薄桜鬼-江戸- | ナノ
 





Untitled -8-





息が続かない。
雪菜は酸素を求め大きく呼吸をしながら、ごくりと唾を飲んだ。
目の前で相変わらず涼しい顔をした沖田は、その様子にようやく木刀を下げ。

「そろそろ終わろっか。」
「は、い…」

掠れる声でかろうじて返事を返すと、雪菜は構えていた木刀を下げ、なんとか一礼をした。

「あはは、大丈夫?」

木刀に半ば縋り付くような格好の雪菜に、沖田は笑いながら

「力では…僕のほうが上だね。ああ、だけど速さでは適わないかもしれないなぁ。」

けらけらと暢気に笑う沖田に、雪菜はへたり、とついにその場に座り込んだ。
額に張りついた髪を手で拭うと、同時にぽたりと汗が道場の床に染みを作る。
久しぶりに体を動かしたせいか、全身から汗が噴き出して少し気持ちが悪い。
雪菜は今しがたの稽古を思い出す様に自分の手を見つめた。
決して自分が強いとは言えないが、それでも、学校では雪菜の右に出る者はほとんど居なかった。
烏滸がましくも、少しは自信があったのだが。

「沖田さん……すごい。」
「これで雪菜ちゃんに負けてたら一番隊組長の面目丸潰れだよ。」
「そう、ですけど…。」

たった今、雪菜の打ち込みをまるで子供相手のように交わしていた沖田を思い出し、ぽつりと呟いたそれに、目の前に腰掛けた彼は頬を緩めた。
その顔はまるで、小さい子供が褒められたような、くったくのない表情で。

「小さい頃はね、雪菜ちゃんの方が強かったんだよ。」
「そうだったんですか?」
「うん。だから、いつか勝ってやろうって練習に打ち込んでたからね。」

大きく伸びをしてから、彼はやっと勝てた、と至極満足そうな笑顔を浮かべ。
その様子を見ながら、本当に自分はこんなに強い人に打ち勝ってたのだろうか、と心の中で首を傾げていると。

「あーっ!!やっぱり!ずっりーよ、総司、」
「五月蝿いよ平助。」

大きな足音を立てて稽古場の入り口に、浅葱色の隊服を身に纏った藤堂が顔を出した。
少し息を切らせているその様子は、昼の巡察から帰ってきて真っ先にここに足を運んだのを物語っている。

「俺だって雪菜と稽古したかったのに!」
「平助!お前は先にやる事があるだろうがっ!」
「うわ、やっべ!」

そのまた背後から響く怒声は、土方の声。
それに続いて後ろから伸びた手は、顔が見えなくとも誰かは容易に想像がつく。
間もなくして顔を出したばかりの藤堂はその長い後ろ髪を引っ張られたかのように引きずり出されながらその姿を消した。

「ぷっ、平助も毎回懲りないなぁ。」
「この前、練習の約束してから、まだ一度もできてないので…」
「ここに居るなら、いくらでも時間あるんだから。」

気にしなくていいよ、と沖田は大きく伸びをして体を解すように数回捻った。
雪菜もそれを真似するように腕を大きくのばして、簡単に体を解していると。

「お、何だ、お前等も居たのか。」

続いて現れたのは、いつもの格好をした原田が、木刀を片手に稽古場へと姿を見せた。

「左之さんも稽古?」
「まぁな。」
「珍しい、剣の方やるの?」

沖田の問いかけに、原田はたまにはな、と笑いながら沖田達の前にくると、沖田は場所を譲る為か、すくりと立ち上がり。

「それじゃ、僕は汗流してこようかな。」
「おう、お疲れさん。」
「雪菜ちゃん、相手ありがとね。」
「あ、いえ、こちらこそありがとうございました。」

立ち上がった沖田からかけられた言葉に、雪菜も腰を上げようとしたその時。
ツンっと裾を踏んでしまい前のめりにこけそうになり、思わず両手を地面についた。

「おっと……総司の相手してたんだって?よく最後までついていけたなぁ。」

転けはしなかったものの、小さく手をついた自分に、雪菜も自身で苦笑を漏らした。
確かに、すっかりと足腰は悲鳴をあげており、何食わぬ顔で稽古場を後にした沖田に再度感服する。

「ほら、立てるか。」

当たり前のように両手を差し出してきた原田の手を見つめ。
雪菜は両手をそれに重ねると、ぐっと力強く引っ張られながらなんとか立ち上がった。

「まだ治んねぇのか、それ?」
「え?」

ここ、と言うように原田は雪菜の手首を軽く引き上げ、そこに巻かれている、少し汚れた包帯を指差した。

「………。」
「ん?どうした?」

思わず黙り込んでしまった雪菜に、心配の音色を含んだ声が降ってくる。
ここに来てから一度も触れられなかったその問いかけに、雪菜は咄嗟に返せる言葉もなく、曖昧に視線を逸らした。

「、あー。なんだ、その。別に言いたくねぇならいいんだ。」

何か答えるべきだとは分かっているが、言葉が浮かんでこない。
雪菜は原田の申し訳なさそうな表情を見上げて、ふるふると首を横に振った。

「………すいません。」
「俺も無粋な聞き方しちまって悪かったな。」
「あ、いえ。」

失礼します、と頭を下げて雪菜はまだ重い足を動かしながら、そそくさと原田の隣をすり抜け。
どきんどきん、と大きな音を立てる胸元をぎゅっと握り締め、廊下を足早に進もうとしたその時、不意に背後から声がかけられた。

「雪菜。」
「はい?」
「これ、迷惑じゃなきゃいいんだが。」
「これ…って?」

原田の言葉に振り返ってみると、何やら自身の手首に巻かれた包帯をゆるりと解きながら。
雪菜の前までくると、下ろしていた雪菜の手を持ち上げ、ひらり、とその手の上に一枚の布を落とした。
少しばかり粗いそれは、先ほどまで原田の手首に巻かれてた白い包帯。

「ほつれてきちまってるだろ、それ。俺ので悪いが、代えたばっかだし、よかったらと思ってな。」
「…いいんですか?」
「おう、気にすんな。また汚れたら、やるよ。」
「ありがとうございます。」

小さく頭を下げてそれを受け取った雪菜に、原田はいつものように頭をくしゃりと撫で。
じゃあな、といって背を向けた原田の背を見送って、雪菜も自室へ戻ろうとその場を後にした。
少し日が傾き始めた外を見つめながら、そろそろ夕食の準備をしないと、と着替えるべく部屋に向かう中。
ふと、自分の手首を見下ろした。
もうずいぶん薄汚れているそれの下にある傷は、とうに傷が癒えているのは分かっている。
はぁ、とため息をついて雪菜は頭を振った。
あの時は、自分の存在する理由が何一つ見出せず、本当に軽い思いつきで命を絶とうとしてしまった。

「馬鹿だなぁ。」

ぽつり、と呟いて縁側から庭の景色を眺めた。
今、同じ事が出来るかと聞かれれば、果たして自分は出来るだろうか。
元居た世界と、今とでは、している事はほとんど代わらない筈なのに。
それでも、何かをすれば、感謝の言葉が返ってくる、自分の名前を呼びかけてくれる人が、ここには居る。
たったそれだけの事なのに、少なくとも今の生活に自分という存在がいる意味を、少しだけ見つけれた気がして。
原田が自分にくれた、白い包帯をきゅっと握りしめて、雪菜は小さく笑みを漏らした。




****
おそろいまきまき。

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