薄桜鬼-江戸- | ナノ
 





Untitled -16-





思えば、自室と土方以外の部屋へ足を踏み入れるのはこれが初めてかもしれない。
ふと、そんな事に気付いて思わず周りを見渡したい思いに駆られたが、さすがに失礼だと思い直して雪菜は手にした団子の串を見下ろした。
目の前には、何するわけでもなく雪菜から先ほど取り上げた湯飲みに口をつけている原田の姿。

「怪我、大丈夫だったか。」
「あ、はい。大した事ないですよ。」
「だけど、直接刀受けたんだろ?傷が残んなきゃいいが……。」

何故か心底申し訳なさそうな表情を零す原田に、雪菜は首を横に振ってみせた。
自分の体を案じてくれている事は有難いが、自分は何かをしたつもりはない。

「結局、伝令も遅れてしまいましたし……、何もお役に立てなくて申し訳ないです。」
「おいおい、何言ってんだ。お前の伝令がなかったらそもそも池田屋に矛先変えれなかったんだぞ。」
「ですが…。」
「お前にこういう事、そもそもさせるべきじゃねぇだけど……こればっかは、俺の決定権だけじゃどうしようもな。」

ため息まじりに聞こえてくるその言葉に、雪菜はもう一度首を横に振った。
その雪菜の仕草に少しだけ首を傾げた原田の視線を受け止めてから、雪菜は手にした齧りかけの串をへとそれを移した。

「役に立てるなら、捨て駒でも、何でも良いんですよ。」
「捨て駒って、お前。」

そう言う意味じゃねぇよ、と慌てたようなその声色に声を上げてみれば、怪訝そうに眉を潜めた原田がこちらを見つめており。
その少し怒ったかのようにも取れる表情に、雪菜はふ、と頬を緩めてみせた。

「それ位しか、役に立つ事できないですし。」
「こーら、んな簡単に捨て駒とか言うもんじゃねぇよ。」

ごくり、と湯飲みを飲み干してそれを畳に置けば、原田は言葉を吐き出すと共にふぅ、と大きく息をついた。
大方、雪菜が冗談を言った、ぐらいにしか取っていないのだろう、その明るい表情に、雪菜は原田とは違う息を同じく漏らした。

「本当です、よ?」
「冗談でもそういう事は言うもんじゃねぇって。」

更に苦笑を漏らして雪菜の言葉に返事を返した原田に、ついに言葉を区切り。
戸惑いの視線を彷徨わせた後、決意をしたように雪菜は顔をあげた。

「私、自殺しようと思ったことがあるんです。」

は、と呆気にとられた原田に示すかのように、そのまま手首にかけられていた包帯をしゅるりと解いてみれば。
すっかり傷はふさがっているものの、生々しく手首に大きく広がるその傷痕にとくんと自身でも心臓が騒いだが。
同時に、原田がそれを目にするや否や、彼の瞳が見開かれたのが分かった。
暫しの沈黙を破るかのように傷跡を凝視していた原田はガシガシと髪を掻き、まるで自分の痛みかのように顔を顰めた。

「何で、んな事。」
「、何で、でしょう、ね。本当に……。あっちの世界では、自分が何の為にいるのか分からなくて。」

今考えると逃げだったのかもしれませんけど、と言葉を添えながら再び手首に包帯を巻き始めると、原田は何も言わずに雪菜の手首に手をかけて巻くのを手伝い始めた。
ふと、この時代では手首を切るなんていう自殺はあったのだろうか、やはり切腹だったのだろうか、等とぼんやりと考えながら彼の手先を見つめていれば。
程なくして巻き終えたそれに、雪菜は丁寧にありがとうございます、と伝えてから言葉を続けた。

「ですから。一度は投げ出そうとした命なんです。なので、何かに役立てば、と思って。」

小首を傾げて精一杯の笑顔を零してみるが、原田の表情は相変わらず曇ったまま。
上手く笑えてないのか、と胸中にて不安を宿しながら原田を見つめてみれば、彼の琥珀色の瞳は先ほどより幾分か真剣味を帯びた色を宿していた。

「なんで、俺らに……そこまで出来るんだ?」

巻き終わった包帯から原田は手を離すことなく。
もう痛みなど消えてしまっているのに、どこか傷跡を労わるかのように、そっと包帯の上からその傷跡を辿った。

「なんで、ですか。」

原田の言葉を反芻しながら、雪菜は自分の手首にかかる原田の大きな手を見落とした。
数えきれない程、もう何度も自分の頭を撫でてくれたその大きな手。
その度に自分の心に確かな温かみを落としている事に、きっと原田本人は気付いていないのだろう。

