TF | ナノ
 


Pupil battle -4-





「お先に失礼します」

肩に鞄をかけながら、雪菜は椅子から立ち上がった。
定時というしっかりとした取り決めはNESTにはないが、それでも7時を回った今となると人数も少しずつ減りつつある。
失礼、といっても基地内にある寮へと戻るだけであるので実際はすぐに戻れるのだが。

「今日ももう戻るのか?」
「あ、すいません。何かありましたか?別に急いではないんですが、」
「いや、いつもなら"先生"のところに行くのに最近はどうなのかと思って」

"他意はないぞ"と言葉を付け加えたレノックスに、雪菜は鞄を肩に抱え直しながら苦笑をレノックスへと向けた。
確かに、今まではここでの仕事が終わるとリペアルームに直行して遅くまで研究に没頭していた。
けれど、あの日以来雪菜がリペアルームに行く回数がぐんと減ってしまったのは――ジョルトの存在があるからだ。
研究以外に使う資料や、何か渡すものが雪菜の手に転がり込んできた時はいつも必ずジョルトが執務室を訪れる。
いったいどこで情報を手に入れたのだと言わんばかりのタイミングで現れる彼に、今日の午前中もラチェットへと渡す資料を手渡した所だ。

「ちょと研究にも一段落がついたんで。ゆっくりしようかと思ってるところなんです」
「まぁ前までのお前が熱中しすぎてたぐらいだからな。いつぶっ倒れるかと思ったぞ」
「そんな弱くないですよ」

はは、と笑うレノックスに肩を竦めてみせると、彼はちらりと雪菜に視線を上げてから再び手元の書類に視線を落とした。
脳裏に過る、あの時の前任者の男の言葉。
彼等オートボット擁護派がいれば、そうでもない人も存在するとあの時確かに雪菜に告げた。
その言葉について深く追求はしなかったが、と、事実を知っているであろうレノックスに雪菜は口を開きかけて――溜め息とともに言葉を飲み込んだ。
もしも仮にそういう存在が居たとして、その事実を知っても自分は何も動けない。
レノックスのような地位に居る訳でもないし、新米の自分には何もできないのだから、と胸中を燻る複雑な思惑に雪菜が軽く頭を振ってすぐに、シャシャっとレノックスがリズムよくサインを書き終える音が響いた。

「よし、間に合った。帰るところ悪いんだが、リペア資材が入ったから届けておいてくれないか」
「はい、それぐらい構いませんよ」

ピラっと勢い良く机の上から書類を持ち上げたレノックスの手から書類を受け取る。
何てことはない、見慣れたデリバリー表のそれを見下ろしながら雪菜はいつものように机の上の電話を手にとった。
"悪いな"とレノックスが告げるジェスチャーをするののに軽く頭を頷かせながら、内線番号表の下に並ぶ個別名のからいつもの彼の名前を指で辿りながら探す。
すぐに見つかった彼の横にある内線番号を押すや否や繋がった回線に最初は驚きもあったが今や慣れたものだ、と受話器に向かって口を開いた。

「ハローアイアンハイド」
『どうした?』
「資材が届いたから手伝ってもらいたいんだけど」
『構わない、いつものところで良いか?』
「うん、私もすぐ降りるわ」

電話にあっという間に出たアイアンハイドもまた、雪菜から告げられる内容には慣れたものという様子で、すぐにギギギ、とビークルモードへと変わる音が聞こえてくる。
そういえば以前、電話をして30分程して資材倉庫へ降りると"遅い"と怒られた事があったか、と雪菜は手元のデリバリー表を見ながら執務室を足早に後にした。

「間に合った」

執務室から資材倉庫まで普通に歩いて15分、小走りでいけば10分弱といったところか。
辿り着いた頃には少し息があがってしまったが、丁度雪菜の到着と同じくらいに現れた黒いトップキックの姿に胸を一つ撫で下ろした。
彼に片手で挨拶をすると、カチカチとライトが数回点灯されるのを横目に感じつつ、雪菜は目の前に置かれた資材に間違いがないかを早々に確認し終えてからアイアンハイドを振り返った。

