四章【一体誰に似たのだろう】 ――ああ、またしても覚えていられない*イだ。 セピアがかった空間。鏡台の前に幼い自分がかれこれ十分は座っているのを、リィンはぼんやりと後ろから見つめていた。 「どうしたの? ずっと鏡とにらめっこして」 「ここ、きになる」 幼い自分が引っ張ったのは、横の髪だった。 二十歳を過ぎても直る事のない髪の癖は、納得のいくハネ具合に整えるのに苦戦する日もある。 横に屈んで、母親が鏡を覗き込んだ。 「リィンはそこがハネているの、嫌なの?」 「ううん、イヤじゃないんだけど……どうしてこうなってるのかなぁ、って」 こてりと首を傾げて、リィン≠ヘ不思議そうに呟いた。癖が嫌なわけではなく、何故こうなってしまうのかが純粋に気になっているらしい。 そこなのか――と、リィンが自分の事ながらツッコミそうになった時、母親が自分の髪を軽く引っ張りながら口を開いた。 「それはね、リィンがお母さんの子どもだからかな」 「えっ、そんなことってあるの?」 「あるの。ほら、お母さんもそこの髪、そっくりでしょう?」 「ほんとだ!」 「大人になっても直らないかも。ごめんね、リィン」 「お母さんとおそろいなら、ぼく、このままでいいや」 ぱっ、と表情を明るくしてリィン≠ヘ嬉しそうだ。母親の事が――否、きっと母親の事も¢蜊Dきだったのだろう。 二人のやり取りを見つめていたリィンも、相変わらずな自分のそれに触れて、そっと引っ張った。 ――二十歳になっても、そのまんまだよ。 胸中の言葉は、やはり音になる事は叶わなかった。 ◆ 新年度が始まってから、もう少しで一ヶ月が経とうとしていた。教室に吹き込む風は新緑の匂いを運んで、夏に向かおうとしている春の空を駆け抜けていく。 「そういえばアル、今日はいつもより髪落ち着いてるよね。たまには髪型変えてみる?」 ホームルームが始まる少し前。早めに集まった《Z組》の面々は、時間になるまで教室内で気ままに過ごしていた。 「……髪型を変える、ですか……。確かに、以前のものも嫌いではありませんでしたから、時々変えてもいいかもしれませんね」 「前はどんな髪型してたの?」 「ここが、こうで……このような感じでした」 「うーん、そっちも可愛いっ……! 今度やってあげるから、いつでも言って!」 「微妙に苦しいです、ユウナさん」 ユウナに抱き締められるアルティナ。平穏な日々の一コマとして、すっかり見慣れてしまった光景だった。 リィンは教壇の上からそれを見ていて、懐かしさを感じていた。分校へ来た時には髪型が変わっていたから、アルティナが二つに結っているのを最後に見たのは、北方戦役の時だろうか。 「それにしても、アルティナさんの今の髪型……ひょっとして、リィン教官を参考にしたとか?」 リィンの視線に気が付いたのか、ミュゼが悪戯っぽく笑いながら問いかける。 予想外のそれに、目を瞬かせたのはリィンの方だった。 「えっ、そうなの?」 「そういうつもりではないのですが……」 言われて気が付いたのか、それとも。感情を読ませない表情で、アルティナはリィンの方を見る。 何だ、この空気は――と思いつつも、何を言えばいいのかも分からず、リィンは再度瞬きをするしかなかった。 「そんじゃリィン、アルティナと並んでみな」 「? 構わないけど……」 横に立っていたクロウに肩を叩かれて、リィンは教室の後ろへと歩いていく。アルティナも彼の隣に立った。 「……確かに、ちょっと似てるかも」 「ああ。横のハネ具合が、特に……」 完全に一致している――というわけではないが、確かにそっくりではあるな、とリィンは思った。アルティナは否定していたが、そういうつもりだったとしても、それはそれで構わないな、とも。 リィンとアルティナはお互いに髪の端を摘んで、目を合わせる。 その様子を見ていたクロウとミュゼは、教壇の前から二人を見て楽しそうに笑った。 