箱庭青年
※現時点での情報から捏造しまくりなので矛盾が分かったら修正します。
 どうしても書きたかった……


 彼は“外”を、知らなかった。
 箱に囲まれた小さな世界の中の空を見て、遥か太古と現在を繋ぐ歴史に思いを馳せる。そんな日々が続いていた。
 見渡す限りの青。眺望出来る雲海。切り立った山腹に造られた古代遺跡。外がどうあろうと、変わらず流れる穏やかな時間。どことなく俗世離れした天族の杜は、世界の脅威となっている“穢れ”からも、彼を守っていた。
 箱庭の中は平穏そのものだった。恐れるものなど、何一つなかった。空が淀む事も草木が枯れ果てる事もなく、穢れに浸食される世界からすべてが隔絶されていた。
 穢れによって衰退する世界。
 同じものだというのに、どこかくすんで見える青。
 その中を駆ける、少しばかり元気がないように見える鳥たち。
 鍵がかけられていた箱庭から出た彼は、そこで初めて“外”の空を自身の目で見た。
「オレ……知らなかったよ」
 彼――スレイがぽつりとこぼしたそれを、そばにいたアリーシャは聞き逃さなかった。
「知らなかった?」
「杜の外がこんな事になってたなんて。もっと早く知っていれば」
「だが君は、村から出る事を許されていなかったのだろう? 憑魔に狙われやすいなら尚更だ」
 スレイは、箱庭の外へは出られなかった。
 村の人々は、外界に存在する憑魔の恐ろしさを、彼によく言い聞かせていた。ここにいれば安全だから。襲われる事はないから――そう言って、スレイを外と隔離してきた。
 箱庭の中、周りを囲う壁の向こうに興味がなかったわけではなかった。どんな世界が広がっているんだろう、一体何があるんだろう。そこにそっと手を当てて、見えもしない向こう側へ興味を持つ事もあった。
 僅かな沈黙。
 アリーシャの言葉に静かに頷いて、スレイは空を見上げる。
「……。オレ、気になってたんだ。あの雲の下は、どんなところなんだろう、って」
「……」
「思ってた景色と、少し違うところもあったけど……きっと、穢れが広がる前のグリンウッドは、今よりももっと綺麗なところだったんだろうなって思うんだ。だから」
 近いようで遠い蒼穹。吹く風が、スレイの羽飾りを揺らす。
 背負ってしまった使命。世界中の遺跡を探検する、目的がそれだけではなくなってしまった、先の見えない長い旅路。
 人と天族が幸せに暮らす――その世界を実現させる為には、世を覆う災厄を払わなければいけない。
 闇に征された世界では、人も天族も生きてはいけないのだから。
「穢れのないグリンウッドを、オレが取り返さなきゃいけない――いや、必ず取り返してみせる。オレにしか、出来ない事だから」
 強く手を握り締めたスレイの決意を後押しするかのように、アリーシャが彼の横に腰掛けて言う。
「確かに、穢れを直接払うのは君にしか出来ないかもしれない。だが、穢れのないグリンウッド……それは、私も見てみたい景色だ」
「アリーシャ」
「スレイ一人に背負わせたりはしない。私も、私の故郷のために力を尽くす」
 講じる手段などないと思っていた。人々は導師という伝承の中へ消えていった存在に救いを求め、穢れが生み出す憑魔に抵抗するのが精一杯だった。
 アリーシャはそれでも、人知を越えた災厄からハイランドを救う手立てを探して奔走した。幾つの町を駆け、文献をどれだけ調べたかも分からなくなるほどに。
 スレイは、その末にようやく掴めた光だった。そんな彼に出会えた事を、運がいい、という言葉で済ませる気など、アリーシャには毛頭なかった。スレイが穢れを払う手段を持つのなら、そのそばで、自分は自分にしか出来ない事をやる――彼を支えよう、そう決めた。
「ありがとう。心強いよ」
 そう言って、スレイは笑う。特別なんてことはなさそうな、年相応の青年の表情だった。重い使命を背負わされているとは、到底思えなかった。
 その瞳には一点の曇りもない。彼が見据えている未来はきっと、明るいものなのだろう。あまりに真っ直ぐすぎて、視線を合わせるのが時々恥ずかしくなる。
「……」
 少しの間。どこか遠くを見つめたスレイの視線を、アリーシャは辿る。その先は、彼を護っていた箱庭があった方角だった。
 スレイの横顔から感情は読み取れない。無表情、とは少し違う。けれど、いつものように穏やかなわけでもない。
 一体、何を想っているのだろう。澄んだ碧の瞳は時折、彼の感情を綺麗に包み隠す。
「アリーシャ?」
「!」
 突然掛けられた声に、アリーシャは小さく肩を跳ねさせた。
「ごめん、驚かすつもりはなかったんだけど。そろそろ行こう、日が暮れる前にどこかで宿を見つけないと」
「いや、私の方こそすまない。そうだな。憑魔に遭遇する前に、急ごう」
 スレイから、ごく自然に差し出された手。一瞬逡巡するも、その手を取る。一回り大きい彼の手。手袋越しでも、その温かさを感じた気がした。
 アリーシャが立ち上がったのを確認すると、スレイは先導して歩き出す。
 一度振り返ったスレイの表情には、やはり何の曇りもなかった。


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