(2)二人目 ジキル


血が流れる。力が抜ける。脳裏に浮かぶイメージは一つ。
「ワシが負ける…?」
寒い。寒い。恐ろしい。
「アサシン!」
背後に忍び寄る死神を直視できない。必死に叫ぶ声に手を伸ばし、届く前に光と消えた。
「嫌じゃ、死とうない……!」



「――あ、起きた? いやー、負けちゃったねー! 無敵貫通宝具には気をつけたほうがいいよ、キミ!」
声をかけてきたのは、万能の天才を自称する女だった。スタッフが右に左に走り回っている。意味のわからない文字の羅列が浮き出る光の板を操作し、顔見知りの英雄たちがああだのこうだの喋っている。見慣れた光景。いつもの風景。へいわ、だった。
両手を握っては開き、感触を確かめた。
「……生きちょる」
びっくりした。





「ええ、わかります……死にたくありませんよね……」
「なんじゃ、おまん」
初めてレイシフト先で消滅した夜。なんとなく気まずくて一人ですごす以蔵に話しかける異国の女がいた。分かったような言い方が気に触り、殺気混じりに刀に手をかける。女は地面に頭を擦り付けた。所要時間コンマ以下の見事な土下座だった。
「……なんじゃ、おまん」
 一度目とは違い、呆れた声だった。

「あはは、それは不夜城のキャスターだね」
 以蔵さんが召喚されるちょっと前に来てくれた人なのだと藤丸は説明した。
「彼女は死にたくないって言ってくれる、珍しい人でさ。だから以蔵さんに親近感を覚えたんだと思う」
 死にたくないのは当然だ。それが“めずらしい”と言われてしまうこの空間のほうが狂っている。気に食わないと目を細めた以蔵に何を思ったのか、藤丸は慌てて謝罪した。
「……今日は、ごめん。オレが指示を間違えちゃったせいで」
「図に乗るなや。こと戦闘において、おまんがっ、できるっ、ことなんぞっ! これっぽっちもないぜよ!」
 額を小突きながら言ってやれば、痛いよと半泣きで講義してくる。叩けば音のなる楽器のようで愉快だ。
「サーヴァントのみんなって不思議でさ。他人の自己犠牲は許さないくせに、自分は死人だからとかサーヴァントだからって言って平気で特攻しちゃうんだ。オレはそれが嫌で、でもそうしないと人理は修復できなかった」
「ふん、他の奴らがどうがは知らんが、わしは死にとうないぞ。おまんもよう覚えちょけ」
「そう、言ってくれるから。アサシンといるとホッとする。……あっ、でも! 死にたくないからって世界を滅ぼそうとかしないでね!」
「なんじゃそりゃ」
「不夜城のキャスターという前例が」
「あの女なにしちゅうがか!?」
 まともな奴もいるものだと思っていたが前言撤回だ。以蔵は不夜城のキャスターを脳内のカルデア=ヤベエヤツ=リストに追加した。
「ははは、そういうとこだよ。アサシンのそういう反応してくれるとこが……オレは……本当に……」
 生きてくれててありがとう。小さな声を以蔵は聞き逃さなかった。

 ああ、こいつは本当にいいやつだ。
 生前ならば見向きもしなかっただろう。そんなちっぽけな子供からの在り方が、こんな人斬りに心底から生きてて良かったと言ってしまう甘さが、どれだけ得難いものなのか。
この子供ならきっと間違えない。たくさんの者に導かれ、正しく生きて行くはずだ。

