TF | ナノ
 



Pupil battle -2-





キュルキュルと聞きなれた音、そしてその"エンジン音"が少しばかり苛立ってるのを感じて雪菜は進めていた足を緩めた。
未だ足音で誰かまでは判断する事はできないが、廊下を滑る音が響くといえば音の主は一人しか居ない。
やがて近づいてきた音に首をあげると、角から現われたのはやはりシルバーのボディ。

「やっぱり……サイドスワイプかぁ」
『うわ、何だよそのがっかりした感じ』
「別にー……ジャズなら良かったのに」

はぁ、とわざとらしく溜息をついてみれば、サイドスワイプもまた雪菜の言葉に不満そうに排気を背後から漏らす。
パシュンと漏れた排気ガスを避けるように屈みこんでみれば、ふと彼のご自慢の足元が雪菜の目に飛び込んできた。

「あれ?タイヤ交換したの?」
『俺はまだいいって言ったんだけど、ジョルトのやつ……俺の手足拘束しやがって……』
「拘束?あ……ジョルトがしたんだ?」
『ラチェットといい、ジョルトといい……もっとまともな医者はここに居ねーのかよ、ったく』
「サイドスワイプがもう少し大人しかったら全て上手く行くと思うんだけどねぇ」

目の前で"だってリペア嫌いだし"なんて漏らすサイドスワイプに、雪菜はやれやれと肩を落とした。
サイドスワイプがリペアルームで拘束されるのはいつもの事だ――タイヤ交換でさえもジャズやアイアンハイドに取り押さえてもらわないとままならないのだから。
人間で言う病院嫌いというものなのだろうが、それでも彼のリペアには他のオートノット以上に手を焼かされているのは周知の事実だ。

『だいたい俺らには自己修復機能がついてんだよ。いちいちリペアなんてしてられっかよ』
「そう言いはって1週間パンクしたままのタイヤで過ごしたのは誰だっけ、結局開いた穴は塞がらなかったわよね?」
『うるせぇっ、とにかくだな!俺はもうタイヤ交換したからな!来週のはなしだからな!』
「はいはい、来週までにパンクさせないでね」

ギュイと一際大きなエンジン音を掻き鳴らしたかと思えば、格納庫内だというのに猛スピードを告げる音。
瞬く間にいなくなったサイドスワイプを見送っていると――遠くの方に聞こえてくる怒鳴り声と酷い金属がぶつかる音に雪菜は思わず頭を低く下げてしまった。
"室内では走るなと言っているだろうっ!!"と、聴き慣れた低い怒鳴り声は彼の師であるアイアンハイドのもの。
次いで遠くに響く情けないサイドスワイプの声色にはやはり戦闘狂と言われていようが師には敵わないのか、と雪菜は苦笑を浮かべながらリペアルームの扉を開いた。

「う、わぉ」
『お、っと……こんにちは、雪菜さん。先程振りです』
「……ってことは、ジョルトなのね。ああ、髪の色はそのボディーの色だったのね、綺麗ね」
『……ありがとうございます』

リペアルームに入るや否や飛び込んできた青く光るボディー。
オートボットの中で目立つ色をしているといえば黄色いバンブルビーに黄緑のラチェットぐらいで、その落ち着いた深みのある青い色はオプティマスのものとはまた違ったオーラを醸し出しており、雪菜はその姿を見上げてニコリと微笑んで見せた。
聞こえてくる声も、その丁寧な仕草も。
先程ヒューマンモードで出会った彼、ジョルトに違いないのだろう。
そうしてジョルトを見上げていると、このリペアルームの主であり雪菜が"先生"と呼ぶ人物であるラチェットがひょこりと顔を覗かせた。

『どうしたんだい、雪菜君』
「ああ、先生。さっきジョルトに持って行ってもらった書類なんですけど、一部ちょっと聞きたい事が……、」
『そういうと思ったから、……ほら、丁度今データをアウトプットしておいたよ』

ガガ、と響いてくるのは人間が使うプリンターの音。
機械生命体が使うにしては恐ろしくサイズ違いなそれから器用に紙を取り上げたラチェットは、雪菜に見せるようにひらひらとそれを翳して見せた。

「さすがです」
『勉強熱心な君に"先生"と呼ばれるからにはこれぐらい分かっておかないといけないだろう?』

くすりと金属パーツを器用に歪めて排気を笑みのように漏らしたラチェットに、雪菜もまた口元に手をあてて笑みを零した。
そしてそのまま少し離れたところにいるラチェットを見上げ、そして雪菜はその手前、自分のすぐ前に居るジョルトを見上げながらその足をこつんと叩く。
途端にびくりと揺れた金属のボディーにうっかり踏まれそうにならないように細心の注意を払いながら、いつもならすぐに降ってくるそれを待ったが――一向に気配がない。
言われてみれば当たり前のようになってはいるが、着たばかりの彼には"それ"が何を意味しているのか分からなくて当たり前だ、と雪菜は口を開いた。