「ごめんね、待たせて」
『いや、いい。これで全部か?』
「うん、今クレーン動かすね。持てる?」
『当たり前だ』

ふん、と低く笑ったトップキックに、雪菜もまた笑いながらクレーンのフックを一番大きい木箱へとかける。
使い始めは四苦八苦したそれも、慣れてくるとUFOキャッチャーのようなもの。
並ぶ木箱とダンボ―ルをトップキックの荷台に乗せ終わると、雪菜は手にしていたデリバリー表を二つ折りにしながら一番軽い段ボールを抱えながら助手席へと乗り込んだ。

『今日はもう戻るのか?』
「その予定だけど、どうして?何かあった?」
『最近ラチェットの所に夜遅くまで居ないからどうしたものかと』
「貴方まで?別に理由なんてないわよ、ただ研究が落ち着いたからゆっくりしてるだけよ」

ガタガタと揺れる荷台からの振動を感じながらゆっくりと瞳を閉じる。
先程レノックスに言われたのと全く同じ内容を問いかけてくるのはさすが彼の相棒と言うべきか、それとも余程自分の行動が”おかしい"のか。
実際、研究が落ち着いたなんて雪菜にしてみれば言い訳でしかないのだけれど、と胸中で溜め息を静かに漏らしてから瞳を開くと、遠くに見えた格納庫の前に見慣れたカラーが飛び込んできた。

『そうか、それなら良いんだが……ジョルトと何かあったのか?』
「ないわよ、むしろこっちの仕事も手伝ってくれて本当に大助かりしてるんだから」
『ならいいが。あいつは少し熱狂的な所があるから、』

その姿に雪菜が目を細めるや否や響いてきたアイアンハイドの言葉に、思わず雪菜が吹き出すように笑みを零した。
言葉は少し違えど、確かに雪菜が感じていたのに遠からずといったところだろうか。
ジョルトが師と仰ぐラチェットに対して"そう"なのはここ数日の彼を見ていると大方理解は出来た。
勿論それを疎ましく思う事も、妬ましく思う事も雪菜には一切なかったのだが。

『何だ?』
「ううん、何でもない。ねぇ、あそこ。先生が立ってるね、何か待ってるのかしら」
『あいつは今サイドスワイプの修理中だ』
「あぁ、じゃあこのケーブルか」

膝に抱え込んでいた箱を開きながら、パッケージされている様々なケーブルの中から彼に使うであろうそれを一袋取り出す。
あれ程大事に使えといったのに、と雪菜がぼやくように呟くと、アイアンハイドからもくつくつと低い笑い声を漏らす音がカーステレオから響いてきた。

『いっそ発注しなければ、あいつも懲りるんじゃないか』
「それか、彼の師匠がもう少し手加減できればいいんだけど」
『敵は手加減なんてしないぞ』

きっぱりと述べたアイアンハイドに雪菜は小さく息を漏らして軽くシートを撫でながら宙を仰いだ。
確かに"敵"は容赦はしないだろうし、気の緩みが死に繋がる事もあるだろう――が。
明らかに他のオートボット達に群を抜いて要リペアなサイドスワイプの大半の原因はこの師匠であるアイアンハイドなのだから少しは自重してもらいたいものだ。
そんな事を笑いながら告げれば、"意識する"なんて協力的な発言は聞こえてきたがこの話をするのは何度目か、と雪菜はゆっくりとブレーキをかけたトップキックかの助手席からぴょん、と飛び降りながらこちらを見下ろしてガシャンとカメラアイの音を立てたラチェットを見上げた。

「こんばんわ、先生。待っていたのはこれですか?」
『こんばんわ、雪菜君。さすが分かってるね』
「アイアンハイドが教えてくれたんです、サイドスワイプを修理中だって。だけどわざわざ出てこなくても良かったのに、どうしたんです?」
『なぁに、ちょっとサイドスワイプが五月蝿いから静かな所でゆっくりしたくてね』