 ……自分はいったい何がしてやれるだろう。






「失礼しますぅ」
「やあ、話は聞いているよ。僕に会いたかったそうだね。ちょうどよかった、いい茶葉が手に入ったところなんだ」
「……おまんが気に食わん男っちゅうことはわかった」
「ええっ、ひどいなあ」
じきる、とか言う金髪の異人は、事前に連絡のない訪問にも余裕を崩さず以蔵をもてなした。棘のある言葉を向けられても、困ったような表情をするが手を止めることはない。ティーカップを用意する手袋に覆われた指は細く、筋肉は付いているがとても戦う人間だとは思えなかった。
 名前に“切る”と入っているくせに、名前負けをしていた。肩透かしを食らった気分だった。
「御託はええ。おまんに聞きたいことがある」
「僕に答えられることなら、なんでも」
「……聖杯を捧げられたサーヴァントで間違いないがか」
「そうだよ。僕、ヘンリー・ジキルはこのカルデアで最初に聖杯を捧げられたサーヴァントだ」
 最初に捧げられた、という言葉に少し驚いた。なんとなく、最初に捧げられたのはケイカだろうと思っていたのだ。あの女とは盆の夜以来出会えていない。今度会ったときにはこれをネタにからかってやろう。
 聖杯は藤丸が使用権を持っているらしい。戦いが得意ではなさそうなこの男が多くのサーヴァントを差し置いて貴重な聖杯を捧げられているということは、藤丸にとって何らかの『重要な支え』になっているということだ。以蔵はそれが知りたかった。
「理由は」
「憶測になるが構わないかい?」
 ティーカップを差し出される。以蔵は手を付けなかった。
「一つ目の理由は、僕の精神が不安定だからだ」
「……」
「その目、信じていないね。不安定というか……自己制御性が無いんだよ。意図的に精神状態を崩す狂化と違って、精神状態が不安定なのがデフォルトなんだ。普通の召喚なら僕か『彼』かのどちらかに振り切れているものなのだけど。マスターの精神性が今の拮抗状態を作り出している」
 さっぱり意味がわからない。少なくともジキルは冷静に見えたし、わかりやすいようにと工夫する素振りをみせるのに難しい言葉を平気で並べ立てる根性が気に食わなかった。
「善人のくせに平気で悪人をそばに置いて、けれど目の前の悲劇は許容できない。そんな彼の雑味に、キミも心あたりがあるんじゃないかな」
「ふん、あいつは大馬鹿者じゃからの」
「僕は、美点だと思っているけどね。不安定な僕を不安定なままにとどまらせる彼の雑味は、サーヴァントの長期間の顕現を許容するカルデアのシステムとうまく噛み合って、唯一無二の状態を保っている。特別な技能を持たない彼は、偶然とはいえ手に入った特別な縁を大切にする傾向があるからね。そのうちの一つとして他よりも突出した好意を僕に抱いているのは納得のできる道筋だ」
 以蔵はこいつは感情一つ語るのにこんなに理屈っぽい御託を並べなければいけないのかと呆れていたところだった。理由を尋ねられたからわざわざ答えているだけなのだが、そんなことは棚上げしていた。
「ふふ」
「おい、何を笑うた」
「いや、僕の部屋へよくくる客人と似た顔をしていたものだからね。モードレッドという剣士だ。君と気が合うんじゃないかな」
 ……とにかく。
わかったことが一つ。藤丸にとって『特別』は好意を向ける理由になるということだ。以蔵が剣の才能に執着するように、藤丸も特別を求めているということだろう。古今東西の英雄が集う中で自分がそれを与えられる気はしなかったが、なんとなく一歩前進した気がした。
「そしてもう一つの理由。それは僕が終局特異点で最後の戦いに参加したサーヴァントだということ」
「……詳しゅう聞かせとうせ」
「魔術王の戦い。そしてカルデアや千里眼保持者すら観測していない殺し合い。その二つを僕は共にした。間違いなくマスターにとって『特別』になりうる理由だよ」
 戦いではなく殺し合い。藤丸に似つかわしくない言葉に顔をしかめた。ジキルはふと気づいたように補足する。それすらも計算のうちのようでイライラした。
「そうか、君は知らなかったね」
「前置きはええ。早う言え」
「マスターは人間を殺したことがある。僕はそれを見届けた」
「……何?」
 小さくはない衝撃だった。アサシン、と穏やかに呼ぶ声を思い出す。そんな藤丸の手が、すでに血に濡れているのだとどうして予想できようか。
「正しくは人間を殺したと思っている、かな」
「わしは騙されたりするがは許せん。嘘なら……」
「まさか。今までの態度で、君がマスターの身を案じているのは十分わかる。そんな人に嘘をつくメリットが無いだろう」
「その態度が気に食わん」
 刀に手をかけ刃を見せるが、ジキルは動じなかった。そういう脅しはなれていてね――今までの以蔵ならそう言い終える前に切っていた。藤丸の顔を立ててやろうという意思がかろうじてそれを引き止めた。
「帰る」
「そうか。それじゃあ最後に一言だけ」
 ジキルは入り口へ先回り、扉を開けて以蔵を促した。
「君は人斬りと名乗ったね。人斬りができるのは殺戮だけだ。マスターは人を殺したが、あれは殺戮ではない。させてはいけない。僕はそう思っている。君の刀が、彼の為になるよう願っているよ」
 ジキルは最後まで知ったような口ぶりだった。アサシンらしくない、堂々としている知識人。きっとこいつへの苦手意識が消えることはないだろう。
 以蔵は早々にジキルの部屋をあとにした。紅茶に口をつけることはなかった。

 

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