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Pupil battle -3-





手にした書類はびっちりとアルファベットが埋まっている。
見てるだけで眩暈がしてきそうなそれに目を凝らして文字列を追いかけていると、ふと角を曲がると同時に襲った強い衝撃に雪菜は顔を顰めた。

「痛、った……、ご、ごめんなさい」
「いや、こちらこ……、」

何とか書類と床にぶちまける事は防いで慌てて頭を下げようとすると、視界に飛び込んできた軍服に白衣を纏った男に雪菜は咄嗟に頬に力が入ってしまったのはその男が酷く見覚えのある人物だから。
何人か知る中で、雪菜が認識している中で一番自分に対して敵意を剥き出しにしいる――今の雪菜のポジションの前任者の一人。
彼の名前も、所属も、後から来た雪菜は何一つ知らないとはいえ、普段格納庫で見る人物ではないその姿に雪菜が訝しげに視線を送ると、男はにやりと口元を歪めた。

「勉強熱心だな、新しいお世話係サンは」
「、」
「俺も女だったら、枕営業なんてできたんだがな」

嘲笑を一つもらして男は白衣のポケットに手を入れる。
何が出てくる訳でもないのにびくりと雪菜が身体を竦めると、さらに皮肉を投げた男に雪菜は瞳を細めた。
アメリカという土地で生活して行く上で日本人だからと差別を受ける事、また理系の分野を学ぶ事で女のくせにと偏見の目で見られる事は確かに今まで何度もあった。
勿論そんな事に一つ一つ相手をしていく時間の方が勿体無い、と明らかに挑発を交えた男の言葉に雪菜はただ感情を押さえ込むように静かに息を漏らした。

「そうだよなぁ、じゃなきゃ技術も到底無いくせにエイリアンのお世話係なんて抜擢されるわけないもんな?」

そう告げられた男の言葉に、雪菜は以前ジャズから聞かされた、このポジションに雪菜が任命された理由とやらを思い出す。
彼等のオートボット達に対する接し方に不満が募っていた、とあの時ジャズはぼやいていた。
確かに目の前の男とは今初めて言葉を交わしたとはいえ、彼の行動に雪菜は十分に不快感を感じて男を睨み上げた。

「大変だよな、ラチェットも。お前みたいに役に立たないヤツが傍にいると」

まるで雪菜の様子等最初から気に求めていないように男が皮肉な笑みを浮かべると同時に、雪菜は胸の前で抱えていた資料を握る手に力を込めた。
反論したくても、反論できない。
確かにラチェットからは少し前に、2.7人前か、なんて言われた言葉を思いだし――それでもラチェットは気にするなと言ってはくれたが――口を噤んだ。
今はまだ、彼を、彼等を見返せるだけの力は自分にはないのだから、何を言っても結局は相手の耳には屁理屈にしか聞こえないに決まっている。
悔しいけれども今は黙っているしかない、と早々にこの場を切り上げて男の隣を通り過ぎた矢先に男の"そうだ、"という声が雪菜の背後に聞こえてきた。

「知らねぇようなら、教えといてやる」

何を、と足を止めてちらりと雪菜が後ろを振り返ると、相変わらずの笑みを浮かべていた男は一つ、愉しそうに目を細める。
カツン、カツン、と一歩ずつ足を雪菜へと寄せた男を精一杯睨みつけてみても、男はそんな雪菜に何一つ臆する様子は見せずに顔を寄せ――一言。

「あいつらを擁護するやつもいれば――そうでないやつらもいるんだよ、ここには」

ぼそりと低く告げられたそれは、ヤケにクリアに雪菜の耳に届く。
もはや自然と眉間に寄ってしまった皺なんて隠す事も無く、雪菜は相変わらず男を睨みつけたまま口をゆっくりと開いた。

「どういう、事ですか?」
「せいぜい、リペアの技術でもあげておくんだな。頼れる"ラチェット先生"が居なくなっても困らねぇようにな?」

ようやく紡いだ言葉は自分でも驚くぐらい少しだけ震えを帯びている。
そんな雪菜の反応をまるで楽しむように男が低く笑う音に嫌悪を示すように雪菜が更に問いつめようとした矢先、静かだった廊下に突然ガシャリと大きな音が響いた。
まるで二人に気付かせるようなその音に雪菜が音のした方向を振り向くとそこには一体の青いロボット。
先程までリペアルームに居たジョルトがバチリなんていう音を身体から出しながら、ボディーカラーと同じ色のカメラアイをカシャリと瞬かせた。

『ここに居ましたか』

ガシャン、と一歩また音を立てて足を踏み出した大きな存在に、男は露骨に顔を顰めてから舌打ちを一つ。
所謂"余計な邪魔が入った"とでも言うかのように男はすぐに雪菜から身体を敷きそしてくるりと雪菜に背を向けて歩き始める。
待って、とその背中を追いかけようとしたが半ば逃げるようにすぐに角を曲がってしまった男に、雪菜はすぐ後ろに聞こえた機械音を振り返った先のジョルトに苦笑を浮かべてみせた。

「……ありがとう、ごめんね」
『これを先生から渡すように言われただけですから』

下に伸ばされた彼の金属でできた手からそれを背伸びして受け取れば、確かに先程ラチェットから貰った資料の一部。
渡し忘れか、と書類を受け取りながらジョルトを見上げると、そのカメラアイは雪菜を見下ろしながらどこか"複雑そう"に揺れているように見える。
そんな彼を見返して、軽く首を傾げてみればジョルトは少し言い淀んだ後にそれでも、言いづらそうに発声回路を開いた。

『あの人は?』
「私の……前に、先生のもとで働いてた人だよ」
『あんな考えの人が先生の傍に居たんですか』

"あんな考え"と言うあたり、恐らくジョルトは今のやり取りを耳にしていたのだろう。
地球に来たばかりなのに早々に、と雪菜でさえも知らなかった事実に何言かフォローを入れようとしてみると、ジョルトからギチと音が聞こえてくると同時に"雪菜さん"と先に声をかけられた。

『今後このような事がないようにできれば一切のリペアに関する仕事は僕に任せてもらえませんか』
「え、でも、」
『僕の方が長い間リペアに携わってきましたし、効率もいい筈です』
「だけど、」
『貴女のお仕事はリペアに重きを置いたものではないですよね?その他にもやる事がありますよね?』

何か雪菜が口を開けばすぐに被されるように振ってくるジョルトの言葉。
呆気にとられて目を瞬かせる事しかできずにいると、やがて言いたい事が終わったとでも言うようにジョルトが少し傾けていた身体を元の位置に戻した。

『僕はもう長い間先生の助手をしていましたから』

"では"とそれでも礼儀正しく雪菜へと頭を下げてその場を戻って行ったジョルトの後ろ姿をただただ見つめて、雪菜は顔を歪めた。
聞いたばかりの男からの中傷めいた言葉に加えて、ジョルトの今の言葉。
先程の男も、そしてジョルトの姿も見えなくなってからようやく熱くなってきた目頭に、雪菜は唇を噛んで震える息を漏らした。

ぐっと顔に力を込めて押さえ込みながら、ジョルトからもらった書類を覗き込む。
渡された書類をぼんやりと眺めてみても、頭には何一つ情報は入ってこない。
これぐらい分からなくてどうする、といつもなら躍起になって取りかかるそれにも、ジョルトの言葉が頭に過ってしまう。
助手だ、とはっきりと述べたジョルトの言葉を反芻しながら、じゃあ自分は?と自身に問いかけて。
まるで何一つ答えれない今の状態に、雪菜は目頭を思い切り擦り上げた。




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