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一日、といってもほぼ半日しか一緒に過ごしてはいない割に、直すべき修正項目はいくつか発見する事が出来、ラチェットからお願いされていた役割も無事全うできたというところか。
そろそろラチェットのもとへ戻ろうと二人して執務室を後にして、夕日が差し込む基地内を歩き始める事数分。
熱心にファイルを覗き込んでいる雪菜をちらりと横目に盗み見てから、ジャズは自分の手元へと視線を落とした。

”冷たいね”なんて笑いながら、それでもしっかりと繋がれている自分の右手。
所謂”恋人繋ぎ”というその手に少し力を込めてみると、弾かれたように雪菜はファイルから視線をあげて照れたように微笑んだ。
そして何か言葉を言うでもなく、ただその手を笑顔とともにきゅ、と握り返して再度ファイルへと視線を落とし始める。
その様子をジャズもまた黙って追いかけてから、そして今度は自分の足下へと視線を落とした。

ロボットモードの時、ビークルモードの時。
レノックスらの居る執務室から格納庫まで10分もあればつく距離を、今は人間の小さな歩幅で歩み進めている。
――人間とはこういう生き物なのか、と改めてジャズはスパークを淡く光らせながら格納庫へと顔をあげた。

まだ少し離れたそこでは、アイアンハイドがサイドスワイプと何やら手合わせをしており、こちらまで大きな地響きやら爆音が響いてきている。
ガシャガシャという金属音、そしてモーター音。
つい先ほどまで”あの姿”でいたにも関わらずに懐かしいなんて思ってしまう自分の順応の早さに苦笑しながら、ジャズは風に靡いた前髪をかきあげた。

「お疲れさま、疲れたでしょう?」
「……ん?」
「あとは修正項目見直してようやく完成だよ、楽しみ?」

声をかけられて視線を隣へ戻すと、ファイルを器用に片手で閉じた雪菜がにこりと笑みを浮かべながらジャズを見上げている。
いつもならメートル単位で離れているその顔と顔の距離、今はたったの数十センチ。
手を伸ばせば難なく触れる事ができる距離、傷つける事何一つ恐れずに。

「ジャズ?」

ふと、ジャズは足を止めた。
もしも、このままの姿でずっと居れば”人間”として彼女の隣に寄り添える事ができるのではないか、と。
種族の違うジャズと雪菜が恋人へと関係を変えたのは少し前の話。
お互いに覚悟を決めたうえで付き合ったとはいえ、自分んより小さな体格の彼女にはどれだけ我慢を敷いてきただろうかとジャズはブレインサーキットを緩く動かした。

ロボットの自分では、抱きしめる事もできない、唇に触れる事もできない。
全てこちらから”お願い”をしない限り触れ合う事ができないこの関係に彼女は本当に不満がなかったのだろう。
もしかして、この姿で居続ける事のほうが彼女にとっての幸せに繋がるのではないのだろうか、と。

「どしたの?」

顔を覗き込んでくる雪菜の表情を視界に捉え、そして緩やかにカーブを描いていた彼女の口元にカメラアイの焦点を当てる。

嬉しそうに微笑んでいる、とジャズのカメラアイから伝った情報にブレインサーキットが認識したのを感じて、繋がれている手を見下ろした。

自分が金属生命体であるという事実には生まれて一度も後悔をした事がなかった。
様々な惑星を探索し、様々な種族を目にしてきた、それでも一度たりとも”羨む”事も無く、金属生命体である自分を誇りに思い続けていた。
それがどうだ、数えきれない年月を過ごしてきた自分に初めて訪れるこの感覚にジャズのスパークがギリと戸惑いの音をかき立てているではないか。

「あ、元に戻ったほうが早く格納庫まで着けるよね。戻れる?」

ぱ、と手を離して少し距離を取った雪菜をカメラアイで追いかけると、今度は不思議そうに小首を傾げた小さな彼女の姿。


例え模したものであったとしても、この小さな彼女と同じになれるのなら――

機械生命体への誇りはどうした――でも彼女が望むなら――

彼女が望むのなら――誇りを無くせるのか――本当に?


