薄桜鬼-江戸- | ナノ
 


Untitled -22-





「ありがとうございました。」

雪菜は野菜を手渡して軽く頭を下げ、客が着た道を踊るのを見送りながら空を見上げ。
今日も相変わらずの時間を過ごしながら、ようやく傾きはじめた日差しに溜息を一つ漏らした。

「はぁ……。」

昔、元居た時代でも同じ様な日々を過ごしていた筈なのに。
屯所での生活は毎日があっという間に過ぎて行っていたせいか、反動のように感じる一日の長さ。
戻りたいと思っても戻れないその日々を思い返しながら、雪菜は視界にかかる前髪を指で撫でた。
もうずっと視界に前髪が入る事にも慣れていた筈なのに、今になってそれが邪魔にすら感じてしまうけれども、接客をする上では必要最低限でしか客とは関わらない方が良い。
もし自分のせいで変な噂が立ってしまえば、林にも、そしてここに自分を置いてくれた新選組にまで迷惑をかけてしまいかねない。

「あぁ、もう……。」

いつの間に自分はこんなにも変わってしまったのだろう。
問うまでもなく、その答えは分かっている。
新選組での生活、そしてあの人のお陰で自分は変われた、それは感謝し尽くしてもしきれない程なのだが一人で思い返せば寂しさも同時に募ってしまう。
気付くといつも自分の心に湧き出ていた屯所での生活に蓋をし、くしゅん、とくしゃみを漏らして雪菜はようやく空から視線を戻した。
少し冷えた店先に、そろそろ戸締まりをして店内に戻ろうと思った矢先。
落とした視線の先にコチラに向かってくる足音に気付いて、雪菜は足音を追いかけるように振り返り、息を呑んだ。

「よぅ、どうした?ぼーっとして。」
「原、田さん……!」

前髪のかかる視界からでも、それが誰かなんてすぐに判断がつく。
余りにも自分が呆然としていた様に見えたのか、原田は少し驚いた様に眉を上げて立ち尽くす雪菜の顔を覗き込み。
ひらひらと目の前でワザとらしく手を振る原田に、雪菜は目をしばらく瞬かせてからようやく目の前の原田に頬を緩めた。

「急に…来られたので、びっくりしました。」
「はは、突然来て悪かった。ちょっと出てたから、どうしてるかと思ってな。」

様子見に来た、と告げた原田はいつもの笑顔を浮かべているのに、やけにその笑顔を新鮮に雪菜瞳に写ってしまう。
急に世界が明るくなった気さえしてしまう、なんて現金な自分の心に呆れながら、雪菜はとりあえず、ありがとうございます、と原田へと言葉をかけた。
何かしこまってんだ、と原田はそれに笑いながら雪菜の頭をわしゃりとなで付け、そして、いつぶりだろうか、当たり前の様に視界に落ちていた前髪をさらりと耳へと持って行く。
何気ないその仕草、屯所に居た頃はよくされていたその仕草がどこか酷く懐かしく感じてしまい、雪菜は苦笑に似た笑みを漏らして見上げてみれば、原田は何も言わずに笑みを返した。

「どうだ、元気でやってるか?何か困ってる事はねぇか?」

自分を見つめるまっすぐな琥珀の瞳からの問いかけに、一度だけ胸がざわつきの音を立てる。
寂しいと告げれば、原田は間違いなく自分の事を心配してくれるだろう、だけど。

「はい、すごく良くして頂いています。」
「そうか、ならよかった。」

どうしてもそれを口から告げる事は出来ずに、雪菜は代わりに、にこりと頬に精一杯の笑みを貼付けた。
それから暫く、ここに来てからの生活について原田と立ち話を楽しんでいれば、ふと脳裏に先日見つけた簪の事を思い出し。
あの日から肌身離さずに着物の帯に刺していたそれに手を伸ばした。

