薄桜鬼-江戸- | ナノ
 





Untitled -4-





結局、指示通りに着てみたものを、左之と呼ばれる男が少し手直しをかけた。
背中を正してもらった後、彼の手を取り、ゆっくりと布団から立ち上がる。
幸いにも、ずきりと痛む頭以外に体への痛みはない。

「立てるか?」
「はい。」

んじゃ、行くか、と立ち上がった彼に従い、慣れない袴を引きずりながら部屋をゆっくりと後にした。
目の前に広がる廊下の様子、そしてそこから見える桜の景色を再度見つめ、雪菜はひやりとしたものを背中に感じ、息を呑む。
当たり前のように存在している筈の電柱や、電線、高層ビルが全く無い。
余程田舎なのか、それとも、やはり本当に過去に来ているのか。
湧き出る疑問を頭に抱えながら、雪菜は少し先を歩いていた男が振り返るのを感じて、慌ててその後ろを追った。
程なくして比較的広い、広間に案内され中を覗くと、やはり見慣れない格好を身にまとった男達が並んでおり、そのピリっとした空気に怖気づいてしまいそうになる中、一人、ひらひらと、暢気に沖田が手を振った。

「そこに、座れ。」

おずおずと立ち尽くしていた自分に、鋭い声の主、土方から言葉がかけられ、そそくさとその場に正座をしながら、雪菜はそっと周りを見渡した。
周りの男達の表情からは、何を考えているか分からない。
自分はいったい、どういう状況に置かれているかの検討すらつかないまま、雪菜は視線を伏せた。

「お前、行く当てはあるのか。」
「………、孤児院へ。」
「ここにはそういうのは、ない。」
「………。」

そう言われてしまうと、もともこもない。
自分には既に孤児院以外の目的地は無い筈なのに、それを否定されてしまうと、どうしようもない。
きっぱりと言い放たれた土方の言葉に思わず押し黙ってしまった雪菜に、彼は眉間に皺を寄せて息をついた。

「お前、料理はできるか。」
「…、一応。」
「護身術ぐらいは覚えてるか。」
「剣道なら…、少しだけ。」

覚えているか、という聞き方に多少の違和感を覚えながらも、それを肯定すると、土方の左側に座っていた沖田がぴくりと首を上げた。
すくっと立ち上がる雰囲気を察して、雪菜が伏せていた顔をあげると、沖田は彼のすぐ後ろに置かれていた木刀を二本手に取りあげている。

「雪菜ちゃん、僕とやろうよ。」
「は…。」
「総司、怪我人相手に…。」
「いいじゃない、腕を見るだけだから。それに、違うなら斬っちゃえばいいんだし。」

言葉とは裏腹に、先程と大差ない笑顔を浮かべながら、沖田は手にした木刀をまっすぐに雪菜に差し出した。
一斉にそれに注がれる視線に、雪菜は困惑の表情を浮かべ、沖田と、差し出された木刀を交互に見上げ。
彼の背後に見える土方の顔をちらりと見やると、心底複雑そうではあるが、やれ、と言う土方の無言の視線に、雪菜は仕方なく、おずおずとその場に木刀を片手に立ち上がった。

「僕は何もしないから、打っておいで。」
「でも、それは…。」

あっけらかんと言い放たれたその言葉に、雪菜は更に困惑の表情を深める。
いいから、と二度程促された後にようやく決意を固め視線を下に落とした。
少しばかし太いものの、その木刀をぐっと力を込めて握ると、相変わらず慣れた感覚が手先を伝う。
息を呑んで見守っている様子の周りの静かな空気を壊さないように、雪菜はできるだけ控えめに息を吐きながら、すっと、剣先を右下に構え、視線をゆっくりと上げて目の前の沖田の瞳をしっかりと見据えた。
その雪菜の瞳をしっかりと、沖田もまた受けとめるその緑の瞳はひどく面白そうな色を宿している。
ほんの、一瞬の間。
タンッと床が蹴るや否や、次の瞬間、雪菜は剣先が彼に触れるぎりぎりの瞬間で手を止め、その沖田の瞳をしっかりと見据えた。
ヒュゥ、という短い口笛が、沈黙の中に響く。

