灯火をその胸に抱き | |
※Twitterで立ち上がった企画【イースバトン/ジュールの旅】の話です。 ◆ 前のお話 (なつみかん様) 『そこの森はちょっとした迷宮≠ノなっているから、気を付けるんだよ』 最後に立ち寄った街の、宿屋の女将の言葉が脳裏を過る。 手の中には手書きの地図――その一部に印を付けて、ジュールは橙色に染まり始めた空を見た。 「まだ半分も進んでないかな。そろそろ休める場所を探さないと……」 彼はこの森を、決して甘く見ていたわけではない。アドルからもそういった場所の話を聞いていたし、だからこそ、数日かかってもいいように食料の準備もしてある。野草やキノコを食用か否か見分ける事も出来るし、薬の用意も万全だ。しばらくは問題なくやっていけるはずだし、そのつもりでいた。 そもそも、ジュールがこの森に足を踏み入れたのは、ちょっとした好奇心がきっかけだった。 『数年前、赤毛の青年がここで不足していた薬草を採取してきてくれて……そのおかげで、子供が助かったんです。お名前を聞き忘れてしまいましたが……』 『そこの森の奥には洞窟があってね、岩が星空みたいに輝いてるんだ――……と、いうのを何年か前に、旅人だっていう赤毛の兄ちゃんが発見してな。元気にしてるかなぁ』 近くの街で耳にした、幾つかの話。その人物の名前は分からなかったものの、間違いない、とジュールは思っていた。 風のように、気ままに旅をしているアドルを追うのは、容易ではない。それは分かっていた。バルドゥークを旅立って少し経った今でも、彼の今の行き先に関する手がかりは一つも得られていない。話を聞けても半年から数年前のものばかりで、一番近い話でも一ヶ月は前だった。そこから大雑把に、彼が向かったであろう方向を割り出し、今に至る。 それならと、ジュールはもう一つ、この旅に小さな目標を付け足した。 絶海にあるという無人島なども含まれる以上、彼の辿った旅路をすべて追うのは不可能だ。それでも、彼が見て目に焼き付けたものを追いながら、アドルに会いに行く為の旅をしたい。 その想いが、街道ではなくこの森を通って次の街を目指そうという理由になった。 「……誰かいるの?」 がさり、という小さな音を、ジュールは聞き逃さなかった。誰か、とは言ったが、気配は人間のものではない。怪人化していた時の身体能力は失われているが、多少は戦えるように、バルドゥークで鍛錬はした。 ――最悪、倒せなくとも、せめて逃げられるようにしよう。 腰掛けていた岩から降りて、彼が杖を手にした――その直後。 「ピキュ!」 「っ!」 鳴き声と共に、草から顔を出したのは一匹のピッカードだった。 なんだ、ピッカードか――とジュールが思う間に、その茶色く丸々とした生き物は、とことこと彼の足元へ歩み寄ってくる。 「何か用?」 「キュー?」 「……生き物に話しかける僕も僕だけど」 「キュウ……」 人に慣れているのか、ピッカードはジュールの足元から離れようとしない。彼が歩いても、その小さな手足を全力で動かしてついてくる。 そこでふと、ジュールはある話を思い出した。 『ピッカード、極上の味なんだよなあ……』 食用であるピッカード。時折、立ち寄った街の酒場で(まだ酒は飲めないので、単なる食事で訪れるだけだが)メニューの一つとしてミートローフなどが出されているのを見かけた事があった。 改めて、彼はついてきているピッカードを見る。十分に丸っこい体。だが、先程から向けられているつぶらな瞳からの視線が、脳内に浮かんだミートローフとの等号をばっさりと断ち切った。 「……食べるのはちょっと罪悪感があるかな……」 「キュ!?」 「あ、僕にその気はないからね。食料なら用意してあるし」 それじゃ、と言ってジュールは森の奥へと歩き出す。日は徐々に傾き、木々に阻まれて見えはしないが、地平の彼方では夜の色が滲み始めている頃だろう。 手書きの地図を握り締めて、彼は草を掻き分けながら奥へと進んで行った。 ◆ ついてくる。出会ったばかりの小さな気配が、それを隠そうともせずに。 「君、どこまで僕についてくるつもりなの?」 咎めるというよりは、半ば困惑した声色で、思わずジュールは問いかける。 数秒後、木の陰からひょっこりと顔を出したのは、ずっと後を追って来ていた先程のピッカードだった。 「……」 「はぁ……まあ、いいんだけど。害があるわけじゃないしね」 言葉を交わす事が出来たなら、どうしてついてくるのかを聞けたのに――。 