::韋駄天フクロウ::
視点なし
フータは走っていた。
否、逃げていた。
とんでもなく速い速度でフータを追い詰めるそれはとんでもなく恐ろしい容貌である。
高速で飛び回ることの出来る薄い四本の羽、ぎょろりと血走った眼、腹から伸びる六本の不気味に折れ曲がった細い足、腹から尻尾にかけての黒と黄色のしましま。それは己を危険だと周りに知らしめているようだ。
…と、いうのはフータの見解である。
云ってしまえばただのオニヤンマ、トンボが血走った眼など持っているはずがない。
スズメバチならともかく。
何故彼がこんなにも必死に虫から逃げ回るかはわからない。苦手だという由来は彼がたまに語るが、全部似たり寄ったりなのだ。
本来彼は猛禽類なのだから虫は食べる方で、もし逃げるならば飛んで逃げたりすればいいだけの話だ。だが今のフータには「飛ぶ」という選択肢が浮かばないのである。いっぱいいっぱい、切羽詰まってる、そんな状況。そんな状況でまともな思考が出来ようか。
フータは後悔した。
夏のよく晴れた日に外に出るなど虫たちの格好の的だ(本人がそう思っているだけだが)。このオニヤンマ、どう見てもこちらに向かって来ている(実際は進行方向がかぶってしまっているだけ)。
もうだめだ、体力の限界だと云わんばかりにフータは石に躓いてべしゃりと地面に倒れ込んでしまった。
その瞬間、
ぱたり
傍で音がした。
「なにしてんの?」
続いて聴き覚えのある声。ああ、この声は。
「…らずさん!」
伏せたまま後ろを見ると昨日引っ越してきたらずだった。昨日越してきたにも関わらず挨拶代わりに、と大量に…大漁に?魚を寄贈してくれたいい人、とフータは認識していた。
「やっ!」
にこっと片手を挙げて挨拶してきたらずはいやに機嫌が良さげだ。
「助かりました!オニヤンマがもー…大変だったんです!」
恐怖と疲弊で言葉が見付からない。
「ああ、それなら大丈夫だよ、捕まえたから。今さっきあみ買ったとこだったんで試しにと彷徨いてたらいいの獲れた」
フータの中のらずの評価が一段階上がった。「いい人」から「とてもいい人」へ。
「また追い掛けられる前に博物館に帰った方がいいんじゃない?まだ大丈夫だけど日が落ちたらサソリやタランチュラも出るから」
そうだ、送っていくよ!というらずの申し出にフータは是非!と即答した。
博物館までの道程は楽だった。出る虫全てをらずが捕獲していったからだ。いつもならば夏はビクビクしながらでないと外を歩くことが出来ない、フータは初めてかも知れない穏やかな夏の午後を堪能したのである。
だが。
「やや、着きましたね!ありがとうございます!」
「いやいいよ。ぼくも用があったから」
「用ですか?」
「はい、捕獲した虫!寄贈するよ!」
そのにたりとした表情にフータが固まったのは云うまでもない。
とどめ?
09.10.13
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