「ふふっ、微笑ましくて素敵です」 「クク……なんだよお前ら、そんなトコまでお揃いにしてんのかよ?」 「そんなトコまで≠チて……クロウ教官、どういう事ですか?」 「見てりゃ分かるんじゃねーか? 戦ってる時とか、な」 思い当たる部分がすぐに浮かばず、目を合わせたまま首を傾げる。得物はまったく異なるものだし、戦闘スタイルも似てはいないからだ。 第三者から見ていると分かる事もあるのだろうか。 「戦闘中、ですか」 「そうだな……」 掘り返す記憶と、脳内にある戦闘データ。どこが一致するのかが単純に気になって、リィンはアルティナが戦っている姿を映像として思い出そうとする。 「……」 「……」 短くもあり長い、妙な沈黙が二人の間に作られる。 予鈴が鳴ろうとしたその時、そういえば、とクルトが窓の外を指差した。 「この後は授業の一環で、アインヘル小要塞に行くんですよね?」 リィンは思い出しかけていたものを一度横に置いて、彼の方を見た。 「ああ。クロウが副教官として配属されてから、一度も行っていなかっただろう? 一応、皆にも戦闘スタイルを見ておいてもらおうと思ってさ。分校長が提案してきたんだけどな」 一斉にアインヘル小要塞で戦闘テストを行う、とリィン達がオーレリアから突然告げられたのは昨日の事だった。 小要塞の拡張が更に進んだ、とシュミットから報告を受けたらしく、そのテストを学院全体で行うという名目――ではあったものの、単純に一年間で培ったものを確認したい、という気持ちもあるのだろう。 それを差し込んだ事によって生じる、カリキュラムの完璧な変更計画を書類として渡されてしまっては、リィン達は何も言えなかった。 一体いつから考えて、いつの間にこんなものを用意していたのか――。オーレリアの横で頭を悩ませていたミハイルの姿を、リィンは鮮明に覚えている。 「他のクラスも小要塞に行くと聞きましたが、合同という事でしょうか?」 「一応同じ場所には行くが、授業中は完全に別行動になるな。ルートが上手く重ならないようになってるし、撃破する目標もわざわざ別で用意してるって話だ。ま、副教官としてサポートさせてもらうぜ。ヨロシクな〜」 暢気な様子でそう言ったクロウの肩を、リィンは軽く叩く。 「クロウは教官としては俺より新米だけど、実力は確かだ。的確に援護してくれるし、良い手本にもなってくれると思う。但し……学院の外ではいい加減でお調子者なところもあるから、そこは参考にしないように」 「……あのなあ、リィン。お前、相変わらず俺の扱い酷くねえか?」 「本当の事だろ。まあ、心配はしていないけどな」 がっくりと教壇の上で項垂れるクロウ。わざとだという事はリィンには分かっているし、クロウもまた、リィンが分かっている事を理解した上でそうしているのだろう。 「あ、飴と鞭の使い分けがすごいというか……」 「教官は時々、容赦がありませんから」 苦笑いを浮かべて、アルティナ達はそんなやり取りを見つめていた。 ◆ 『Z組は[組同様、地下五階から開始だ。階層が深く、徘徊する魔獣も手強いが……そなた達の実力を踏まえて選ばせてもらった』 「分かりました。行こう、皆」 アインヘル小要塞へと踏み入れた《Z組》は、通信を通してオーレリアに指定されたフロアへとエレベーターで向かう。 地下へとどんどん拡張を続けているという小要塞は、どこまで広げるつもりなのだろうか。シュミットへそう尋ねた事はあったが、答えのようで答えではない言葉しか返って来ず、以降は質問する事を封じている。 「クロウ、やっぱり得物はそっち≠ネのか?」 「おう。もうアレは手元にねえしな」 地下五階へ到着して各自が得物を取り出す中、クロウが手にしていたのはやはり二丁拳銃だった。本来の得物であろう双刃剣は、クロウ曰く、一年半ほど前からどこかへ行ってしまっているという。 一年半ほど前――。 