薄桜鬼-江戸- | ナノ
 





Untitled -20-





目の前で笑みを浮かべる男に、笑みを浮かべて暫し見つめ返してから雪菜は視線を自分の手元へと落とした。
土方へと、正式に返答を告げてから段取りが組まれるまで、そう時間が掛からなかった辺り、もうずっと昔からこうする事は決まっていたのかもしれない、と雪菜は胸中で溜め息を漏らした。

「彼になら雪菜君も安心して任せられると思ってね。」
「はい、ありがとうございます。」
「それに、俺らだってここには頻繁に顔を出すしな。」

男に並んで目の前に鎮座していた近藤は、男に万全の信頼を置いているのであろう、安心した様な笑顔を漏らし。
隣の土方においては、少し目を細めながら雪菜を宥めるかの様な彼の言葉に雪菜は笑みを浮かべて軽く頷いてみせた。

「これから、ご迷惑をおかけしますがどうぞ宜しくお願いします。」
「いやいや、こんな事情があるなんて知りませんでしたし。いい看板娘になります。」

こんな事情、というのは雪菜が女だという事だろうか。
目の前の見慣れた男、八百屋の男こと林弥吉は座っているにも関わらずに手をすり合わせながら近藤へと頭を下げ。
その様子が酷く不自然にも思えたのは、最初の印象があったせいだろう、と雪菜は唾を飲み込みその感情を底へと隠し込んだ。

「それに、私には遠い親戚も居ましてね。仕事がキツければそちらに引き取ってもらう事もできます。」
「おお、そうなのか。」
「はぁ、まぁ少し遠い田舎ではあるんですがね。」
「そうだな、そういう所で平和に暮らすのも、雪菜君にはいいかもしれんな。」

な、と快活に笑いかける近藤に、雪菜は曖昧に笑みだけ浮かべて頭を再度下に落とした。
もう、ここを離れる事が絶対条件ならば、どこも同じだとは思ってはいたが。
選りによって、彼のところに身を寄せる事になるとは、自分の運の悪さはある意味筋金入りなのかもしれない。
何もせずにただ身を寄せるに比べ、八百屋で働く方が暇を持て余す事もないとはいえ。
それでも、林という男にゆらりと湧き出てしまう不安という感情に気付かない素振りをあえてしながら、雪菜は近藤へと顔を向けた。

「えっと、そしたら……荷物もってきますね。」
「あぁ、我々は皆を集めて門の前に居るとしよう。」
「いえ、そんな。お気遣いなく。」

屯所から目と鼻の先へと移動する事に、何もそんな大掛かりな送別はいらない。
どれだけ断っても、林を招いての宴会を開いてくれた近藤の事だ。
これ以上押し留めたとしても譲らないだろうと思い直し、雪菜は小さく会釈をして部屋を後にした。
つい先日、開かれたささやかな宴会ではあったが。
わんわんと泣き出す近藤に、この日ばかりは酒に手をつけ早々に酔いが回っていた土方。
完全に酔いつぶれた永倉や、最後まで稽古の相手が適わなかったと嘆く藤堂の横で黙々と酒に口を付けていた斉藤。
何故か頻繁に原田への質問を沖田が雪菜に問いかけてきたと思えば、当の原田は腹踊りで場を盛り上げ。
そんなあっという間に過ぎ去った夜を思い出しながら、雪菜は見慣れた中庭を眺めながらゆっくりと自室の襖を開いた。
自分に与えられた部屋を見渡せば、部屋のちょうど真ん中に置いてある小さなボストンバッグ。
この時代には相応しないそれを手に取るのもかなり久し振りに感じながらも、部屋に足を一歩踏み入れてそれを持ち上げた。
先程も感慨深く見渡したその部屋を後にするのは後ろ髪退かれる思いではあったが。
それよりも、最後に一目、という思いに雪菜は小走りに最後の自室を後にして勝手場へと向かった。
特に何がある訳でもないが、やはり一番長い時間を過ごした勝手場を最後の最後に、と。
静かな屯所の廊下を歩きながら、角からそっと顔を覗いてみれば。
思わぬ先客に、内心驚いたもののその姿を目に留めて雪菜はふ、と笑みを漏らした。