そんなどうしようもない事を考えつつ、ジュールは森林の向こうに見付けた洞窟を目指して、再び歩き始めた。 草を踏む音は二つ。ジュールが立ち止まれば、ピッカードも立ち止まる。 「さて、着いたけど……結局、ここまでついて来ちゃったんだね」 「キュ」 しばらく歩いて洞窟に辿り着いた時、ピッカードは口に花を咥えていた。が、ジュールがそれを目にした直後、花はピッカードが口を動かすのと同時に、その小さな体の中に吸い込まれるようにして消えていく。 「それ、今食べるんだ……」 お腹が空いていたのだろうか。空腹なのを我慢してまで、どうして後を追って来るのか。問いかけても答えは貰えない疑問は一旦引っ込めて、ジュールは洞窟に向き直った。 「街の人の話だと、森の反対側に繋がっているみたいなんだ。でも、抜けるのは明日にして、今日はこの辺りで休む事にしようかな」 なんて、ピッカード相手に何を言っているんだろう――そう自分自身に苦笑しながらも、ジュールは持参したカンテラに火を灯した。 あたたかな光が広がり、それが気になったのか、ピッカードがその源に近付こうとする。 「危ないよ」 手で遮られ、ピッカードはカンテラの中身を理解したかのように、その場に大人しく座り込んだ。短い手足が毛に埋もれて見えなくなり、遠目から見ると毛玉のようだ。 ころんとした、茶色いふわふわの塊を視界の隅に入れながら、ジュールは手早く夕食の支度をする。 『それなら、幾つかレシピを教えておくよ。野営する時に作れるようなものだから、すぐに覚えられるんじゃないかな』 棺桶ノートの名を改めて冒険ノートとなったそれの一ページに、アドルの字で書かれた料理レシピ。ダンデリオンの厨房を借りて、アドルにそれらを教えてもらった時の事は、まだ鮮明に記憶に残っていた。 「山菜とキノコのスープ……材料はちょっと違うけど、味付け、上手くいくといいな」 アドルがバルドゥークに来る前、イスパニの道中で出会った鍛治師の女性に振る舞ったところ、勢いよく飲み干されるほど好評だったというスープ。一緒に作った時は勿論上手くいったが、今度は上手くいくだろうか――あの時の味を、記憶の中から手繰り寄せる。 「聞いてはいたけど、少し冷えるね」 手早く調理する為の用意を行って、ジュールは冒険ノートに重り代わりの石を置いた。 凍えるほどではないが、吹く風は少々冷たさを含んでいる。外套に身を包めば凌げるが、なるべく、風が当たらない場所で眠った方が良さそうだ。 「?」 ジュールがキノコを切っていると、足元にふわりとした何かがくっ付いてくる。それの正体が何なのかは、考えずとも分かる。 一旦切る手を止めて、彼は自身の足元を見遣った。見上げて来るピッカードは、どこか心配そうな眼差しを向けている――ように、見える。 「僕なら大丈夫。心配しないで」 煮込む為に鍋に食材を入れてから、ジュールは目前に広がる暗い森を見た。 カンテラの明かりの範囲を外れてしまえば、一歩先すらも見えにくい世界。月明かりがあれば道は見えなくもないが、森の中では道などあってないようなものだ。そこに何が息を潜めているかも分からない。バルドゥークを旅立つ際、キリシャが持たせてくれた魔物除けの護符があるとはいえ、効かないものが存在している可能性もゼロではなかった。 それでも、ジュールの中に恐怖心はない。油断をしているわけではなかったが、先の見えない闇を恐れる心は、とっくに消え去っていた。 以前の自分なら持っていたかもしれないものに、一体何が上書きされたのか。ジュールは自分自身で、それに気付いている。 「……。自分でも、不思議だ、って思う。誰も居なくて、真っ暗で、何が出るか分からない森……普通なら怖い、って思うかもしれないけどさ。僕は今、楽しいって思ってる」 独り言のようなジュールの言葉。聞いているのは、そばに寄り添うピッカード一匹だけだ。 撫でられながら、ピッカードは短く、キュ、と鳴く。 「アドルさんの事を知らなかったら……出会わなかったら、僕はきっと、こんな気持ちは知らないままだった。本当に、会えて良かったって思えるんだ」 自分の足で踏みしめて歩く大地は、どこまでも広大だ。自分の目で見る初めての景色は、鮮やかなまま記憶のノートに書き留められていく。 宝物のような想いを胸に、ジュールはこれからも、世界を巡る。 TO BE CONTINUED... ←Back |