リィンの中で何かが引っ掛かるが、取り除こうとしても外せない。掠めるだけで、より深く食い込んでいく。 「副教官サマは二丁拳銃か。アンタ、後衛って体格でもねぇと思うがな。――でかい武器も、余裕で振るえるんじゃねえのか?」 アッシュはクロウを見て、新調したというヴァリアブルアクスを担ぐ。同様に身の丈と同じかそれ以上の武器を扱うからこそ、感じるものがあるのだろうか。 「言ったな〜? こいつを扱うには結構力が要るんだぜ。……っつーワケで、お兄さんが援護してやっから、お前らは全力で戦いな」 指摘に対する動揺というものは一切見せず、クロウはひらりと手を振って生徒達の後ろに回った。 その直後、見計らっていたかのように、ざざ、というノイズ混じりの通信音が入る。 『それでは、テストを開始する。心してかかるように』 重い鉄の扉が開く。前衛、中衛、後衛で分かれた基本的なフォーメーションを組み、口を開けた区画の入り口の前に立った。 「状況開始――特務科《Z組》、行くぞ!」 この一年で作り上げ、得たものを示す機会だ。無意味な経験など何一つ存在せず、すべての日、培ったものや事に意味があったのだと、再認識する事が出来る。 太刀を強く握り、リィンは先を見据えた。 「はいっ!」 「了解です」 「一年間の成果を見せよう」 「援護は私達に任せてください」 「ハッ、上等だ!」 「おうよ。やってやろうぜ」 背中に返ってくる言葉は、どれも力強い。 リィンの掛け声にそれぞれが応じた後、七人は駆け出した。 壊れかけた機械の魔獣が、煙を撒き散らしながら不安定に宙を漂う。最後の足掻きなのか、その煙は次第に量を増していき――ボディの隙間からは、焦げた臭いと赤い光が漏れていた。 自爆するつもりなのだとリィンが察した直後、小さな影が目の前に割って入る。 「教官、クルトさんも下がってください!」 『ΑиэлΦЯ』 機械魔獣の近くに居たリィンとクルトの前に出て、アルティナが腕を交差させる。 クラウ=ソラスによって瞬時に張られた防御壁が、自爆によって巻き起こされた爆風から三人を守った。 「ありがとう、助かったよ」 「海上要塞の時を思い出しますね。……爆発の規模は、あちらよりも上回っていましたが」 「仕掛けも魔獣も、以前とは比べ物にならない。本気の試験……というところかもしれないな」 本気ではない、遊びの試験など存在しない事は分かっていても、そう零さずにはいられなかった。 今までとは桁違いの強さを持つ魔獣と何度交戦したか分からず、適切な距離を保とうとすれば、仕掛けられたギミックによって阻まれ、時に分断される。故に、今この場に居るのはリィン、アルティナ、クルトの三人だけだった。 組んだ隊形を崩されても、即座に切り替えて対応出来るかどうか――オーレリアが言っていた通り、実力を信じられているからこそ、この区画と階層からの脱出を試されているのだと実感して、リィンは太刀を握り直す。 「……教官」 軋む壁。微かな振動。嫌な予感が胸中で膨らんで、弾ける寸前で停止する。 ゆっくりと、大きな気配が近づいてきていた。周囲すべてから感じ取れるそれは、はっきりとした方向を三人に掴ませない。 クルトに小さく呼ばれて、リィンは頷く。 「今は♂エ達で切り抜けるしかなさそうだ。このまま迎撃する――二人とも、やれるな?」 「勿論です」 「大型魔獣の気配を察知……索敵モード、展開します」 掴みきれない気配。おそらく突然現れるであろうそれは、ゆらりとした気配を漂わせながら、三人を包囲するように広い部屋の周辺を回り続けていた。 逃げる、という選択肢はない。何の仕掛けがあるか分からない小要塞内を、大型魔獣に追われながら無闇に逃げ回るのは得策ではない、とリィンは判断した。 そんな状況でも、一つだけ、信じられる事がある。それに賭ける――否、賭けるまでもなかった。 「……来ます!」 