」 「左之さん、彼女今までいなかったの?」 ふと出た疑問を口に出してみれば、原田の腕がぴくりと固まり、目を瞬せ。 面白い程に分かり易いその反応に、雪菜は思わず吹き出した。 「びっくりするぐらい…、ばればれだよ、左之さん。」 「おいおい、んな野暮な事聞くもんじゃねぇって。」 「だって。」 拗ねたフリをしてみせ再度コーヒーに口をつけてみれば、目の前の彼まだ少し慌てた様子。 自分の質問が一番触れて欲しくない所であるかの様なその反応に、沸々ともう一度笑いが込み上げてきた。 「左之さんモテるでしょう?」 確信をつくように人差し指で原田を指せば、その人差し指は簡単に彼に折られてしまい。 少しだけ気まずそうな彼の視線に、雪菜は口元の笑みを深めた。 「その話はまた今度な。」 「あ、ずるい、逃げた。」 「彼氏の昔の話聞いてどうすんだ、お前。」 呆れた様に肩を竦め、原田は煙草の火を灰皿に押し付けた。 相当動揺しているその様子に、雪菜はバレない様にマグカップに口を付けて笑いを飲み込んだ。 「それに、そういうのって、女心的に知りたくねぇもんじゃねーのか?」 「んー…そうなの、かな?」 まぁいいや、と深く追求するわけでもない雪菜に、原田は軽くため息をつき。 美味しそうにそれを飲んでいる雪菜をまじまじと見つめ直した。 「お前らの噂だって、絶えないっつーの。」 「私?」 「千鶴ちゃんと転校してきた時からな。そりゃもう俺の耳にまで届くくらい。」 「ふぅん。千鶴は危なっかしいから、気をつけないとね。総司がいるなら大丈夫だろうけど。」 等と暢気な言葉を漏らす雪菜に、原田は苦笑を漏らした。 前世も今も。こういう色事に疎いのは相変わらずのようで。 記憶が戻っていない、転校した矢先から廊下などで繰り広げられていた男生徒達の噂話は嫌でも耳に入る。 その都度、胸を騒がせていた原田の事など、雪菜は知る由も無いのだろう。 昔なら平隊士の噂話には殴りこんでいけてはいたが、今の教師としての立場からはそれも叶わない。 「結構心配したんだぞ。」 「何を?」 きょとん、と目をぱちくりさせる雪菜に、原田は煙草の箱をトントンとテーブルに叩きながら出てきた新しい1本を口にくわえた。 もし、もしも。 雪菜の記憶が戻らなければ、つまりそれは、自分と彼女はただの教師と生徒でしかない。 そうなれば、自分はどうしたのであろう。 何も知らずに、同じ年の生徒と恋に落ちたほうが彼女にとって幸せではないのか。 そうなったとしても、恐らくアクションには出ていただろうが。 それでも身を引くという、らしくない馬鹿げた考えすら、何度胸の内を通り過ぎたか分からない。 立ち塞がる教師と生徒というもどかしい壁に、原田はくわえたままの煙草の火をつけ、ため息とともに煙を吐き出した。 「なぁ、雪菜。」 「へ?」 「昨日言ったよな、俺はお前じゃなきゃ駄目だって。」 「う、うん。」 ちらり、と見上げてみれば、まだ長さのある煙草の先を見下ろしながら、原田は心無しか躊躇うような素振りをみせ。 反対側の手でコーヒーの取っ手を軽く遊び始めた。 「左之さん?」 「、昔は年の差なんて気にもした事なかったんだけどな。」 そう、あの頃には同じ新選組の隊士だと言う事でそれ以上意識をする必要もなかったのだが。 今の時代はそうもいかない。 あと1年で卒業とはいえ、教師と生徒だなんて公にできるものでもない。 「雪菜は、俺で本当にいいのか?」 煙草の先を見つめていた原田が不意にこちらを向きなおし。 真剣な眼差しを受け取り、そして彼の少し緊張している表情に目を細めた。 彼がこの表情をするのは、滅多になかった筈だが、それでもこの表情には見覚えがある。 珍しく、彼が不安でいっぱいの時の表情。 最後に見たのはいつだっただろうか、と思い出に耽りながらも、まだ自分を見つめている彼に、雪菜は思わせぶりにため息を一つ漏らした。 「ここまで思い出して、あんな事までして……責任取って貰わなきゃ困ります。原田センセ。」 彼のかけた言葉は雪菜を手放したいが故の言葉なんかではないことぐらい、百も承知。 少し頬を膨らませて茶化してみれば、すぐに戻ってくる原田の安堵の表情。 「でも、左之さん。」 「何だ?」 「学校では、その、ちゃんと知らないフリしてね?」 「当たり前だろ、俺のこの数ヶ月の自制心を褒めてもらいたいもんだ。」 眉をあげて、心外そうに言葉を漏らした原田に、雪菜は昨夜の土方の言葉を思い出す。 知り合いの前では確かに、ああではあったが、大方原田の事だ、大きなヘマはしないだろう、と胸中で思いを巡らせはするが。 「私、オシゴトには厳しいんだよ。」 「覚えてるっての。」 わかってる?と念を押してみれば、原田は苦笑を漏らしながら雪菜の頭をくしゃりと撫で付けた。 「雪菜こそ、俺の事、恋しがるんじゃねぇぞ?」 にぃ、と悪戯に笑う彼の笑顔に、雪菜もまた楽しそうに笑い声を上げた。 すっかりと飲み干してしまった自分の、そして原田のカップを見下ろし。 そろそろ行くか、と原田が煙草の火を消して伝票を持って立ち上がった。 「じゃあ、改めて。よろしくな、雪菜。」 「うん、よろしくね、左之さん。」 にこりとお互いに微笑みあい、差し出されたその手をしっかりと握り返してカフェを後にした。 **** 左之さんの昔話はまた別の機会に。 カプチーノの泡を拭ってもらいたかったが故の夢でした(ぁ >>back |