「前にもお伝えした通りです。ここに来てから…、本当に良くして貰えて。私なんかを、気にかけてくださる方がこんなに居て。……、きっと、原田さんはそんな事っておっしゃると思います。だけど、私にとってはとてもとても、大きな事なんです。だから、その恩に少しでも報いれるなら、何だってできます。」

ぽつりぽつりと漏らしながら、手にかかる原田の手に自分の手を重ね合わせてみれば。
自分の手よりも一回りも、もしかしたら二回りも大きいかもしれないその手をそっと手首から外した。

「前は、自分の為だったかもしれませんが。今ならきっと新選組の為に投げ出せる気がするんです。」

そう口を突いて出た今しがたの言葉に、自身でも少しばかり驚いたが。
大方、この感情は嘘偽り等はない。
結果はどうであれ、せめて何かの役に立てればと山南に申し出た昨夜の出来事。
そして今しがた土方達の会話からはっきりと退かれていた新選組と自分の境界線。
いくら待遇が良くても自分は、結局中途半端な存在である事は何も変わりはない。
それに加えて自分の境遇、容姿から、今後つきまとうであろう様々な壁の事を考えてみれば。
自分が命を投げ出すだけで、新選組の為になるのであれば、それが自分の価値に繋がる気さえした。
どうせ、自分は新選組でも何でもない、と思いつつも、それでもどこか寂しい感情が胸を過ぎったかと思えば。

「ばーか。」
「、った。」

不意にぺチン、と、なんとも綺麗な音が響いてすぐに、じんわりと額が痛みを帯びて慌ててそこを押さえ。
落ちていた視線を上げてみれば、原田が微笑を漏らしていた。

「誰が捨て駒なんかに使うかっての。」
「原田さん?」

今の話を聞いていたのか、と言わんばかりの視線で彼を見上げてみれば。
そんな事は百も承知だといった彼の表情は、苦笑でも、呆れるわけでもなく、穏やかな表情を宿していた。

「おかえりって迎えてくれる雪菜が居て、美味い飯にありつける。毎日死と隣り合わせの俺らからしたら、それがどれだけ大きな存在か、わかってねぇだろう。」

そんな、と思わず声をあげようとすれば、再び額に手を上げそうな原田にぎゅっと瞳を閉じてみれば。
暫くしても振ってこない軽い痛みに、ゆっくりと片目を開けば、悪ぃ、と苦笑を漏らす原田が視界に入った。

「きっと、雪菜からしたら、そんな事って思うかもしれねぇが。俺からしたら、お前の笑顔に迎えられて、美味い飯が毎日食べれるってのは大きな事なんだぜ。」

先ほどおでこに当てられた手が、今度はふわりと頭にかかり。
雪菜の言葉を引用したかのように言葉を紡ぎながら優しく撫でるその大きな手を、されるがまま受け入れた。

「雪菜も、団子でも食ってんな馬鹿な事忘れちまえ。」
「、でも。」
「でも、は無しだ。食わねぇと俺が食っちまうぞ。」

その言葉に仕様がなくおずおずと皿に置き直した串に再度手をつけ、まだ残っている団子の皿をつっと原田の前へと差し出した。
最後の一本を皿から手に取り、原田もまたそれに口をつけながら、無言でそれを頬張る雪菜の様子を見つめた。
ここにきた当初、行く場所がなくても構わないとはっきりと述べたそれに違和感を感じてはいたが。
雪菜の今の言葉にようやく合点がいった。
極端に迷惑をかけることを恐れる素振りは大分無くなったとは思ってはいたが。
一度諦めた命はまだ彼女をこの世に留めるほど意味は成していないのであろう。
根本での”自分は迷惑をかける存在”だという部分はどうやら相変わらず変わっていないようだ。

「な、何です?」
「良い子良い子、ってな。」
「私、子供じゃないです……。」

一度は下ろしたその手でわしゃわしゃと雪菜の髪を再度撫でれば、くしゃりと形を崩してしまった髪に抗議の声をあげ。
怒るのでは無く、困惑した表情を宿した彼女に口元を上げて笑いかけてみれば、動物の様に目をぱちくりとさせてから、控えめに笑みを浮かべ返した。
こうして少しずつではあるが時間を供にすればする程、心の奥に仕舞い込んでいたその感情を少しずつ露にしだす彼女。

「そうだな、雪菜は女だもんな。」

どこか満足気に聞こえてきたその言葉に、意味を問うかの様に首を傾げた雪菜に。
原田は意味深に笑みを浮かべたまま、団子を口の中に放り込んだ。




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うぅん。根本的な解決になってな…(シッ
原田さんのおでこペチンでした。

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