アルティナが高い天井を指した直後、三人は何かが作り出した影の中に居た。 即座に飛び退き、壁を蹴って、上から降下してきたそれ≠ニ距離を置く。 「ッ!?」 リィンはそれ≠捉えて、目を見開いた。 片腕を喪った、竜のような出で立ち。禍々しさを秘めたオーラを漂わせて、その体に付いている数えきれないほどの黄色い瞳が、三人を見下ろしている。少々大きさは小さい気がしたが、それでも――と、考えかけて、思考を止める。 ――何故、この見知らぬ魔獣が記憶にあるものより小さい≠ニ思ったのだろう? 見た事もないはずなのに見覚えがある気がして、恐怖とも戸惑いとも異なる、奇妙な感情がリィンの中に沸き上がった。 「……これは……」 「悍ましさを感じます……一筋縄ではいかなさそう、ですね」 言葉を失うリィンの近くで、身構えたクルトとアルティナもまた、現れた魔獣が纏うオーラに気圧される。 魔獣が咆哮を上げた。びりびりと震える空気が、鼓膜を突き動かして動きを奪おうとする。それを受けて逆に現実に引き戻されたリィンは、眼前に迫っていた鋭利な爪を横に転がって避ける。 土を掘るように抉られた床。爪痕が残った場所を見て、リィンは手を翳した。 「怯むな! ……隻腕なぶん、動きは速くないはずだ。隙を作って一気に攻め込むぞ!」 降り注ぐ黒の雷。緋色の閃光。ひび割れた大地に満ちる瘴気。 ――俺は、こんな魔獣は知らないはずなのに。 リィンの脳裏には、この魔獣が放ってくる攻撃が映像として流れ込んできていた。 何故、どうして。自分が自分ではないような気味の悪さから、目を逸らす事が出来ない。普段よりも大きくなる鼓動を抑えるように、リィンは自分の胸元を握り締めた。 「今は、惑わされている場合じゃない」 言い聞かせるように、彼はそう言う。過ぎったものは頭に置きつつ、目の前のものをしっかりと捉えなければいけない。 視線だけ交わして、三人は散開した。リィンが引き付け、クルトが踏み込み、アルティナが中距離からクラウ=ソラスで援護する。 ――知らない。知っているはずがない。 惑う心を縛り付けて、目前の敵に集中しているつもりではいたが、時折差し込まれる映像が揺さぶろうとしてくる。 螺旋の中で因縁に手繰り寄せられ、互いを信じて分かれていく仲間達。 閉じ込められ、絶望の窮地に立たされても、希望を信じて諍った暗黒の底。 助かった命があった。失ってしまった命が、あった。 怒りが、悲しみが、すべてを覆っていく。 鬼の咆哮、慟哭と共に―――― 追い出しても追い出しても、堰き止められていない川のごとく、ぼんやりとした映像は次々と現れては消えていく。それは一体何なのか、という事を認識する前に、遠く彼方へと走り去ってしまう。 リィンは小さく舌打ちをして、叩き付けられた太い腕を後方に飛んで回避した。そのまま、振り下ろされた腕を駆け上がる。 「……くそっ」 ゆらりと襲いかかった尾を避け、直後に魔獣を斬り付けた。無数の瞳が睨んで来るが、彼は決して怯まない。横にも背後にも、守るべき生徒が居るからだ。 「くっ……!」 「!」 鈍い音がした方を見ると、クルトが双剣を交差させて魔獣の腕を受け止めていた。 黒の瘴気が放たれて、彼はじりじりと押されてしまう。 「クルト!」 まずい、と察したリィンが強く地を蹴ったのと、クルトが吹き飛ばされたのは同時だった。 クルトを受け止めて、リィンは壁に強く背中を打ち付ける。一瞬だけ息が詰まって、頭が軽く麻痺したように痺れを訴えた。 「クルト、大丈夫か?」 アルティナが防御壁を素早く張ってくれたおかげで軽減されたらしく、痛みはあまり感じない。 腕の中の教え子にリィンが声を掛けると、クルトは申し訳なさそうに顔を上げた。 「すみません、教官……」 「謝らなくていい。無事なら良かった」 アルティナが二人の前に立ち、クラウ=ソラスで防御壁を再度展開する。