![]() My perfume -4- バタン、と適当に目の前に入った扉を閉じて、冷たい扉に背を預ける。 ドクンドクンと大きく耳に響いてくる鼓動は、決して走りすぎたからではない。 チクチクと突き刺すような痛みに雪菜は瞳をぎゅっと閉じ、そしてずるりとその場にしゃがみこんだ。 「あー……も、私らしくない……」 吐き出すように震える声を漏らせば、ツンと鼻に感じる熱い感覚。 こんなところで泣いてはいけない、と薄暗い部屋で瞳をぎゅっと閉じながら、雪菜は手にしていた書類を地面に放り投げた。 「いつから、」 いつから自分はこんなに弱くなってしまったのだろう。 アメリカという土地に足を踏み入れた時も、こっちの大学でたった一人で研究に励んでいた時も、……NESTに巻き込まれた時も。 確かに乗り越えた壁は多々あったけれども、どれも自分で何とか乗り越えてきた。 なのに……なのに、だ。 ジャズと知り合ってから、ジャズと付き合ってから。 彼の事に関してはまるで耐性がないと言わんばかりに、全ての事に対して自身が無くなってしまう自分がいい加減情けなくすら感じてしまう。 あれだけ色々なことを乗り越えてきた自分はいったいどこに消えてしまったのだろうか。 こんなにも臆病な自分がいるなんて、知らなかった……と、雪菜が頭を垂れたまさにその時。 「雪菜?」 不意に背後から聞こえてきた、今一番聞きたくない声色に、雪菜の体がびくりと文字通り震えが走る。 どうしてこの場所が分かったのか、どうして今頃追いかけてきたのか。 そしてどうして、自分を追いかけてきたのか……と、雪菜は熱い目頭を押さえ込むように腕に顔をうずめた。 「そこに居るんだろう?」 「……、」 「居留守使おうが、熱で分かるんだけどな?」 背後から聞こえる……ジャズの声に、雪菜は静かに息を漏らした。 もともとここを見つけたのも携帯を辿ってなのだろう、それに……おおよそ、熱感知でも使って自分がドアのすぐ反対側に居ることも把握しているに違いない。 あぁ、これだから機会生命体は、なんて胸中で悪態付きながらも、雪菜は震える息を一度だけ吐いてからゆっくりと口を開いた。 「なに、」 「何じゃねぇだろ。やーっと分かった。何でお前がここ最近様子がおかしかったのか」 「別におかしくなんてない……、私今、忙しくて」 「へぇ、この誰も使ってない倉庫で何かする事でもあるってのか?」 雪菜の耳に届くのは、まるで何もかも見透かしたようなジャズの声。 相手が人間だったなら、きっとここは"空気を読んで"そっとしておいてくれただろう。 けれど、今自分の反対側にいる機会生命体の彼は、残念ながらそうはしてくれないようだ。 「開けるぞ」 その言葉と同時に、背後に感じていた扉が押し開かれる。 勿論その場に背を預けていた雪菜が反射的に身体に力を込めてみても扉の動きを止めれる筈も無い。 結果、頭に突き刺さるような視線に耐えきれずに、雪菜はゆっくりと背後を振り返った。 「忙しい、ねぇ?」 「……なに」 「ったく、お前はもうちょっと俺を信用しろっての」 「私は、別に、」 ギィ、とジャズが片手で開いていた扉から手を離すと同時に、部屋に差し込んでいた光が途切れる。 それと同時にパチンと片手で部屋の灯りをつけたジャズは、雪菜の耳にも届く、大きな溜息を一つ漏らした。 「泣くほど不安だったら、俺に聞けばいい」 「別に何も不安なんて、」 「ディーノから聞いた。俺がサラと不倫してるとでも思ってたんだって?」 ジャズからの言葉が、限りなく……限りなく、面倒臭そうで。 溜息まじりに、呆れた様に発せられる彼の言葉に、雪菜は唇をぐっと噛みながら足下に視線を落とした。 これが俗に言う、面倒臭い女というやつなのだろうか、なんて脳裏によぎるものの、それでも黒く濁った感情を吐露するかの様に、雪菜は震える息と一緒に口を開いた。 「だって、そうなんで、しょ……?」 「へ?何でだ?」 雪菜なりには精一杯の勇気と強がりを込めて発した一言。 けれども、言葉を言い終わるや否やすぐに被さってきた、まるで驚いたかのようなジャズの一言に、雪菜は眉間に皺を刻んだ。 今更この期に及んで知らないフリなんてしないで欲しい、せめて最後ぐらいは……ともう一度喉に力をいれようとしたその時。 「もしかして……お前、会ったこと、ねぇのか?」 コツ、とジャズが一歩自分の方に足を踏み出すと同時に、雪菜に手が伸びてくる。 