「あ、あの、ジョルト?」
『何ですか?』
「ごめんなさい、ちょっと手の平に乗せて貰えるかしら?」

いつもなら、こつんと叩けばすぐに手が振ってくる。
別にそれがルールだという訳でもないし、たまたま"持ち上げて"の合図に雪菜がジャズにやっていたのを他のオートボット達も見よう見まねでやり始めただけの事。
一瞬の戸惑いは垣間見れたものの、やがて降ってきたジョルトの手の平に雪菜は足を乗せようとして――靴を脱いでその腕に乗りあがった。
別に彼らの手の上に靴を脱いで上がるなんてしなくてもいいのは分かってはいるとはいえ、この礼儀正しいロボットを相手にしているとついつい自分の行いも丁寧になってしまう。
これを気にスリッパでも準備しようか、なんて持ち上がった手の平の中で雪菜が思っていれば、やがて掲げられた視線の先すぐ近くに居たラチェットが低く発声回路を揺らして笑い声を漏らした。

『靴を脱ぐとは珍しい』
「敬意を込めてみました」
『おや、私に敬意はないのかね?』
「靴を脱ぐ暇も与えずに摘み上げるのはどこの誰ですかね?」

掲げ挙げられた目の前に見えたラチェットに悪戯に笑って見せると、ラチェットもまた楽しそうに笑いながら雪菜に今しがたアウトプットしたばかりの書類を手渡した。
ちらりと視線をそれに落としてみると、やはりそれは先程ラチェットにジョルトから手渡してもらった実験データの補足説明。
雪菜が疑問に思って問うてくる事が本当に分かっていたと思うと――自然に込み上げてくるのは嬉しいという感情。
きちんと雪菜の能力や知識を把握した上でこうして補足の書類を出してくれるラチェットには、大学の教授達でさえも顔負けだろう。
つくづくいい"先生"を持った、なんて思いながら雪菜は手元の書類をぱらぱらと捲ってからそれを胸元に抱え込んだ。

「ありがとうございます。じゃあ、ちょっとこれに目を通してからまた来ますね」
『それと、この書類なんだけど上層部のサインが必要なんだ。悪いけれどもらってきてくれるかい?』
『あ、それなら僕が』

もう一枚、とラチェットが別の机の上から持ち上げた綺麗な表紙の書類に雪菜が手を伸ばして受け取ろうとすると、すぐに目の前にそれを遮るジョルトの手が遮ってしまった。
カサと抜き取られてしまった書類に雪菜が思わず"あ、"と声をあげると、頭上からはこちらを見下ろすブルーのカメラアイが少しだけ右に揺れる。
"何か?"と無言でといかけにジョルトのその仕草に雪菜が曖昧な笑みを浮かべ見上げてみると、やがてガシャンと音をたててラチェットがジョルトの右肩に手を置いた。

『ジョルト、こういうのは雪菜君の仕事だから、君にはさっきのサイドスワイプのリペアカルテの準備をしてもらおうか?』
『……はい、先生』

ね、なんてラチェットが珍しく首を軽く傾けたのに促されるように、雪菜の手元に再び振ってきた書類を受け取ってジョルトを見上げてみるが、そのカメラアイはラチェットを見つめたまま。
ちらりと背後を振り返ってみるとギチと聞こえた音に雪菜は首を軽く傾げた。

「えっと、それじゃあ私はこれで。ジョルト、ありがとう」

下ろしてくれない?と頼んでみるとようやくこちらにカメラアイを落としたジョルトが気付いたように手を下へと降ろし始める。
ゆっくりと地に足を再びつけて再度ありがとう、と雪菜がジョルトの手を撫でてみれば彼からもう一度ギチという音が聞こえてきた。
音は酷く控えめで静かではあるけれども、この音は丁度今サイドスワイプから聞こえてきたものと同じではないだろうか。
だとすると何か彼にとって不快だと認識される行為をしてしまったのか、と雪菜がジョルトを暫く見上げていたけれども彼はこちらをチラリと見下ろして"何ですか?"と一言。
その言葉に雪菜は首を横に二度ほど振ってから、ラチェットとジョルトに別れを告げてからリペアルームの扉に手をかけて部屋を出ていった。
――まだジョルトのことは良く分からないが故に、後で以前ラチェットから渡されていた彼のデータをもう一度見直してこよう、と思いながら。


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『おっとうっかり』

そんな雪菜の後ろ姿を二人して見送った矢先に、ラチェットから一際大きな排気がパスンと音を立てて漏れる。
それに瞬時に反応したジョルトはブルーのカメラアイをラチェットに向け、そして少しだけ細めてから何かに答えるようにグレーの排気を隠すことなく背後から一つ漏らした。

『これも雪菜君に手渡すんだった』
『……もの凄くわざとらしいですよ、先生』

ここに来るまでに人間の生態データはだいたい調べてインストールしているとはいえ、師であるラチェットが額を叩いて"おっと"なんて言う仕草は人間らしくはあるが胡散臭いことこの上ない。
もう一枚、プリンターから出てきていた書類を手に取ったラチェットは何か言いたそうにジョルトを見つめており、その視線を受けてジョルトはキュルルと控えめに音を漏らしながら頭を小さく揺らした。

『先生……僕は、』
『ジョルト、彼女のところまでこれを持って行ってくれるかい?』

ほら、と渡されたのは人間サイズの小さな紙が一枚。
これが同じ仲間相手だとしたら回路を開いてあっという間にデータを送っておしまいだというのに。
全く持って人間とは面倒だ、とは思うものの師であるラチェットに言われてしまうと断るに断れないのが悲しいところ。
暫くしてから"わかりました"とようやく答えたジョルトに、ラチェットは苦笑に似た笑みを浮かべてから青い弟子の肩をもう一度優しく叩いた。




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