片腕で地を這うように移動する魔獣は、少しずつ、距離を空けたリィン達へと迫っていた。 「教官、このままではこちらが押されてしまいます」 不安げな表情で振り返るアルティナ。魔獣へダメージを与えてはいるものの、三人で倒すにはまだまだ足りそうにない。それはすぐに分かる事だった。 立ち上がり、リィンは目を閉じる。心の奥の泉から、あたたかいものが湧き上がって来るのを、彼は確かに感じていた。 「……。大丈夫だ、時間は稼いだ。あとは皆で≠いつを倒すんだ」 「? 皆、って……まさか」 リィンが言いたい事に気が付いたクルトが、双剣を掴み直した――その時だった。 「悪りぃ、射線開けてくれねえか」 暢気なようで真剣さを含んだ声が、三人の頭上から降ってきた。 「信じて正解だったよ」 賭けるまでもない賭け。 物理的に分断されようとも、繋がっている光のおかげで、彼らは本当の意味で分断されてはいなかった。 リィンは笑って、クルトとアルティナに横に逸れるよう促した。 三人が魔獣の直線上から外れた直後、青の翼が駆け抜け、それを追いかけるように闇を纏った弾丸が空気を裂いた。 「良いタイミング、だったようですね?」 「クロウ教官、ミュゼ!」 「やれやれ、間一髪だったか――つっても、お前は俺達が来るのが分かってたみてえだけどな」 銃口を向けたままのクロウとミュゼの後ろから、ユウナとアッシュが走り出て来る。 「リィン教官、アル、クルト君!」 「立派なデカブツとやりあってんじゃねえか。俺らも混ぜろや!」 用意されていた梯子は使わずに、四人はそのまま上のフロアから飛び降りた。 横に並んだユウナとアッシュ、クロウとミュゼを見遣って、リィンは安堵する。向こうにもリィン達は大丈夫だという確信があったのか、浮かべている表情は、心配そうなものではなかった。 ARCUSを信じて良かった。リィンは懐であたたかい光を放つそれにそっと触れて、太刀の切っ先を魔獣へと向ける。 「目標を撃破する。行くぞ、皆!」 応じる声が複数交じるが、リィンには全員分の返答が届いていた。 「まずはあたし達が……クルト君!」 「ああ、分かった!」 ユウナが撃ち出した二本の光線。凶爪の動きが止まった隙に、クルトが青い雷と共に斬撃を繰り出す。 「合わせろや、イーグレット!」 「はい。お任せください」 跳躍したアッシュが、ヴァリアブルアクスの鎖で魔獣を拘束する。その間に高速詠唱で複数の魔導騎銃を作り出したミュゼが、流星のように銃弾を撃ち込んだ。 それを見ていたクロウは、二丁拳銃を回して構える。 「道は拓いてやるぜ――行け、リィン! アルティナ!」 二つの銃口が光る。レーザーが一直線に伸び、十字を形作って銃弾を後押しした。 煌めく光が暗黒を払う。立て続けに攻撃を受けた魔獣が、その大きい体を小要塞の床へと倒した。 「リィンさん」 アルティナと目が合う。倒れた魔獣は動けそうにないが、まだ倒したわけではない。 言わずとも、伝わる。故にリィンとアルティナはそれ以上、視線以外に何も交わさず、ただ互いの顔を見て頷き合い駆け出した。 仲間の合間を走り抜け、小要塞に残された爪痕を飛び越えて、二人は魔獣の前へと辿り着く。 「仕留めます」 クラウ=ソラスを纏い、アルティナが生成した剣を手にする。リィンは壁を蹴り、太刀に焔を纏わせて宙を舞う。 繋がる光を通じてリィンに伝わる想いが、魔獣に対する正体の分からない感情を掻き消した。 「これで終わりだ」 「斬っ――!」 「斬!」 同時に同じ掛け声を発して、リィンとアルティナが前後にすれ違うように斬り抜ける。魔獣の断末魔は短かったが、消滅した後、場には紫の小さな光が幾つも残されていた。 「……倒せた、か」 太刀を鞘へと収めて、周囲を見回すリィン。収束する光と、その粒子。ふわりと漂っていたそれをなんとなく手のひらへ乗せると、数秒後には雪のように消えてしまった。 