はは、と笑いながら雪菜が差し出したケーブルを受け取るラチェットに、雪菜は目を瞬かせてから苦笑を浮かべた。
サイドスワイプがリペア中に五月蝿いのは雪菜もよく知っている。
何度発声回路を切ってしても暴れるその様子に、ラチェットも雪菜も毎回どれ程苦労しているか。
それ程暴れる彼をリペアルームに放置して"ゆっくり"しているのだ、恐らく――リペアルームで悲惨な状態で放置されているであろうサイドスワイプに雪菜は少しだけ同情をかけた、とほぼ同時だろうか。
車のブレーキ音、ついでガシャガシャとロボットモードへと騒がしく立った音に雪菜が顔を上げるとそこにはジョルトの姿。
余程急いできたのだろうか、少し焦げ付いた地面をちらりと見てから雪菜はジョルトに挨拶の声をかけようとして――

『先生!』
『おやジョルト、どうしたんだい?』
『どうしたもこうしたもないですよ!何勝手に受け取ってるんですか!』

全くこちらに気付かないようにガシャガシャとラチェットに詰め寄るジョルトに、アイアンハイドはトップキックから排気を漏らし、雪菜もまた苦笑を漏らした。
そうか、とジョルトを落ち着かせるようにガシャンと音を立てて肩に手を追いているラチェットもまた、背後から白い排気を微かに漏らしている。
確かに少し"熱狂的"というのは強ち間違ってはいないだろうが、

『ちゃんとスキャンしてから受け取って下さい』

まったく、と小言を呟きながらカメラアイを数回鳴らして独特の音を鳴らしたジョルトを見上げながら、雪菜はそっと視線を逸らす。
目に入る格納庫の中にはソルスティスの姿は無い、そういえば今日は外に出ると言っていたか、何て思いながら雪菜は手に降ろしていた鞄を肩にかけた。

「じゃあ、私は戻りますね。ハイド、悪いけど後は入れておいてくれる?スキャンも忘れないでね」
『寄っていかないのかい?』
『先生!』

ぺこり、と頭を下げた雪菜にかかるラチェットからの声に――被せられる声に雪菜はすぐに首を横に振った。
まるで何かを訴える様な彼にラチェットが更に落ち着かせるように一度だけ彼の名前を呼ぶと、ジョルトはギチと音をたてて分かり易い黒い排気を一つ。
その姿はまるで親に我が儘を言うかのようで、バンブルビーとどちらが大人だろうかなんて考えながら雪菜は二人を見上げた。

「せっかくですが、今日はやらないといけない事があるんで。それに、サイドスワイプの修理は私には勤まりませんから」

残念そうに肩を落としてみると、ラチェットからは暫くして"そうか"と一言落ちてくる。
では、と告げた言葉に"送っていこうか"なんて提案するラチェットの背後から聞こえる恐ろしいギチギチとした音には雪菜も苦笑を浮かべて首を横に振るしかない。
ラチェットも気付いているのだろう、金属表情を困るように歪めたラチェットに、雪菜もまたこくりと小さく頷いて寮へとのんびりと歩き出した。

考えれば長い間ラチェットを師として仰いで傍に居たのだ。
ほんの数ヶ月やそこらの期間に現れた自分を大好きな師が気にかけるのは――気に入らないのだろう、それは雪菜にも理解できる。
だけど、と、ジョルトが先述べた言葉に雪菜は溜め息まじりですっかり落ちた空を見上げた。

「どうしようかなぁ」

ちゃんとスキャンしろ、と彼は言った。
恐らく人間が作っものが、そして人間の事が信用できないのだろう、それは地球に来たばかりのせいか、それともあの時の言葉を聞いていたせいか。
逃げたいか、と以前ジャズから問われた時に自身満々に首を振ったの自分はどこにいってしまったのか、すっかりと弱ってしまっている自分の心に雪菜は月も星も見えないどんよりとした空を見上げながら寮までの道を歩き続けた。




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