(1)一人目 ケイカ


 以蔵が召喚されたのは二〇一七年の六月だった。

人理保証機関カルデアには古今東西多くの英傑が集っている。成すべきことを成し終えた彼らは、生前の以蔵が見てきた人々と同じ目をしていた。
ああ、あの目だ。遠くを見つめ、悟ったような、下々を下々としてしか見ていない偉そうな顔。平気で世界を語り、世の行く末を自分自身が選べると確信している。ふざけた奴らばっかりだ。
「なんじゃあ、気に食わん。気に食わん」
召喚されて一ヶ月と少し。それが以蔵の口癖だった。いつも何かしらに腹をてていた。マスターとかいう子供に付きまとわれるのもかなわない。都合の良いことに酒を飲む場所には困らなかったので、毎夜食堂に通い、沼に沈むような不快感を振り払うように酔いに浸った。
「うぃー、ひっく。そう荒れるな新入り。喧嘩も殺しもいいが、酒がまずくなるのはごめんだ」
「うげっ」
「あはははは、美女だぞう! 喜べよぉ!」
そう言って肩を抱いてきた女はケイカと名乗った。ここ数日やたらと絡んでくる女だ。ぐいと押し付けられた胸は着物で隠されていたが、好みの大きさのような気がした。けれど以蔵が好きなのは常に三歩後ろを歩く控えめでおしとやかな女だ。大胆な女も好きだが――少なくとも焼酎をラッパ飲みするようなザルは遠慮したい。
「おーい、黙るなよぅ。盆休みは暇で仕方ない。間が持たん。『話の途中で悪いが、ワイバーンだ!』とはならんのだぞ」
「ワイバ……? わしは南蛮語はようわからん。日本の言葉で喋りや」
「あはは、じゃあ狩ろう、すぐ行こう。素材はあればあるほどいい。ワイバーン暗殺し放題だ!」
「おまんもしわいにゃあ!」
 気の強い女も好きだが、人の話を聞かない女は嫌いだ。突っぱねようとしたが、ずっと長くカルデアにいるのだろう英雄は並ではない。最期は抵抗を諦めた。
ケイカはスタッフに顔が利くのか、深夜だというのにレイシフトの許可はおりた。時間が遅いので二度見はされていたが。
 レイシフト先はオルレアンだった。そこにいた敵の姿に以蔵は目を疑った。
「ッ、ば、バケモンじゃぁあ!?」
召喚されてから戦うのは初めてではない。しかし今までの相手は西洋の騎士や動く死体ばかりで、羽の生えた自分よりも大きいトカゲなど見たことなかったのだ。
 一歩下がった己に対し、ケイカは迷わず一歩進んだ。
「さあ、死にたい者から来るがいい」
 ――綺麗だ、と思った。
 月夜に飛ぶ血など見慣れていたはずなのに。異形の群れをすり抜け、飛び、跳ね、切り落とす無音の極技。唾を飲み込む。刀を構えたのはほとんど無意識だった。
「はは、ははははははは! わしを見ろぉ!」
 召喚後に覚えた縮地で、ワイバーンの群れに飛び込んだ。
 一匹目。羽を根本から削ぎ落とす。切り込む角度が少し甘かった。女の持つドスと己の刀では勝手が違う。修正しなければ。