正体不明の魔獣が暴れたせいで、あちこちに爪痕が残されている。完璧に修理をするには時間を要しそうだ。 『シュバルツァー、応答せよ』 尤も、それは一般的な話で、ここの拡張を進めているあの人ににかかればあっという間に元に戻ってしまうのだろう――と、リィンが思っていると、オーレリアの声が聞こえた。 どうやら、通信に使用する部分は無事だったらしい。 「分校長」 『今、そなた達が交戦していた相手……こちらで異常な反応が検知されたが、無事のようだな』 「異常な反応……?」 オーレリア曰く、先程の大型魔獣は何の前兆もなく、突然小要塞内に現れたという。 モニターで詳細を確認しようとしたが、あまりにも悪すぎるタイミングでZ組が居るエリア≠セけそれが故障し、音声も一切聞こえなくなった。 非常時用のものも作動せず、何故か聞こえた断末魔と共に、故障していたものがすべて復旧して今に至る。 「今のは、予め用意されていた魔獣ではなかったという事ですか」 『あんな魔獣は設置していない。フン……原因を調査する必要がありそうだな。後で詳しく話を聞かせてもらうぞ』 「ええっ、そ、そんな事ってあり得るの?」 シュミットの返答に、ユウナが困惑する。大袈裟な、と向こうから呟く声が漏れていたが、今までにこのような事は一度も起こっていない。セキュリティが万全なこの小要塞には鼠一匹入り込んだ前例がないのだから、当然の反応だった。 「迷い込んだのでしょうか……」 「それにしちゃあ、随分と可愛くねえ迷い犬だったがな」 アルティナとアッシュの会話に、リィンは苦笑する。犬、と呼べるほど愛嬌がある生き物ではなかった事は確かだった。 「……」 「?」 あれは一体何の生き物に近いのだろう―そう考えかけた時、クロウが少し離れて壁に寄りかかり、腕組みをしているのが目に入る。珍しく俯き気味で、何かを考えているようだった。 少々近寄り難い雰囲気がなくもなかったが、リィンは特に気にせずに声を掛ける。 「クロウ、どうかしたのか?」 「ん……ああ、アイツ……どこかで見た°Cがしてな」 「…………そう、か?」 「ま、色々なヤツらと戦って来たし、どっかの手配魔獣と似てたんだろうな」 普段の飄々とした雰囲気はどこへやら、クロウの視線は鋭さを含んでいる。リィンが声を掛けた直後に少し和らいだものの、黄昏に沈む空のような色の中には、冷たい刃のような何かが隠されている気がしてならなかった。 何を思っているのか――。 リィンは喉元まで浮かび上がってきた言葉を発しようとしたが、後一歩というところで、拒むように塵と化してしまう。 「そうだ。クロウ教官が言っていた、リィン教官とアルティナのお揃い≠ネところなのですが……」 場の空気が、クルトの一言によって変わる。その場に居る全員の視線が、彼に向けられた。 「な、分かっただろ?」 クロウは瞳の中から、一瞬で鋭さを消し去った。いつも通りの人懐っこい笑顔を浮かべて、手にしていた二丁拳銃をくるくると回す。 ああ、そういう事かと、今更リィンは気付かされた。自然に出ている掛け声故なのか、あまり意識した事がないからなのか―言われてみれば、確かに同じだった。 「……あれも、わたしは意識したわけではないのですが……」 困ったように眉を下げて、アルティナはクラウ=ソラスの兵装を解除する。 「お揃い、か。アルティナ、俺は構わないぞ? ああ言うのがしっくり来るのなら、それが一番だしな」 「……。……検討します」 「チビ兎も素直じゃねぇな」 アッシュはそう言いながらも、ヴァリアブルアクスを担いで先を見つめていた。 魔獣が消えた先にも、道は当然続いている。まだテスト≠ヘ終わっていないのだ。 「……さあ、そろそろ再開しよう。あと一フロアだ、気を抜かずに進むぞ」 再び繋がる力≠感じ取って、癒えた心が動力となる。 それぞれの得物を構え直して、七人は先へと踏み出した。 ← → back |