急な彼の動きに身を翻る事も出来ず、更には両頬を包み込んだジャズの手から逃れようとして……無理矢理に、彼の両手が雪菜の頭を持ち上げた。 「あー、それで」 「ゃ、」 否が応にも持ち上げられた頭に、抗議の意を込めてジャズから視線を逸らすと、目の前のジャズは溜息まじりに笑い声を漏らす。 それが更に場に削ぐわず、雪菜が身体に力を入れてその手から抜け出そうとすれば、ジャズは”おっと”なんて笑いながら雪菜の視線を無理矢理自身に合わせた。 「サラ・レノックス」 「……、」 「レノックスの、奥さんだよ」 「え?」 突然雪菜の耳に届いてきた、ジャズの言葉。 聞き慣れた声、いつもの音色、それでも雪菜が瞳を大きく見開いたのは、決して予想していなかった内容のせい。 まさか、そんな。 嘘をつくならもっとマシなものにして欲しい、と疑いの眼差しを雪菜が瞳に写しだせば、ジャズは相変わらず笑みを口元に浮かべながら雪菜の頬を指でなぞった。 「この前お前とディーノが見たってのも、俺とサラ。ちなみにあれはサラがレノックスにクリスマスプレゼントを買いたいから足が欲しいって連絡が入ったんだ」 「え、」 「ついでに、その他で会ってたのは……その、お前へのクリスマスプレゼント、選んでもらってた」 目を見開きながらジャズを見返す事しか出来ない雪菜に、ジャズが言葉を投げかける。 最後の台詞だけ、少し気まずそうに視線を逸らしたものの、すぐに雪菜へと戻った彼の視線を受け止めながらも、雪菜は今しがた耳に届いた彼の言葉を2度程、頭の中で再生を繰り返し…… 「そんな……え、……うそ」 「嘘なんてついてどうするんだっての。てか、お前もこんなになるまで思い詰める前に、俺に相談しろってんだ」 口から飛び出た天の邪鬼な発言とは裏腹に、雪菜は不意に目頭に熱を感じた。 あれ程思い詰めたのに、あれ程間違いないと一人で確信していたのに。 まさかあの女性が上司でもあるレノックスの奥さんだったなんて、勘違いも甚だしい上に、恥ずかしすぎるではないか。 ”やっぱり”結局は全て自分の勘違いだったなんて、と安堵と共に雪菜の瞳から溢れる様に涙が溢れ始めた。 「あぁほら、泣くなって」 「だ、だって、」 「お前が走っていった後、サラに怒られるし、ついでに通りすがりのディーノにも怒られた……つぅか、殴られた」 ほら、とジャズが雪菜に見せたのは確かに少しだけ赤くなっているジャズの頬。 すぐに自己治癒が始まるだろうから、傷は残ることは無いだろうが……それでも、目に見える形で赤く色づくそれに、雪菜の瞳からぽろりと一筋の大粒の涙が別に流れる。 「しかも、挙句の果てには"雪菜を傷つけたら、ただじゃ済まさねぇぜ"なんてふざけたメッセージまで入るし。いつの間にお前らそんな仲になったんだ」 「ごめん……なさい」 "そこは謝ってもらわねぇとな"なんてジャズの冗談めかした口調に、雪菜は相変わらず両頬を包み込むジャズをまっすぐに見上げた。 ボロボロに泣いて、きっと酷い顔になっている自覚は雪菜もあるのに、それでもジャズはいつもと変わらず愛おしそうにこちらを見下ろしてくる。 それが何だか恥ずかしくて、雪菜が鼻をすすりながら視線を逸らせば、ジャズから温かい口付けが額に一つ落とされた。 「悪かったよ、変に疑われるような行動とっちまって。てっきりサラとは面識があると思ってたから」 「……ごめんなさい」 ずず、と鼻をすすりながら謝る雪菜に、ジャズがクツ、と喉を鳴らして笑う。 曰く、隊服でプレゼントの下見を見に行った際に、レノックスとサラの愛娘であるアナベラがジャズの上着を涎で汚してしまったのだとか。 結果、後日クリーニングをしてもらい引き取り、着用する際にサラ、もとい、レノックス家の香りがついている事にジャズも気がついてはいたが、まさかこんな誤解を生むとは思っていなかったとか。 ……勿論、雪菜がサラという女性を認識していれば、そもそもこんな誤解は生まれなかったのだから、雪菜からはぐうの音も出る訳もない。 「だいたい、俺が浮気するなんて、本気で思ったのか?」 「だ、だって……、分からないけど……けど、私」 「うん?」 「ジャズと付き合ってから、どんどん……私、弱くなってる……些細な事なのに……すごく怖くなって、聞けなくて、それで、」 「……それで?」 「こんなの私じゃないみたいで……すごく嫌なのに……嫌なのに、気になって、怖くて、」 ”もうわからない”と涙声に訴える事しかできない自分を情けなく思いながらも、雪菜が目の前のジャズに両腕を伸ばす。 すると、すぐにそれを察して頬から手を離し、ぎゅっと雪案の身体を抱きしめたジャズの背中に、雪菜もそろそろと手を伸ばした。 考えてみれば、彼とこうして抱きあうのは本当に久し振りかもしれない。 あれ程怖かった”別の人の香り”は確かに今もジャズからは僅かにするのに、それが誰からのものか分かっただけで……こんなにも気にならなくなるなんて。 「ただでさえ俺と雪菜は種族が違うんだし、これからも問題は出てくるだろうけどさ。俺はそういう時こそちゃんと話し合いたい」 「ジャズ、」 「雪菜とは通信もできねぇんだから、感情は波長じゃ読み取れない。だから言葉にして伝えるしかないだろ?勿論、言い辛い事もあるかもしれねぇけど」 「、」 「お互い、言葉にしねぇと伝わらないだろう?」 その言葉にこくり、と僅かに頭を落とした雪菜に、ジャズからgoodなんて満足そうな声が振ってきた。 それに答える様にぎゅっと抱きつけば、それと同じ力が雪菜の背中を抱きしめ返す。 そしてキュルル、という独特の機械音のする温かい胸に耳を押し付けて瞳を閉じれば、やがてジャズの手が優しく雪菜の髪の毛を撫で下ろした。 「俺と……雪菜ではさ、生きる時間が違う」 「、」 「それは仕方がない事だ。見よう見真似で……こうして人間にはなれるけど、結局俺は機会生命体のままだからな」 「うん……」 「だけど、それでもさ。俺は一日でも、一秒でも長い間、雪菜とは幸せな時間を過ごしたいんだ」 ぽつり、ぽつり、と穏やかに振ってくるジャズの言葉に、雪菜の胸が熱を持ち始める。 彼の言っている事は、何一つ間違っていない。 自分がもう少し、もう少しだけ勇気を持ってジャズに聞いていれば、こんなにも自分も、そしてジャズにも辛い思いをさせてしまう事は無かったのだから。 「こうして思い詰めてた1週間は、結局はただの勘違いだった訳だろ?せっかく幸せに過ごせた筈の1週間を無駄にしちまっただろ」 「ごめんなさ、い」 「もう過ぎた事だ。だけど、約束してくれ。これから先、何かあった時、俺を信じられなくなった時、疑った時。何でも感じたことは俺に言うって」 ――返す言葉なんて無い、その通りなのだから。 思わず腕をジャズの首元に廻しながら、雪菜がそっと背伸びをすれば、ジャズも察した様に少しだけ腰を折って距離を縮めてくる。 ごめんなさい、ありがと、そして……大好き。 その3つの意味を込めて顔を寄せ、そして雪菜から唇をジャズに贈れば、ジャズからもまた、雪菜に甘いお返しが唇に返ってきた。 「あ、」 「んー?」 「あ、ん、ひょ、ひゃひゅ、」 そんな甘いやり取りを数回程繰り返していると、ふと、幾分かとろけてきた雪菜の脳裏にある事実が浮かび上がる。 しまった、と思わず口を開くが、甘噛みを繰り返すジャズの唇がなかなか雪菜の唇を離してくれない。 もう少しこの幸せを……なんて片隅にあった誘惑を必死でおしのけ、そしてジャズの両頬を掴みながら、雪菜はじんと熱い唇の割には、おず……と唇を開いた。 「あの、その……クリスマスプレゼント、その、まだ……」 「ん?あぁ、まぁ……いろいろあったからな?お前がいるなら、俺は別になくても構わないけど」 「えっと、それで、ジャズに似合う香水は見つけてあるんだけど……」 そう、あの時に本当ならば購入して今頃手元にある筈だった。 けれども、あの時はまさかこんな結果が待っているなんて思いもしなかった。 結局、止めるディーノを振り切って棚に香水を戻して基地へと戻ってきたついこの間の自分が、今になって悔やまれると雪菜が申し訳なさそうにジャズを見上げると…… 「なら、今から行くか」 「え?」 「せっかくのクリスマスだし、レノックスも有給だし。ついでにアイアンハイドも、サイドスワイプも休みだぞ」 ”だからサラが向かえに来たんだ”と笑ったジャズに、雪菜は一瞬だけ床にいつの間にかちらばっていた書類に視線を落としたが…… 「ついでに、お前のセンセーも、ジョルトも、何か用事があるって言ってたな?」 そんな言葉を言われてしまえば、雪菜とてジャズの提案を断れる筈もない。 特に、今は……と、悪戯っ子の様に笑うジャズの唇に、雪菜はもう一度熱い返事を贈った。 ***** クリスマス過ぎてしまってからの、まさかのw 後日話は、そのうちシリーズ短編にて…… |