ピッカードの恩返し
【イースワンライ/お題:ピッカード】


「あれ? こんなところにピッカードがいます」
「本当だ、珍しいわね。脱走してきちゃったとか?」
 つぶらな瞳に、丸々とした体を支える小さな足。それと、心を射抜かれる人も少なくはないという可愛らしい鳴き声。
 ダンデリオンから出たアドルを待ち構えていたのは、なんとも愛らしい一匹のピッカードだった。ユファとキリシャが前に屈んでも逃げる事はなく、ピッカードはその小さな瞳で真っ直ぐにアドルを見つめている。
「前にパトリシアさんのところにピッカードが何匹か居ましたけど、その子たちの仲間でしょうか」
「自分から調理されに来たんじゃねーか?」
「ク、クレドさんっ」
「確かに美味とは聞きますが」
「アネモナさんまで……!」
「っつーのは置いといて……何なんだコイツ、アドルに用でもあんのか?」
 ピッカードの視線に気付いて、クレドが怪訝そうにアドルを見る。
 キリシャの隣に屈んで、アドルはピッカードと視線を合わせた。彼がなんとなく手を出すと、ピッカードが擦り寄って来る。
「!」
 持ち上げられ、彼の手の上に乗せられた短い手。そこに、薄い青に近い色の布が巻いてあるのが目に入り、アドルはある事を思い出す。
「アドルさん、どうかした?」
「いや……。君は、もしかして――」


 ◆


「アドル、こっちだ!」
 脱獄不可能――そう言われるだけあって、脱出路であるこの鉱山に仕掛けられている罠は、数も質も容赦がなかった。脱獄中に罠に阻まれ、命を落とした人間が決して少なくないという事は、それらにこびりついた深紅が物語っている。
 一切の慈悲がない刃に追い回され、息を潜めながら獣のそばを通り――ようやく少し落ち着けそうな高台に辿り着き、アドルとマリウスは揃って息を吐いた。
「ふう……何が何でも逃がさない、って感じだね」
「でも、僕たちなら大丈…………?」
 小休憩とはいえ、警戒は怠らない。アドルはマリウスと会話しつつ周囲を見回していたが、動かしていた視線をある箇所で止めた。
「何かあったのか?」
「あそこに居るのは……」
 立ち上がり、近くの様子を伺ってから、アドルは小走りで見付けた“何か”の場所へと向かう。マリウスは不思議そうな表情を浮かべつつ、すぐに後を追いかける。
 二人が休んでいた場所からそう遠くないところに、それは居た。
「……ピッカード?」
 次のエリアに繋がっているであろう洞穴の前を塞ぐ、槍の如き柵。その隙間にみっちりと、ある意味綺麗に挟まって短い足をばたつかせている、茶色く丸々とした生き物。
 一体何故ピッカードがここに居るのか――誰にも聞けないし、答えを知る者はおそらくいない。
「可哀そうに。挟まったんだな」
「危ないところだったね。僕らが罠を解除して、この柵を下げていたらどうなっていたことか……その前に見付けられて良かったよ」
 ピッカードが痛くないよう、二人は極力気を遣ってゆっくりと押し出す。時間がないのは二人とも分かっていたが、ここでこのピッカードを見殺しにする事は出来なかった。
 数分かけて柵の隙間から助け出すと、ピッカードは嬉しそうな声を上げながらアドルに飛びついてきた。
「わっ!」
「はは、さっそく懐かれてるね。……ん?」
 微笑ましそうにその様子を見ていたマリウスは、ピッカードの手に僅かに赤い滲みが出来ているのを見付ける。
「このピッカード、怪我をしているみたいだ」
「掠り傷のようだけど、少し血が出てるな」
「そう深くはなさそうだし……よし、これでも巻いておこうか」
 どこで拾ったのかは分からないが、マリウスは素早くナイフを取り出して、自身の服、帯のように巻き付けていたところの一部分を切り取った。
 包帯として丁度いい形にはなったものの、アドルは思わず苦笑する。
「僕のこれを切って良かったのに」
「まあ気にしないで…………っと、こんなものかな」
 ピッカードが大人しくしてくれたのもあり、マリウスがそれを巻き付けるのにそう時間はかからなかった。
 もう元気、大丈夫だと言うかのようにピッカードは鳴き声を上げるが、マリウスはひょいと持ち上げて小脇に抱える。
「さて、そろそろ行こうか。同行者も増えた事だしね」
「僕が先行する、ピッカードの事は任せた」
「ああ。……君も、自由になってくれ」
 マリウスが駆け出す直前にぽつりと零した言葉の意味は、その時はまだ、アドルには分からなかった。


 ◆


「マリウスはそのピッカードを抱えてくれて……そのまま、一緒に脱出したんだ。墓地に出てすぐに、どこかへ行ってしまったけどね」
「それじゃあ、この布はマリウスさんの……」
「間違いない。無事で良かったよ」
 撫でられて小さく、ピキュ、と鳴いたピッカードは一度アドルから離れていく。歩いていくのを六人が目で追っていると、ダンデリオンの近くにある箱の陰に頭だけ突っ込んで、ごそごそと何かを探しているようだった。
 何かを咥えて戻ってきたピッカードから、アドルはそれを受け取った。小袋を開けると、中には花や葉、種らしきものが幾つか入っている。
「僕にくれるのかい?」
 返事をするように、ピッカードは再び鳴く。
 アドルは笑って、二人分の礼を言う代わりに、優しくピッカードの頭を撫でた。




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