「原田さん?」
「お、もう行くのか。」
「……はい。」

ぼんやりと勝手場を眺めていた原田が、ふと雪菜の姿を見つけて少し驚いたように柱から背をあげた。
同時に原田の元へと歩みを進め、勝手場の中を覗き込んだ雪菜に場所を譲るように数歩下がり。
雪菜が最後に一目見ようとしていたのもお見通しのように何も問う事もなく中に顔を出した雪菜の背後から、頭をぽんと撫でた。

「もうお前の飯が食えなくなると思うと、寂しいな。」
「、そうですか?」
「明日から当番制に逆戻りだからな。さっそく総司が嘆いてたぞ。」
「ふふ、沖田さんの食事も一度食べてみたいものですね。」
「やめとけ、腹壊しちまうぞ。」

わしゃわしゃ、といつもの様に撫で付ける原田の手に何故か緩みそうになる涙腺を堪えて、雪菜はゆっくりと振り返り。
ここに一緒に”落ちてきた”鞄を抱えなおしてみれば、原田はいつもの穏やかな笑みを浮かべて雪菜を見おろしながらおもむろに雪菜の手からその鞄を取り上げた。

「ま、ここでは会えなくなるけどよ。八百屋には顔だすから。」
「、はい。」
「んな、今生の別れみてぇな泣きそうな顔すんなって。」

精一杯笑みを作っていた筈なのに、苦笑の様な笑みを漏らして原田は更に強く雪菜の頭を撫で付けた。
最後の最後まで、原田の前では泣きっぱなしだった自分、完全に甘えてしまっていた自分を窘める様にパチパチと雪菜は頬を数回軽く叩いてみせ、もう一度にっこりと笑みを浮かべてみれば。
相変わらず子供に接するのと変わらない様に原田は、よしよし、と笑いを含んだ声をあげた。

「本当に、今までありがとうございました。原田さんには何から何まで頼りっぱなしで…。」
「おいおい、そんな礼を言われる事なんか何もしちゃいねぇぜ?」
「でも、本当に。原田さんには感謝をしてもし尽くせません。」

深々と頭を下げる雪菜の頭上から振ってくるのは、少し慌てた彼の声。
肩に手をかけそれを止めた原田に、しぶしぶと頭をあげてみれば、少し参ったように頭をがしがしとかいた。

「本当によ、俺はそんなつもりじゃねぇんだから。気にすんな。」

その言葉に、精一杯の笑顔を浮かべてみれば、何か言い難そうに原田は口を開いたが、そのまま肩をすくめて門へと歩き始め。
雪菜もそれに続いて歩きながら、目の前の原田の背中を見つめた。
ここに来てから、何かと接する事が多かった原田。
いつも自分の不安を共有し、包み込んでくれた彼。
おそらく、彼にとっては手のかかる子供といったところだろうか、それでも。

「原田さん。」
「ん?」
「ありがとうございます。」

にこりと笑って告げた言葉は、原田は顔を冗談半分に顰めてひらひらと背後に手を振っただけで。
そのまま歩き続ける彼の後姿を追いかけながら、雪菜は口元に漏れる笑みを手で覆った。
はっきりとはしないが、初めての感情。
この人に、自分は恋をしているのかもしれない。
この時代で、否、自分の人生において”普通の人がするような”恋等は、自分にとっては無関係なものだと思っていたが。
それでも芽生えたこの温かい感情を教えてくれた原田には、やはり感謝の言葉が尽きる事はない。
すぅ、っと雪菜は肺へと空気をめいいっぱい吸い込み、原田の隣へと足早に並んだ。

「何かあったら、遠慮せずに言うんだぞ。」
「はい。」

ぽん、と背中を軽く叩く原田に今度はちゃんとした笑顔を送ってみれば。
にぃっと原田もまた目を細めて笑い。
この笑顔も頻繁に見る事もなくなるのだと思えばもの寂しさが胸を過ったが。
見送り等いらないと言ったにも関わらず集まっていた幹部の面々を遠くに感じ、雪菜は原田と共に足早に門へと向かった。




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門まで書こうか悩んだんですけど。
今までほとんど書かなかった新八がわんわん脳内で号泣してたので。
やめておきました(ぁ

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