「すいま、せん。」
「熟れた動きだね?」
「…、はい。剣道はずっとしていたので…。」

その回答に、沖田はくるり、と笑みを浮かべて背後を振り返った。
つられて雪菜も彼の視線を追うと、近藤は、これでもかというほど目を潤ませ、そして土方については、虚を突かれた様に瞳を見開いている。

「雪菜、なのか。」

ぽつり、と初めて自分の名前を漏らした土方の問いかけに、雪菜は曖昧に視線を泳がせながら木刀を床に置きながら再びその場に腰を下ろした。
何がなんだか分からないが、今はとりあえず事の成り行きに身を任せていたほうがよいのだろう。

「……。」
「ったく。行く当てがないのなら、ここにいろ。俺の小姓としてなら置いてやる。もちろん、男として振るまえ。」

土方のその言葉に、その場に居合わせた者達の空気が緩んだのを感じ取ったが。
そんな雰囲気をよそに、雪菜は口を閉ざした。
ここで目が覚めてから、ずっと周りの様子がおかしい。

「つまり、雪菜君は、十四までここに居て、神隠しに遭遇したにも関わらず、返ってきたってわけですか。」

眼鏡をかけた男が、興味深そうに雪菜を見つめている事に気付き、雪菜は視線を返した。
その隣に座っていた男もまた、彼と同じく着物を着用している。

「神隠、し?」
「常識じゃ説明できないという事は、いろいろありますよね。」
「でも…私…。」
「その構え。その動き。見間違えるものか。……おかえり、雪菜。」

にこやかにかけられた近藤の言葉に、雪菜の心臓がどくり、と心臓が高鳴る。
目の前の土方といい、近藤といい。そして沖田といい。
あたかも、まるで自分を知っているかの様な。
あたかも、まるで自分が”もともと”ここに居た人間の様な。

「………ごめんなさいっ!」
「っ、おい、こらっ!」

居てもたっても居られず、雪菜はその場から立ち上がり、駆け出した。
入ってきた広間を飛び出し、すぐに視界に入った玄関らしき門に向かう。
後ろから怒声のような静止の声を振り切るかのように、雪菜は流れるようにその門から飛び出した。

「………っ、う、そ!」

自分が靴を履いていないことも、帯が緩んでいる袴も、何もかも気にならない。
ただただ、目の前に広がるその見慣れない風景を全速力で走り抜けた。
行き交う人々は皆、着物姿。そして、目に映る町並みは、教科書の資料集で学んだ江戸時代そのもの。
町の終わりまで全力し疾走しても、眼前に電柱も、車も走っていない事に、事実を突きつけられる。
その事実を眼前に突きつけられ、雪菜はようやく、彼らの言葉が嘘でないことを悟った。
本当に、過去に自分はいるのだ、と。

「動くな。」

呆然と、その場に立ち竦むその背中に、しばらくして聞き覚えのある声がかかった。
ゆっくりと振り返ると、幾分か息を切らした、紅毛の男が真剣な表情で立っている。

「わ、たし…。」

逃げるように足を後ろに一歩ずらそうとするよりも早く、男との距離が詰められ、同時に自身の体が浮いた。

「お前、足はえぇのな。」
「ぁっ…!」

よ、っと担ぐように雪菜を抱きあげ、易々と自身の肩へと持ち上げる。
咄嗟に拒否しようとしたその体をしっかりと抱え込み、解けそうになっていた帯をまとめて雪菜の腰へとかけた。
そのまま無言で歩き出した男に、行き交う人々の奇異な視線を受けながらも、逃れようの無い今の状況に男の背中に顔を預け。

「あ、の。」
「何だ?」
「今、本当に文久です、か?」

じゃりじゃり、と砂道を歩く草履の音に、質問がかき消されたと思ったが。
背後の雪菜の様子を伺うように首が動いたのを感じたかと思うと。

「あぁ、そうだけど。」
「貴方は…、新選組なんですか?」
「おう、そうだ。言ってなかったな。新撰組の、原田左之助だ。」
「………。」
「………雪菜?」
「ええぇぇ!?」

思わず肩から落としそうになったのをなんとか抱え込み、原田は思いっきり片耳を押さえ込んだ。




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あと一話、後一話でやっと序章が終わります。
なげぇ。もう一話だけ、序章のお付き合い願います(平伏

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