薄桜鬼-江戸- | ナノ
 





Untitled -3-





「あ、の…。」
「何?」
「私のこと、知ってるんですか?」

ばたばたと去って行った三人を見送り、雪菜は半身起き上がった姿勢のまま、隣に足を崩しながら物珍しそうにボストンバッグを四方八方触っているた男に、おそるおそる訪ねた。

「本当に何も覚えてないの?僕のことも?」
「すいません…。」
「雪菜ちゃん、あれだけ僕のこと、こてんぱんにしてたのに。」

今は僕のほうが強いけど、と勝ち気な笑みを漏らす青年に、雪菜は訝しげに眉を顰めた。
先ほどからの話し振りから推測するに、どうやら、彼は自分の事を知っているらしい。

「僕はね、沖田総司。」
「沖田さん。」
「君は、総司、って僕のこと呼んでたっけ。僕がまだ十にもなっていない時に、近藤さん、――さっきの泣きそうだったおじさんね、に拾われたんだよ。」

その言葉に、雪菜は眉間の皺を更に深めた。
自分の知っている限りでは、そのような事は記憶にも、そして孤児院でも聞かされた事がない。

「それから、僕と一緒に近藤さんのところで武術を身につけて。ああ、途中で土方さんも入って来てね。」

毎日がはちゃめちゃだったなぁ、と頬を綻ばせて、沖田は思い出に耽るように宙を見つめた。
そして、くすくすという笑いが一頻り収まると、思い出したように、雪菜へと視線を戻し。

「でね。ある日、君、居なくなったの。」
「え?」
「文字通り、朝起きると、雪菜ちゃんだけ居なくなってたの。君の話が本当だとしたら、それからその平成なんとかっていう世界に行ってたみたいけど。」

沖田の言葉に、雪菜は反射的に首を横に振った。
彼の言葉は、たちの悪い冗談にしか聞こえない。
第一、”平成”という単語を知らない人がいるわけがない、少なくとも、そんな人は聞いた事がない。

「そんな、お話が…あるわけ、」
「――ないよね。だけど、実際何もないところから急に降ってきたんだから。信じたくないけど、信じざるを得ないでしょ。」

ふぅ、と若干諦めにも似たため息をもらしながら、それに、と沖田は続けた。

「その着物の名前を刺繍したのは、土方さんだよ。ほら、あの機嫌悪かった人。」
「は?」

信じられない、と言わんばかりに雪菜は眉間に皺を寄せたまま、また首を横に振った。
先ほど教えられた土方、という男がどうして自分の持ち物に関係しているのか。いや、あるわけがない。

「本当に、覚えてないの?」

もう一度、沖田は雪菜の双方の瞳をしっかりと捉える、それはまるで、雪菜の真意を探るようでもあるのだが。
それでも、自分は何も嘘をついていない上、同時に今どういう状況なのかも自身でわかっていない。

「僕らの顔も、名前も、今日がいつなのかも?」

どくん、と心臓が高鳴り、先ほどの沖田の”文久”という言葉が舞い戻ってくる。
雪菜の知る限り、その言葉は――。

「まぁ、嘘ついてるようには見えないけどね。僕だって
信じれないけど、でも、僕の覚えてる君が、こうして僕の前に今、居るからね。」
「本当に…、本当に、それは私ですか?」
「ちょっとだけ違う目の色、そして鎖骨と、太ももにあった、その傷。とりあえず、判断要因はこれくらいかな。」

今のところ、と付け加えて沖田はボストンバッグに飽きたのか、それを脇にどけて、大きく伸びをした。
沖田をじっと見つめたまま、雪菜は到底理解できない今の状況に必死に考えを巡らせた。
彼の言うことが本当だとしたら、文久という言葉は元号を指すもの、つまり、200年も昔に、自分は居るのだろうか。
そんなばかな、と否定はしてみるものの、周りの人たちが、目の前の沖田が。嘘をついてるともどうも思えない。
現に、自分の周りにある家具や、家材はどれも、見慣れた現代のものとは違う。
ぐるぐると様々な思案を巡らせる中、すっと突然襖が開いた。

「おーい、総司。袴もってきたぞ。」
「ありがと、左之さん。」

左之、と呼ばれた男は、ふぅん、と珍しそうに雪菜を見下ろし、布団の上に紺色の袴類を一式を置きながら傍に胡座をかいた。
見慣れないそれに手を伸ばしながら、雪菜は盗み見るようにちらり、と沖田とその男を視界の端に捉え。
この男もまた見慣れない格好をしている、というよりかは、ここで目が覚めてからというもの、洋服を着た人を一人も見ていない。
まるで、ここが本当に200年も前かのように。

「近藤さんが、土方さんの部屋で泣いてたぞ。」
「え?」
「娘が帰ってきたって、わんわん泣いて。いい年した大人だってのに。まっ、それが近藤さんのいいとこでもあるけどよ。とにかく、総司。土方さんが呼んでるぞ。んで、お前はそれ着たら土方さんところに行けってよ。俺が後は引き受けるから。」
「わかったよ。……土方さんも素直に認めれば良いのに。こんな鈍臭い間者が居る訳ないのにね。それじゃ、後でね、雪菜ちゃん。」

最後にもう一度、悪戯っ子のような笑顔で雪菜ににっこりと微笑むと、沖田は足取り軽く部屋を後にした。
その後ろ姿を見送り、そして自分のすぐ近くに腰を落ち着かせている男がこちらをじろじろと見ている事に気がつき、小首を傾げた。

「なぁ、雪菜、っつったか。お前、本当に、神隠しにあったのか?」
「……わかりません。」
「へぇ。」

それ以上男は言葉を交わさず、忌み嫌う視線ではなく、明らかにおもしろそうにこちらを見つめているそれに耐えられず、雪菜は布団の上に置かれた袴に手をかけた。

「んぁ、そうだった。悪いな、後ろ向いといてやるから、着替えたら声かけてくれ。」
「え。」
「ねぇとは思うが、逃げられたら、ちぃとばかし面倒になっちまうからな。」

優しく微笑む彼に、雪菜は素直に頷いてみせると、男は腰をずらして雪菜に背を向けた。
先ほどから、間者だとか、斬る、に加え今度は、逃げる。
その言葉からも、自分が不審者扱いされてるのは十分に読み取ることができるし、第一、沖田の言葉が本当ならば、突如降ってきた自分は、確かに、本当に不審者だろう。
とりあえずは、言われるがまま、着替えておいた方が良いのだろう、と、ごそごそと袴をひらきだし――――、手を止めた。

「あ、の。」
「うん?」

背を向けたままの男の肩に、驚かさないようにそっと触れ、とんとん、と呼ぶように軽く叩くと、彼は首だけ、くるりと振り返った。

「何だ、まだ着替えてねぇじゃねぇか。」
「これ…、どうやって着るんですか。」
「その質問は、……俺も困るんだが。」

途方にくれたような雪菜の困り顔に、男は、目を丸くしてから、困ったように笑った。




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ただ、左之さんに着替えさせてもらいたくて。(願望)

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