 二匹目。目を潰す。わかりやすい急所だ。こんなものかと口角が上がる。
 三匹目。――もはやおくれを取ることはない。
 十分足らずで広場は静けさを取り戻した。 
「さて」
 最後の金属音は刃物と刃物のぶつかる音だった。以蔵の刀は、ケイカの首を切断することなく受け止められていた。
「こんな短い獲物でようやる」
「まさか。髪が数本切れてしまった。血気盛んな小僧め。どうしてくれる」
「ほざけ。女のくせに怪力じゃあ」
「んー? まあ、戦わない人間よりは力は強いだろうがなあ」
 一歩後退、体を半分ひねる。四足歩行の獣のような低さから飛ぶ攻撃は未知の武術だったが、――その動きはもう見た。
 以蔵の刀が、ケイカの左の太腿を大きく割いた。
「ははは、わしの勝ちじゃあ!」
「そうだな。君は強い。これなら安心だ」
「……お前、何を笑うた?」
 このときの以蔵は完全にレイシフトの仕組みやサーヴァントの特性を忘れていた。ゆらりと向けた剣先は、命を絶つためのものだ。
 腹立たしい。ワイバーンを切り捨てたときの熱とは種類の違うくすぶりが胃に溜まる。どうして自分に負けた女が、自分よりも剣の才能が無い奴が、悟ったような目で遠くを見ているのか。以蔵のすべてを見透かしたようなふりをして。こいつもいつか、自分をおいていってしまうのだろう。ならばいっそ。
「んんー? 浮かない顔をして」
「おまんのような頭のええお偉方にはわからんぜよ」
「私とて生前はろくでなしさ」
うそつけ、と思ったが黙っていた。お前のような目をする人間がろくでなしなら、自分は何になってしまうのか。言ったところで言いくるめられそうな余裕があるのが余計に腹がたつ。
「だが、マスターだけは違う」
 マスター。以蔵をカルデアに呼び寄せた青い瞳の少年。
「あれは綺麗なものだ。私のようなろくでなしではない。信念も志もカリスマもない、あるのはこの現代で誰もが持てる程度の意地と良心だけ――だから、君が必要だ」
「なんでわしが」
「君はマスターに懐かれているだろう」
 アサシン、と呼ぶ声はすぐに思い出せた。召喚直後から馴れ馴れしく、しかしどこか人斬りへの怯えを隠せなかった子供。だというのに、昨日から妙にちょろちょろと付きまとわれていた。
「一方的に付きまとわれちょるだけぜよ。意味がわからんにゃあ」
「単純な理由さ」
「おまん、わかるがか?」
「君、匂いのキツイ野菜が苦手だろう?」
「……?」
いきなり話題を変えた女が不快だった。のらりくらりと化かされているような感覚は好きではない。
「それがなんじゃ。理由になっちょらん」
「マスターにとっては、十分な理由なのさ。わからないのなら、直接聞いてみるといい」
 ケイカは百合の髪飾りにそっと触れ、尻餅をついた体勢から起き上がる。大怪我にもかかわらずしっかりとした足取りだった。

