その燃えるような色の名は
【イースワンライ/お題:アドル・クリスティン】


 赤毛のアドル。その冒険家は、一人の少年に小さな灯を与えた。
 病気を抱え、自由に走り回る事も出来ず、成人するまで命はもたないと言われているその少年が、精一杯生きようと思えたきっかけが“赤毛のアドル”だった。
 少年が彼を見た事はない。街で耳にした噂で知る事が出来たのは、幾つかの断片的な冒険の話と、燃えるような赤毛と澄んだ黒い瞳の持ち主である、という事くらいだ。
 ――燃えるような赤。一体、どのような色なのだろう。
 少年の中に、ふと浮かび上がった疑問。赤と言っても、種類は様々だ。林檎の色、太陽を表現する時に用いる色、闘牛の際に揺れる色。それから、このグリムワルドの夜の頭上に存在している――
「ねぇ、大丈夫?」
 呼ばれて、少年――背教者が振り返る。ラルヴァを片付けて周囲の様子を確認し終えた白猫が、少し埃が付いた帽子を軽くはたいて、彼に向き直った。
「どうしたのさ、ぼーっとして? 敵は今ので最後みたいだったけど……何か悩み事?」
「悩み事があったら、こんな場所で考えたりはしないかな。落ち着ける静かなところで向き合うほうがいいしね」
「そう? それならいいんだけど……」
 自分が抱いているものは、悩み事には分類されない。背教者の返答に対して白猫はそれ以上追及せず、近くの岩に腰掛けると、退屈そうに足をぶらりと揺らし始めた。
 もう少しすれば、散った面々も戻って来るだろう。そうすれば、夜は一旦明ける。
 背教者は、再び空を見た。
 禍々しい、と言ってもいいような月は、何も語る事なく、静かにグリムワルドの夜を見下ろしている。怪人の戦う舞台を演出するかのように。
 ――夜が終わったら、また“あのノート”に書き足そう。
 終わりの見えない、理由の分からない戦い。自分達がまるで傀儡のような存在であると思いながらも、彼はその小さな体に、灯を抱えて夜明けを待つ。

 ◆

「ジュール」
 聞き慣れた声がして、背教者――ジュールはゆっくりと目を開いた。
 色々な事があった、と、一言で済ませるにはあまりにも中身が詰まりすぎている。故に心身共に疲れ切っており、横たえた体にはすぐ睡魔が運ばれてきた。そこまではジュールも覚えている。
「……アドルさん?」
 どこまでも続く白の空間の中では、その赤はあまりにも目立っていた。思い浮かべたもののどれとも一致しないアドルの赤は、カンバスに落とされた一滴の絵の具のように、ぽつんとその場所に存在している。
 夢の中、である事には間違いはない。けれど、どうして彼がこんな場所に居るのか――ジュールが言葉を探していると、アドルが口を開く。
「僕は確かに“アドル”なんだけど……」
「大丈夫。アドルさん、だよね」
 頷くアドル。赤の王の姿を保っていた彼は、ジュールに隣に座るように促した。
 永遠に続いているのではないかと思える白を瞳に映しながら、アドルは自身の胸に手を置いて、一度深く呼吸をする。
「……あの時、僕と彼の魂は一つに錬成されたけど、まだ完全じゃないみたいなんだ。慣れるにはちょっと時間がかかりそうでね」
「それでここに迷い込んで来たってこと?」
「迷い込んで…………まあ、間違ってはいないかな」
 否定はしないさ、と苦笑して、アドルはジュールに向き直る。
「ジュール。君は、彼の冒険の事を聞いてどう感じた?」
「アドルさんの冒険の事?」
「過酷で、危険なそれを知って、君の中で何かが変わったかい?」
 音を吸い込むような空間の中に、アドルの問いかけも静かに溶けてゆく。
「……」
 ジュールの中で、答えは数秒後に出ていた。探すまでもない、元々そこにあったものを、伸ばした手でそっと掬い上げる。
「僕に残された時間は、長くない。だけど……“赤毛のアドル”の話を聞いて、その時間を、後悔しないように精一杯生きよう、って思えたんだ。棺桶ノートを書き始めたのも、その時からで」
「……」
「だから僕は、アドルさんに――」
「ジュール」
 真っ直ぐな少年の想いのそばに寄り添うのは、冒険家アドル・クリスティンが持つ希望の灯りだ。
 それが伝わったらしいアドルはやんわりとジュールの言葉を遮って、穏やかに笑う。
「今の言葉と、その先は……“僕”に、伝えてあげてくれないか?」
「……アドルさん」
「僕だけじゃなくて、彼にも聞いてもらいたいからね」
「…………それ、言うのが結構恥ずかしいんだけど。……でも……そうだね。約束、してもいいかな」
「ありがとう」
 徐々に揺らいでいく白の世界の中、ジュールはただ一つの赤と指切りを交わす。
 心の中の本に、伝えたい言葉を書き留めながら。



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