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My perfume -2-





目の前に並ぶ色とりどりのボトルの数々。
それを手にとっては鼻に近づけ、そして棚に戻す。
もう何回繰り返したか分からないその行動に、雪菜はスン、と鼻を鳴らしながら顔を顰めた。

「鼻、痛い」
「そりゃそうさ、香水ってのはそんなに吸い込むもんじゃねぇぜ」
「だって、」
「だいたい、こんな手間のかかる事なんてしなくても、俺の送ったデータでから選べばいいだろ?」

隣で肩眉をあげながら、紅い髪の毛を掻きあげるディーノに、雪菜は不満げに口を尖らせる。
そんな事は雪菜自身も百も承知ではあるが、せっかくのクリスマスギフトをネットでオーダーなんて味気ない。
数値から選んだ香りよりも、やはり自分で直接嗅いだ方が言いに決まってる、という訳で雪菜はジャズの目を盗んでこっそりとこうして、市街地へと出てきたのだ。

「そりゃ、データとかいろいろあるけど……やっぱり人にあげるものは直接手にしたいじゃない」
「”人に”じゃなくて”機械生命体に”だろ。ったく、面倒だな、人間ってヤツは」

そして以前から下調べをしておいた香水ショップに雪菜が足を踏み入れると……丁度、会計を済ませたばかりのディーノに出会った。
勿論、12月も半ばのこの時期に、彼氏に隠れて一人で街にやってくるなんて、誰が考えてもその意図は深く探らずとも分かるだろう。
案の定、成る程、なんて笑い声を漏らしたディーノに雪菜がびくりと身構えたものの、そんな雪菜を気にも留めた様子も無く、ディーノはすぐに棚に並ぶ香水の前に雪菜を連れて店員顔負けの説明をし始めてくれたのだ。
……本当に、最近のディーノは、良い意味で予想を裏切る、なんて言葉は雪菜の胸中に締まっておくとして。

「ところで、ディーノは何してたの?デート帰り?」
「まぁ、な」
「あら、はっきりしないのね?」

だいたい、香水を買うだけにディーノがこんな街中まで出てくる訳がない。
となれば、考えられる理由は自分と同じか――彼の手元に包まれた男物の香水は、どうみても自分用だろうが――、何か他の用事が会ったに違いない。
そういえば、彼の”初本命”の新しい彼女は市街地に住んでいるという情報をサイドスワイプから聞いた気がする、と雪菜が少し期待を込めた目でディーノを見やったが、そんな雪菜にチラとだけ視線を寄越したディーノは、どこか苦々しそうに口を開いた。

「……ケリ、つけてきた」
「ケリ?」

全くもって見当違いの回答に、思わず雪菜が小首を捻って言葉を繰り返す。
ケリをつける、とはどういう事か。
もしかして、噂の初本命の彼女ともう終わりを向かえたとでもいうのか、と雪菜が怪訝にディーノの顔を覗き込めば……ディーノはどこか居心地悪そうにブラックのジャケットの襟を正しながらボソボソと言葉を紡いだ。

「あいつが悲しむから、その……他の女と居ると。だから、別れてきた」

そんなディーノの声を自分自身でかき消す様に、ザァッと聞き慣れた機械音が低温で響く。
機械生命体によって出す音色は異なるが、雪菜の愛しい彼氏からもよく消えるこの音は間違いなく……照れ隠しの音。
もしも雪菜に通信回路があるならば、間違いなく仲間に回線を開いて”マンマミーア!”なんて送っているかもしれない。
思わずあまりの衝撃に雪菜が絶句をしていると、隣で香水の瓶を元の棚に戻しながら雪菜の様子を伺う様に投げられたディーノの瞳に、雪菜は慌ててコホンと咳払いをしてみせた。

「私も一応女なんですけど?」
「お前はジャズの彼女だろ?あいつも知ってるし問題ない」
「あ、そ」

何とかいつも通りを気取って言葉を投げれば、ディーノがいつもの様にハンと鼻で笑って言葉を返してくる。
そのまま、雪菜では届かないだろう棚の一番端に置いてあったライトブルーの陶器に入った香水の瓶を取り上げたディーノは、軽くそれに鼻を近づけてからcool、と一言。
やがて彼から差し出されたその瓶を受け取ってから鼻を近づけると、爽やかな香りがふわりと雪菜の鼻をくすぐった。

「それよりお前こそ、俺とここでデートなんてしてていいのか?」
「ま、別に、ディーノだし」
「あ、そ」

仮に今この場をジャズに見られたとしても、困るのはクリスマスのプレゼントがバレてしまう事ぐらいだろう。
ディーノと雪菜が何かあるなんてジャズが思っている訳がないだろうし、今となってはディーノにだって本命の彼女が居るのだから。
むしろ、その他大勢のディーノと関係をを持った事のある女性に見つかる方が危険だろう、と雪菜は大通りに面した窓ガラスへと視線を投げた。

「……ディーノはさぁ」
「ん?」
「何で今までいろんな人と付き合ってたの?」

行き交う人を窓から眺めながら、雪菜は手の中で香水の瓶を遊ばせながらゆっくりと口を開く。
ここまで彼が変わったのは、勿論噂の初本命の彼女に出会ったせいなのだろう。
その惚気話を聞くのは、少し意地悪なこの質問の後だ、と雪菜は窓をデコレーションしていた雪の模様に指を滑らせた。

「別に、ただの暇つぶしっていうか」
「うわー、酷い言いっぷり」
「仕方ないだろ?ま、目の前に何種類も味が違う食べ物を並べられると、どれも試したくなるってやつだ」
「……ぁ、」
「それに人間の行動なんてパターン化しやすいし……って、雪菜?」

まるで悪びれる様子もなくディーノが言葉を紡いでいる最中に、雪菜が口元に浮かべていた頬がぴくりと強ばる。
ディーノの言葉を聞いていなかった訳ではないし、溜息でもついて嫌味の一つぐらい言ってやろうかとさえ思っていた。
けれども、何気なく見つめていた窓ガラス越しの通りを行き交う一組の男女の姿が雪菜の視線に飛び込んでくると同時に、雪菜の心臓が警鐘を鳴らすようにドクンと音を立てた。

「……暇つぶ、し?」

言葉を発するつもりなんて全くなかったのに、ぽろりと溢れるように雪菜の口から音が漏れる。
もしもここに立っていたのがただの人間だったとしたら、間違いなく聞き逃していただろう。
けれども、慌てて口を噤んだ雪菜に違和感を持ったかの様にディーノが一歩雪菜へと近づき、腰を折った。

「なんだよ、ベラ。何か問題でもあるのか?」

あぁ、お願いだから今だけは話しかけないで……なんていう願いは、ついに雪菜の喉で押し潰されてしまい、代わりにヒュっと空気だけがかろうじて喉から音を出す。
手にした香水の瓶をぎゅっと縋るように握り締めながら、突然に態度が豹変した雪菜に、ディーノは訝しげに彼女の視線の先を追いかけ……雪菜と同じ様に喉から空気を僅かに漏らした。

「……ジャズ?」

雪菜の瞳に飛び込んできたのは、バイザーを額にあげた、見慣れた銀髪の男の姿であり、ディーノからすれば、ブレインサーキットが壊れでもしない限り間違う事のない仲間の姿。
それだけなら良かったのだが、その隣を楽しそうに歩いていたブロンドの女性の姿に、数秒の沈黙が二人の間を流れ……ついに掠れた声が雪菜の喉から絞り出されて暫く。


"stronzo!”というディーノの唸る声が、低く聞こえた気がした。




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oops!