「――あとは頼んだ。私は、もう行かなくてはな」
 気味が悪いほど月の大きな夜。
白い服を着たケイカはこの世のものとは思えないほど綺麗だった。





「てんちゅうって、どういう意味なの?」
翌朝、世界を救った子供が、そわそわした様子で訪ねてきた。
「そんなもん、龍馬に聞け」
「そうかも知れないけど……アサシンだっていっつも叫んでるじゃん!」
 これは天誅の意味ではなく、以蔵の言葉を求めているのだなと察した。別段鋭いわけでもないが、毎日付きまとわれていれば嫌でもわかる。
「天誅、か」
 今も、かつても、以蔵が刀を振るう理由はそれ以外にない。
以蔵は頭が悪かった。揺れ動く時代の中で語り合う志士たちの議論の半分も理解できなかった。途中からは理解しようという意思すら放棄していた。下手なことを言って武市先生に嗜められたらと思うと、身が竦んだ。
――けんど、わしにゃあ剣がある。
以蔵は剣の天才だった。切れないものなどなかった。誰にも負けなかった。自分には高尚な信念も理想もなかったけれど、誰かの理想を成し遂げるだけの力は持っていた。だから切った。思考を他人に預け、言われるがままに行為をなぞった。高尚な者の刃になれば、自分もまた高尚な者の一部になれるのだと、無邪気に信じていたのだ。
天誅は世のために為さばならぬ高尚な行為。理想を持たぬ自分が振るう刃は所詮ただの人斬り包丁でしかなかった。
天誅じゃと今でも叫ぶ以蔵を、頭のいい奴らはどんな目で見ているのだろう。問うつもりはない。ただ切る。切り捨ててやる。
「やめじゃやめじゃ。自分で調べ。それとも何か、救世主様がわしのような人斬りになんの用じゃ」
「オレはそんなんじゃないってば」
少年は困ったように笑った。どうして笑うのかがわからなかった。不快なら怒ればいい。以蔵ならそうする。
「それに、アサシンと、いると、ちょっとだけ安心するから」
「は?」
耳を疑った。
人斬りと、それも己のような男と共にいて? 顔に出てしまっていたのだろう。そいつは補足するように言葉を続けたが、聞く気にはなれなかった。
「待って!」
「知らん! 気分悪い、帰る!」
「ごめん、ごめんってば! オレなんか邪魔かもしれないけど、そんなつもりじゃっ、ごめん!」
遠くなる声。ぐるぐると腹を渦巻く感情。わからなかった。『俺なんか』という言葉を使うのは、以蔵の方だったはずなのに。
 藤丸立香というガキは、馬鹿だった。それもとびきりの大馬鹿だった。何を考えたのか、以蔵のような男に飽きることなくちょっかいを掛けるのだ。
「妙なやつじゃ。おまん、人斬りが怖うないがか。最初は腰が引けちょった癖に、何をいきなり……」
「それは、だって……オレも……」
「なんじゃ、はっきり言え」
「……セロリが」
「は?」
「オレさあ、セロリが嫌いで………」
 せろり。野菜。匂いがきつい。脳内につらつらと情報が流れ込んでくる。便利だなと思った。生前もこれがあれば少しは志士たちの頭がいい議論に参加できただろうに。
 それにしても。いや、そんなまさか。
――君、匂いのキツイ野菜が苦手だろう?
ケイカの言葉を思い出し、見透かされたような気がして嫌になった。
「それでせろりっちゅう野菜がどうかしたがや」
「あ、あとふきも! どうしても苦手で!」
「そんなもんワシも嫌いじゃ。それがどうか……」
「それだよーーー!」
 ガキはわっと飛びついて以蔵の裾を引っ張った。反射的に刀に手をやりかけて、馬鹿らしいと力を抜く。
「分かるんだよ! 食べたくても食べられない人がいたり! 飢饉とか大変な時代の人もいたって! カルデアだって食糧難だったし! ブーティカもキャットも工夫して調理だってしてくれたし! でも! それでも! オレはセロリが嫌いなんだよ! 絶対食べたくないの! なのに誰も共感してくれなくて! というか何でセロリが食料庫にいっぱい保管されてたんだよーーーー!!!! おのれムニエル!!!!!!」
 そしてそのままわんわん泣き出した。感情の起伏の激しいやつだと、以蔵は自分を棚に上げて呆れた。
「パクチーも嫌い!」
「だからそれがどうしたんじゃ!」
「アサシンも匂いのきつい野菜は嫌いだって言ってたじゃん! ただのシンパシー! 話しかける理由なんてそれで十分だろ!!」
 十分なわけがあるか。根本的なことが分かっていない。やはりこいつは大馬鹿ぜよ。
 すぐに泣き、すぐに忘れてけろりと笑う。こんな騒がしいガキが不快ではないのだから、やはり自分は頭が良くないのだろう。

 その後、少しずつマスターと共に特異点を修復する機会は増えていく。
 うざったいほどに喜怒哀楽がわかりやすく、ケイカの言う通り意地と良心以外はこれと言った才能もない男だった。今この瞬間をどうにかするので精一杯で、決して遠くを見る目をしない子供。
――『だから、君が必要だ』
 少しだけ。ほんの少しだけケイカの言葉の意味がわかったような気がした。


 ケイカといえば。ふといつかの軽口を思い出した。
「マスターが私を重用したのは、一番最初に召喚されたのが私だったからだろう。もしくは――重度の太ももフェチかだな!」
 普段の藤丸を思い出す。以蔵が女サーヴァントの胸元を見ているとき、藤丸の目線はもう少し下を向けられていたような。後者の可能性を否定できなかった以蔵は、その後一週間風呂場の時間をマスターとずらしていたが、そのうち馬鹿らしくなってやめた。

 

[back]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -