![]() I call it love -6- 背中を押されたものの、入り口までの道のりを中半ばふらつきながらようやく辿り着いた頃には、既に目の前にはシルバーのソルスティスの姿。 それを視界に入れただけでも、すっかり胸が高鳴り涙まで出そうになるのだから不思議なものだ。 だけど、泣くのはまだ早い、と両頬を引き締めてから雪菜は玄関の扉を開けて迷うことなくそのボディーに声をかけた。 『雪菜?』 「……乗せてくれる?いつものとこまで」 『、レノックスは――』 「私が呼んでって、頼んだの」 暫くの沈黙は躊躇いだろうか、やがて”そうか”とエンジン音よりもモーター音を響かせた声が窓から――スピーカー越しに伝わってくる。 程なくして開いた運転席の扉に雪菜は深呼吸を一つ漏らし、そしてシートへと体を滑り込ませた。 壊れそうな程に早い心臓音に彼は気付いているのだろうか、シート越しに伝わっているのだろうか。 そんな心配に更に心がざわついたけれど、それを知ってか知らずか、無言で動き出したジャズは一言も喋ってこない。 「ジャズ、」 『……』 数分の沈黙が続くドライブで着いたいつもの場所で、すぐに扉が開いてゆっくりと車を降りる。 同時に車体が大きく揺れて目の前にトランスフォームしたジャズの姿を見上げて――雪菜は咄嗟に視線を逸らした。 バカだと思う、今までは何ともなかったのに。 ――視線が合うだけでこんなにも緊張してしまうだなんて。 これではまるでジャズを避けているみたいじゃないかと自分意気地の無さを叱咤しながら、雪菜は握り締めていた手に力を込めた。 伝えないといけない言葉がある、貴方に聞いて貰いたい話がある。 「あ、の、」 『っだー、もう、悪い。俺の一言、きっとすげぇ悩ませたよな。ホント、あの時の俺はどうかしてて、』 「ジャ、ズ?」 『だからその、俺もちゃんと分かってるから、ほら、あれはその、言葉のあやというか、なんだ、』 「ジャズ!!」 この沈黙を気まずいと浮け取ったのはジャズも同様で、目の前で――正確には足元で――佇む雪菜を見下ろして猛スピードでブレインサーキットを回転させていた。 何を話せばいい、どうしたらこの空気から逃れられる? 目の前に佇む彼女の表情は思いつめたようで、問わずしもそれが自分の告げてしまった先日の言葉が原因だとブレインサーキットが弾き出す。 言わなければよかったという後悔に、幾度ジャズのスパークが締め付けられた事か。 「……ごめんなさい」 『いや……、俺が変な事言ったのが悪い』 「私、貴方を……すごく、傷つけた」 泣いているのだろうか、肩を震わす雪菜にジャズは立っていた足をその場へと折り込んだ。 座ったとしても自分と彼女の差は大して変わりはしないけれど、ぽたりと雫がコンクリートを色づけた事にいてもたってもいられずに、ジャズはその頬へと手を伸ばした。 一滴、人差し指で拭えればとどんなに渇望しても、自分の――金属でできた指はそれだけで頬全体に触れてしまう。 大切にしたいと思った相手をロクに慰める事もできない、そう思うとサイバトロンきってのプレイボーイだなんて言われてた自分もそろそろ引退かなんて皮肉めきながらも指先に温かい水分を感知した。 『なんで、その、……雪菜が泣いてるんだ?』 「ジャズの事、機械生命体だからってずっとずっと否定してて……」 『否定も何も、当たり前だろ?自分と違うものを受け入れられない事はおかしい事じゃない』 「違う、違うの……。おかしいのは、私で……、ただ機械生命体と人間ってだけなのに、何でこんなに執着して否定してたんだろうって思うと」 ”バカみたい”と呟いた雪菜の言葉に頬に触れていたジャズの手がぴくりと動き始めた。 ゆっくりと離れたその手を視線で追いかけながら、雪菜は陽に照らされる金属のボディを、そしてジャズの顔をまっすぐに見上げた。 見下ろす彼の金属でできた表情は、雪菜の言葉の意味が分からないのか、キュイと音を立てながらも困惑した色を浮かべている。 一度拒絶したのだ、ジャズが戸惑いを見せるのも当然だろうと思えば雪菜の胸が苦しく締め付け視界も歪んだが、言葉を捜している彼が口を開くより先に、雪菜は震える手を握り締めてジャズへと言葉を紡いだ。 「誰よりも、貴方を大切だと思うこの気持ちは嘘でもなんでもないのに」 目を見開く、息を呑む、一体どの反応が自分に起きたのか分らない程にとまってしまった全ての機能。 ついに回しすぎたブレインサーキットにセンサーがエラーを起こしたのかと、すぐにジャズは回路を確認するが――異常はない。 となるとスパークがみせた幻聴だったのだろうか。 けれど、聴覚回路に届いた雪菜の音声を最速で2回再生させて、ありとあらゆる情報を汲み取っても、彼女の言葉から弾き出される答えは出てこない。 いや、一つだけはじき出された答えは確かにあった。 だけどもすぐさまデリートをかけた、まさかそんな訳ある筈がない、と。 『雪菜、?』 「出来ない事もあるし……寿命だって、ジャズに比べると短いし、一瞬かもしれないけど……だけど」 頬からついに離れようとしたジャズの金属の指を、大切な人の指を、雪菜は引きとめた。 こちらを伺いながら忙しなくカシャカシャと音を立てて見下ろすジャズの瞳はバイザー越しにはっきりとは見えないが、その奥の二つのカメラアイがこちらを捉えてる事はバイザーを解かなくても分かる。 まだ間に合うだろうか、まだ彼に言葉は届くだろうかと焦る気持ちに、喉から出そうな嗚咽をぐっと堪えて、雪菜はジャズへを見つめたまま言葉を紡いだ。 「好き、だと思う、貴方の事が。私の傍に、居て欲しいと思う、の」 言葉を告げるや否や、キュインという音がジャズから聞こえてきた。 いつも静かにしていても聞こえてくるモーター音とはまた違う、確実に自分の言葉を捉えたと思われるその音。 シャ、シャと響く音は何をしているのだろうか、処理に時間がかかっているのだろうか。 それとも今告げた言葉はもう手遅れだったのだろうか、と不安に押し寄せるさまざまな感覚に雪菜が不安気に小首を少し傾けたその時。 『マ、マジで?』 普段よりも幾分気が抜けた声。 ドキドキよりもちくちくと締め付ける胸の前で手を握り締めながら、雪菜はガシャンと音をたてたジャズを見つめたまま静かに頷いた。 その瞬間に更に忙しない音をたて始めた金属音、そしてこちらを見下ろすジャズの沈黙はどれだけあっただろうか。 ほんの数十秒の筈なのに、ひどく長く感じるその沈黙に雪菜が堪えきれずに言葉を紡ごうとしたのとほぼ同時に、両手で掴んでいたジャズの指がキシ、と音をたてた。 『俺も、その、雪菜の事が……大切だと、思う』 届いた言葉に、雪菜の瞳からぽろりと両頬を堪えきれなくなった涙が再び堰を切った様に溢れ始める。 そっと背中を押されて足を進めると、ゆっくりと足元が救い上げられて……ジャズの顔の前に寄せられた。 近くで見れば薄らとバイザー越しに2つのカメラアイと確かに視線が重なる、たったそれだけなのに更に溢れ出した涙に、ジャズが困った様に片指をそっと曲げて雪菜の頬へと触れ始める。 冷たい、だけど温かいその指先に雪菜は頬を寄せてその指へと両手を回した。 『俺は、機械生命体だからきっと雪菜に我慢させる事……あると思う』 「そ、なこと、」 『だけど、機械生命体だからとか、寿命がどうとか……そんな事より、俺もお前が大切だって、思う』 「ジャ、ズ……、」 『だから、俺も、傍に居させてくれないか』 これ以上大粒の涙なんて出ないと思うぐらいにわっと溢れ出した涙に雪菜が顔を両手で隠せば、ふ、と笑う音と共にでジャズが雪菜の頭を撫で始める。 初めて会った時に交わしたスキンシップとは比べ物にならない程に、そっと触れてくるジャズの指先の動き一つにすら感じる愛しさ。 何か言葉にしたくても、嗚咽が邪魔をして言葉が出てこない。 それでも優しく頬をくすぐるジャズに雪菜は言葉の変わりに大きく頷いてその指先に抱きついた。 「明日からは……ベーグル、お願いします」 『どーすっかなぁ、ここ数日フラれてたしなー』 「だ、って……。ごめんなさい」 拭われた涙に笑みを漏らして雪菜は顔を隠す様にジャズの指先に隠れ、すぐ目の前にある愛しい人の指に謝罪の意を込めて――唇を寄せた。 見えないだろう、気付かないだろうと思われたそれは、途端にぴくりと大きく跳ねた指が否定を物語っている。 そういえば感覚センサーは人間よりも優れていたか、とようやくいつもの思考回路に戻りつつある頭で雪菜がそれでも唇を寄せ続けてみれば、頭上から”お、あ、いや、その”というひどく狼狽した彼の声が降ってきた。 「だめ……?」 『いや、駄目とかじゃなくて、おま、』 「ずっと触ってなかったから……触りたくて」 『いや、でも、……ぎぶ、たんま、ちょ、雪菜!ステイ!』 人間のようなキスを交わす事は不可能だけれども、照れ屋の自分にとってみればこっちのほうが助かるかもしれない、なんてジャズの狼狽する声を聞きながら寄せ続けた唇に、ついにジャズがら悲鳴に近い声と共に反対側の指で背をひっぱられてしまった。 それでも優しく背中に支えられるその指に雪菜がまだ濡れている頬を手で拭いながらジャズを見上げると、完全にこちらを見ようとしないジャズの姿。 「嫌、だった?」 『……そう、じゃ、なくてよ、』 「じゃあ、どうして?」 好きな人に触れたいと思うのは駄目なこと?と指に手を伸ばしてみれば。 歯切れの悪い恋人は、キュインと音を鳴らしながら雪菜の触れた指先を避ける様にひょいと動かして――ボソリと一言。 『……俺にだって照れってもんがあるんだって』 たかが指先へのキス、されど指先へのキス。 図体の大きい機械生命体が―−自分の彼氏が照れて動揺しているその姿に、雪菜は久し振りに声を上げて笑った。 end. **** >>back |