相反する感覚がいっきにブレインサーキットを駆け巡り、ショートしてしまいそうな程熱を持ち始めたそれにジャズがカシャ、と小さくカメラアイを瞬かせて――雪菜を腕の中に納めた。
ぎゅ、と抱きしめればぴくりと彼女の身体が腕の中で強ばる、それでも1ミリの隙間も無い位に身体を抱きしめるとやがて彼女の腕が自分の背に回され自分を抱き返す。
表面温度の出力異常だと彼女は喚いていたが、ジャズの温度感知には確かに彼女の温かさが伝わってきた。
いつもなら指の一部、足の一部、頬の一部に伝わってくるその熱が、今は身体全身から伝わってくる、その事実がこれ程まで充足感と安心感に繋がるとは。
もしもこの姿で居続ける事を彼女が望んでいるのなら、その時は……その時は?

「なぁ、」
「うん?」
「ずっとこの姿で居た方が……良いか?」

ブレインサーキットでは弾き出されなかった答えにジャズがぽつりと口を開くと、同時にスパークがギュン、と嫌な音を立てたのが分かった。
優秀なブレインサーキットはいつも”正”か”否”かを導きだす、たとえその情報が自分のスパークで感じる取るものとは別のものだったとしても。
そして、今の音は――

「ねえ、ジャズ。私は贅沢だね」
「……ん?」
「だって、ロボットで、車で、それで人間にも慣れちゃう彼氏がいるんだよ?」

くすくす、と笑いながら緩めた腕に雪菜が顔を上げて照れくさそうに笑う。
その言葉の意味が上手く処理切れずに少しだけ腕を緩めて中の様子を伺うと、雪菜の笑顔、そして間もなくして少し困ったように眉を下げた彼女が口を開いた。

「ジャズの考えてる事、何となくだけど分かるよ。こうして同じ目線で触れ合えるっていうのは……うん、確かに嬉しい。だけどね?私は金属生命体である貴方と恋をしてるの、覚えてるでしょ?どれだけ私が”ソレ”から目をそらして逃げてたか」
「……」
「でも結局は、貴方がどんな形をしていても貴方である事には変わりない以上、どんな貴方でも……その、愛してるってのに違い無いワケ。分かる?」

気恥ずかしさからか、コホン、とわざとらしく咳払いをしながら腕の中で笑う雪菜をカメラアイで捉えると、同時にキュルと意識していないのに身体の中から音が響いてくる。
ね?と腕の中からジャズの頬へ手を伸ばした雪菜の温かい体温が頬に伝わり、ジャズはぴくりと頬を歪めた。
もしかしたら人間でいう”泣きそうな顔”をしているのかもしれない、それでも頬を撫でる彼女の笑みは柔らかい。
その瞳はいつも自分を、ロボットの自分を見つめて微笑むそれと何ひとつ変わらない事にどうして気付かなかったのかと不思議に思う程に、ようやくブレインサーキットが処理を告げた。

ああ、やっぱり彼女は――。

「……俺がずっとロボットでも?」
「まさかロボット相手に恋に落ちるなんて……私の広い心に感謝してね?」
「……ずっと車でも?」
「車の中も好きよ?ジャズに全部包まれてるって感じがして」
「ずっと……人間でも?」
「でもロボットと車の貴方を知ってる分、ずっと人間で居られてもなぁ……不便そう」
「……お前って、つくづく楽観的だよな」

何それ、と心外そうに、それでも笑みは絶やさないままの雪菜にジャズは腕の中の愛しい人を再度強く抱きしめた。
彼女ならどんな自分でも受け入れてくれる、今の今まで揺るがない確信があったのに何を不安に思う事があるというのか。
戸惑う事も無く、さも当たり前のように言葉を自分へと投げかける彼女に唇を寄せるとともにスパークの中で小さく謝罪を告げる。
”やっぱり冷たいね”なんて見慣れた笑顔で笑う彼女に、ようやくジャズも自然に漏れ出る笑みを浮かべる事が出来た。

「もう、馬鹿な事にスパーク悩ませてないで、さっさと車に”戻って”ラチェット先生とこ戻ろ?」
「了解、姫君」

名残惜しそうに腕をようやく離すと、雪菜が数歩後ろに下がる。
いつもと何一つ変わらないその姿をカメラアイに、そしてメモリに大切に保存してから車へと姿を変えた。





end.

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