「あの、原田さん。」
「ん?」
「これ、もしかして原田さんが……?」

出てきたそれを原田はちらりと見ただけでしっかりと確認すらしなかったものの、それでもその表情は嬉しそうに笑っており。
その笑顔が、全てを肯定していたけれども、雪菜は原田を見上げたまま彼が口を開くのをトクトクと揺れる鼓動とともに待った。

「あぁ、せっかく着物を着て普通に生活できる様になった事だしな。」
「いいんですか、でもこんな……とても、高そうです。」
「男の送り物を突っ返すなんて野暮な真似はしないでくれよな?ほら、貸してみろ。」

そんなおずおずとした雪菜の様子に原田は笑みを浮かべたまま瞳を細めて見下ろしながら、手から簪を抜き取れば雪菜の頭を見下ろす様に体を近づけた。
自分と原田の身長差を考えるとこっちのほうが遣り易いのは想像はつくのだが、それでも近づく距離に比例して雪菜の鼓動が高鳴っていってしまい。
せめてそれに気付かれない様にと雪菜は祈る様に大人しく原田が自分の不器用に纏めた髪に簪を挿すのを待った。

「ん、できたぞ。」
「あ、りがとうございます。」
「やっぱり。雪菜によく似合ってるな。」

鏡がないから実際にどう刺さっているのか全く見当はつかないが、原田が離れて自分をまじまじと見ている様子に頬が更に熱くなるのを感じ。
何となくその瞳を見るのが照れくさくて俯いていれば、頭上から原田が喉を鳴らして笑う声が聞こえてきた。
ぽんぽん、と次いでふってくる大きな手の感触に顔を上げられずに居ると、未だに笑いの音色を含んだ声で原田の言葉が頭上から振ってくる。

「慣れない事で大変だろうけど、あんま無理はすんなよな。」
「は、い。」
「何かあったらいつでも言うんだぞ?」
「はい。」
「文、くれよな?」
「はい………え?」

こくこくと頷きながら返事を返していれば、最後の一声に雪菜は思わず顔を上げてしまい。
したやったり、と言わんばかりに悪戯な笑みを浮かべた原田とばっちりと視線が会ってしまった。

「たまには、雪菜からも欲しいって事だよ。ーーーみんなお前がどうしてるか心配してんだぞ。」
「わかり、ました。」

文、手紙なんてここで書いた事は無いけれども、少なくとも携帯電話等がないこの時代ではそれが連絡手段なのは分かっている。
筆で文字を書いた事もまだ数える程しかない分、どこか戸惑いを覚えたけれども確かに原田の言っている事は正しい。
せっかくお世話になっていたのだから、手紙で近況を伝えるのもいいかもしれない、と原田の言葉にこくりと頷き返した。

「あ、えっと、今更ですけど……中に入りますか?お茶ぐらいなら……」
「いや、今日は辞めておく。もう夕飯時だからな。」
「そう、ですね。」

少し前までは時間等気にもしなかったが、今はそうはいかない。
屯所の中と外、確かにこうして喋る分においては何も変わらないのだけれども。
それでも、明らかに前とは違う仕方が無い事実に、雪菜はそっと目を伏せた。
こうして、やっぱり少しずつ距離が出来て行ってしまうのだろうか。
慣れというものは怖い、そしてそう感じる自分がまた怖い。

「んな寂しそうな顔すんなって。またすぐ来るからよ。」
「はい。原田さんもお勤め頑張って下さいね。」
「おう、ありがとな。次の非番の時はちゃんとお茶でも飲みに連れてってやるから。じゃあな。」

約束だ、と笑いながらまるで小さい子供をあやす様に小指を出してきた原田に、雪菜も小指を絡めた。
触れる指が、どきり、と高鳴る鼓動が心地よくて。
暫くして離れた小指に残るじんわりとした温かさを感じながら、雪菜は路地を引き返す原田の背中が見えなくなるまで見つめていた。




****
原田さんはセンスが良さそう。


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